トレハーの町の調査(前)

 荷馬車が宝物の街道を進んでいる。アカムの町からやって来た荷馬車の集団だ。そろそろ西日になろうかという日差しに晒されながら、次第に大きくなってくる前方の町の姿に向かって少しずつ近づいている。


 その集団のある程度後方に徒歩の集団が続いていた。前の町を出発したときに比べて人数が半分くらいになっている。先頭を歩くのはユウとトリスタンだ。


 緩やかな寒風は進行方向である南側から吹いていた。進むにつれて磯の香りが強くなってゆく。それに反応したのはトリスタンだった。小首をかしげて独りごちる。


「風の臭いが湿ってきた?」


「海が近いから潮の香りが強くなってきているんだよ。トレハーの町は港町だから、その向こう側は全部海なんかじゃないかな」


「それがどうも信じられないんだよなぁ。地平線の彼方まで水でいっぱいって」


「実際に見てみたらわかるよ。僕も始めて見たときは驚いたから」


 旅の最終日、町の姿が見えてきた辺りからユウとトリスタンは少しずつ会話が増えていった。大半はやっと町に着くという安堵と疲労の話だが、一部は海の話も混じっている。


 いよいよトレハーの町の郊外へと足を踏み入れた。岩雨の川の河口にあるトレハー王国唯一の町で、海洋貿易が盛んな港町でもある。岩雨の川から送られてくるマグニファ王国の鉱石と魔法の道具、それにグリアル王国産の穀物などを船に積み込む拠点であり、各地の品物を船から積み降ろす場所だ。


 先行していた荷馬車の集団は宝物の街道から脇の原っぱへと移っていた。後を歩いていた徒歩の集団はその荷馬車を追い越してそのままトレハーの町へと向かう。ようやく旅が終わったのだ。


 顔に安堵の表情を浮かべたトリスタンがユウに声をかける。


「やっと着いたな。足が結構つらいよ」


「とりあえずどこかの酒場に入ろうか。少し早いけど今日はいいでしょ」


「賛成。早速って、あれ? さっきまで後ろにいた人たちはどこに?」


「町に着いたんだからそれぞれの目的地に行ったんでしょ」


「これが霧のように消えるってやつか。本当に消えたな」


 いつの間にか雲散霧消していた徒歩の集団にトリスタンが唖然とした。元々存在の薄い人々であったが、ここまで静かにかつきれいに消え失せるとは思わなかったのだ。


 そんなつい先程まで存在していた集団について驚いているトリスタンの隣で、ユウは周囲を見て首をかしげた。トレハーの町の北門に近づいてきたというのにあまり人影を見かけない。この辺りは北門まで伸びている宝物の街道沿いに宿屋街と歓楽街の店が並んでいるのにだ。


 それが海賊の出没による影響だとユウも何となく勘付くが、まだそれをこの影響に結びつけるだけの見識がない。なので、不思議に思うばかりだった。


 ともかく、今は疲労を癒やしと空腹を解消しなければならない。ユウはトリスタンを促して近くの安酒場へと入った。しかし、そこでまたもや驚く。店内に客がほとんどいないのだ。


 店の入口で呆然とする2人に給仕女が近づいてくる。


「お客さんじゃないか。さぁ、入って入って。どのテーブルでも好きなところを陣取ったらいいわよ」


「でも、僕たち2人だけですから、カウンター席の方が良いでしょう?」


「いいのよ。どうせかき入れ時になったって満席になりゃしないんだから」


「海賊が出て困っているって聞いたことがありますけど、これもその影響なんですか?」


「そうだよ! あいつらが海に出る船を片っ端からぶんどっちまうもんだから、ここから荷を運べなくなったのさ。しかも調子に乗って川の方まで荒らしてさ。おかげでこの町に品物を送り込んでも無駄だって思った商売人が荷を送らなくなるわ、港で働いていた人足もいなくなるわでこっちは大変なんだよ」


 余程不満に思っていたのだろう、ユウは給仕女の怒濤の愚痴を聞かされる羽目になった。いきなりのことで為す術もなく延々と海賊への罵詈雑言を浴びせられたユウは固まる。


 腹の底のものを吐き出した給仕女はすっきりとした顔でユウとトリスタンにテーブルを改めて勧めた。それから注文を尋ね、代金を要求する。


「何がほしいんだい?」


「僕はエール、黒パン1つ、スープ、肉の盛り合わせです」


「俺はエール2杯に肉の盛り合わせを頼みます」


「ありがと。あんたは鉄貨470枚、そっちは鉄貨420枚だよ」


「え!? いくらなんでも高すぎません?」


「そうだぞ。半分くらいじゃないのか?」


「間違いなんかじゃないよ。何しろ食材の仕入れにバカみたいにカネがかかるのさ。さっきも言ったけど、今はこの町に物が入りにくくなってるせいなんだよ。ちなみに、どこも同じだからね」


 理由を聞いたユウとトリスタンは再び呆然とした。物価が高くなっていることは予想していたが、いざ身近に感じて見ると改めて衝撃を受けてしまう。


 言われるがままに代金を支払った2人はテーブルに肘を突いて顔を見合わせた。ため息をついた後、ユウが呻くようにつぶやく。


「実際に体験してみると、結構きついね」


「まったくだ。頭が真っ白になったよ」


「思っていたとおりだったけど、あんまり長居できないかな、やっぱり」


「俺もそう思う。調査期間は3日だったか? もっと短くするか?」


「いや、予定通り3日だよ。でないと調査が不充分になるから。ただ、酒場で食べるのは今日と最終日の夕飯だけにしよう。他は3食干し肉で」


「どうにもみみっちいが仕方ないか。ただ、水はどうにもならなけど」


「そこはもう諦めよう。背に腹は代えられないから」


「おかしいな。単に海を見に来ただけなのに、どうして俺はこんな苦労をしているんだろう?」


「はいお待ちどう! ゆっくりしていっておくれ」


 自分に疑問を持ち始めたトリスタンが悩みかけたときに給仕女が料理と酒を運んできた。テーブルに注文の品が並ぶ。


 空腹を刺激された2人はエールを飲んだ後、他の料理に手を付けた。今まで6日間口にしていなかった温かい食べ物が口と胃を満たしていく。しばらく無言で口と手を動かした。


 やがてある程度腹を満たすとユウがトリスタンに話しかける。


「味は悪くないし、量もこんなものかな。値段が上がっただけみたいだね」


「そうだな。これで量までケチられていたらたまらないよ」


「いきなり町の実態を突きつけられた感じだよね」


「まったくだ。物価が体感で2倍くらいになっている気がするぞ」


「そんなに上がったと見るべきなのか、まだその程度で済んでいると見るべきなのか、難しいところだね」


「調査してその辺のことがわかるといいんだけどな」


 次第に遅くなりながらも口と手を動かしながらユウとトリスタンは感想を言い合った。既にトレハーの町の調査は始まっていると見るべきならば、この食事も調査の一環である。思うところはすべて吐き出してまとめてから書き記さなければならない。


 2人は静かにしゃべりつつも食事を続けた。




 空腹を満たして安酒場を出た頃にはすっかり日が暮れていた。トレハーの町はほとんど静かで人通りがあまりない。周囲の店舗も明かりを提供しているところはどこにもなく、わずかな月明かりがなければ真っ暗な中を歩かなければいけなかったところだ。


 今の季節だと日没後最初の鐘が六の刻を示す。ユウとトリスタンはまだその鐘を聞いていないのだが、今の宿屋街の様子では下手をしたら日没と同時に受け付け終了の可能性も考えられた。さすがに野宿はもう勘弁だと思った2人は真剣に安宿を探す。


 宿の入口が開いている建物を見て回ると何軒かあったので、そのうちの1つに2人は入った。そうして宿の主人にユウが声をかける。


「1泊させてください」


「いいとも。1泊鉄貨25枚だよ」


「安いですね」


「そりゃそうさ。ほとんど誰も来ないんだからな。客引きをしようにも前の通りを客が歩いていないんじゃやりようがないしな」


「これも海賊のせいですか」


「ああそうだとも。あいつらが港を荒らしまくるせいでこっちは商売あがったりだ。やれるものならとっちめてやりたいよ」


「逆に、こんなときでもやって来るお客ってどんな人たちなんですか?」


「宝物の街道から荷馬車を使ってやって来る商売人とその護衛が一番多いな。あっちも盗賊は出るらしいが、海賊ほど頻繁じゃないから何とかなっているらしい」


「この辺に盗賊は少ないんですか?」


「元々大半の物は川で運んでいたからな。宝物の街道はあまり使われていなかったんだ。そんな寂れた街道で待ち伏せするような物好きな盗賊はあまりいなかったんだよ。今のところ、それが街道を使った輸送がうまくいっている理由らしい」


 宿の主人はそう言って肩をすくめた。今の町の状態は色々な綱渡りの産物であるらしい。


 なかなか危ない現状だと知ってユウとトリスタンは頭を抱えた。

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