街道を歩くということ

 トレハーの町を出発して2日目の旅が始まった。前方を進む荷馬車の集団と一定の距離を保ちつつユウとトリスタンも歩く。


 周囲の景色は昨日と変わりなかった。宝物の街道から少し離れた西側に岩雨の川が流れ、東側には原野が広がっている。点在している樹木がゆっくりと後ろへ流れてゆくことから前に進んでいることが自覚できた。


 天気は昨日とは違って曇り空が広がっている。寒風は相変わらずなので一層寒い。外套を持っているユウとトリスタンはそれで身を包んだ。


 荷馬車の集団が昼休憩に入ると徒歩の集団も同じく腰を下ろす。寒い中、人々はそれぞれ思い思いに休んでいた。


 2人も背嚢はいのうを地面に降ろして干し肉を囓っている。ユウはぼんやりと荷馬車の集団を見つめていた。それに対して、トリスタンは徒歩の集団の面々を眺めている。


「ユウ、1人気になる人がいるんだが」


「追い剥ぎしそうな人でも見つけたの?」


「そうじゃない。体の調子が悪そうな人がいるんだ。あそこの中年の男」


 相棒の視線を追いかけたユウは気分が悪そうな様子の男を目にした。ユウたちが原っぱに立ったとき、最も早くやって来た旅人である。


「町を出る直前は平気そうだったけど、歩き始めてからどこか具合が悪くなったのかもしれないね」


「あれも放っておくのか?」


「面倒を見て具合が良くなるならまだしも、悪化したら手が施せないよ。どこまで面倒を見るつもりなの?」


「それは」


「僕だってあの人を放っておくのは気分が悪いよ。でも、一度介抱して寄りかかられても困るんだ。病人1人を介抱するのがどれだけ大変なことか、3日前まで嫌と言うほど体験したでしょ。今は荷馬車も道具も薬もないんだ。徒歩の旅人なんてとても助けられないよ」


 諭しながらユウが思い出すのは先日の依頼の件だった。老商売人の願いを聞き入れて町から町へと運んだ仕事である。あのときは、老商売人自らが荷馬車、食料、薬、各種道具、隊商、そして報酬を用意した。だからこそ、自分の家に帰ることができたのである。それは逆に言うと、そこまでできないと病人は町から町へと移れないのだ。


 具合が悪くなった旅人もそれを百も承知のはずだとユウは考える。どんな理由があって旅を続けているのかはわからなくても、街道上で何かあったらそのときはそのときという覚悟はあるはずだろうし、ないといけない。徒歩の集団で他人を支えられる余裕のある者はいないのだ。


 荷馬車の集団の昼休憩が終わった。先頭から順次荷馬車が動いてゆく。それに合わせて徒歩の集団も腰を上げて歩き始めた。


 集団の先頭を歩くユウとトリスタンは荷馬車を見ながら前に進む。いつも通り付かず離れずだ。最後尾の荷馬車に乗り込んでいる護衛の傭兵の1人がこちらに顔を向けているが無表情である。


 黙々と歩いていると、ユウの隣を歩くトリスタンが後ろを振り返った。それからユウへと顔を向ける。


「あの中年の男が遅れ始めたぞ」


 告げられたユウも後ろに振り向いた。すぐ近くにはばらつきながらも徒歩の集団の人々が歩いている。例の旅人はそこからかなり後方を歩いていた。


 あれはもう駄目だなとユウは直感した。宿場町や宿駅が一定間隔である街道ならまだ運を天に任せられるが、野宿が前提の街道では天に任せられる運などない。多少の違いはあれ、結末は決まっているのだ。


 再び顔を前に向けたユウはそのまま黙って歩いた。




 トレハーの町を出発して3日目、この日は天気が良かった。相変わらず寒風は吹いているが、日差しのおかげで多少はましである。


 前方を進む荷馬車の集団と一定の距離を保ちつつユウとトリスタンが歩いていると、突然何かが折れる音がした。その直後、後ろから2台目の荷馬車の右後輪が本体から外れて街道上を転がって倒れ伏す。最後尾の荷馬車を操っていた御者が慌てて馬を止めた。


 そこから先は大騒ぎだ。他の荷馬車もすべて停車して脱輪した荷馬車に人を寄越す。ある者は御者に話しかけ、ある者は脱輪した車輪を持ち上げ、ある者は荷台の中を覗く。


 荷馬車の集団の後方を歩いていた徒歩の集団も立ち止まった。この旅は荷馬車の集団の後をついて行くというのが前提なので、追い越して進むわけにはいかないのだ。何とも言えない雰囲気が徒歩の集団に漂う。


 何とかしようと奮闘している荷馬車の集団の人々をユウはのんびりと見ていた。同じく前方の様子を眺めているトリスタンから声をかけられる。


「俺たちが荷馬車の護衛をしてたときにも、あんなことがあったよな」


「そうだね。割と手際よくみんなが動いているのを見ると、あの集団って隊商か全員が知り合いなのかもしれない」


「寄せ集めの集団だとどうなるんだ?」


「あんなにみんな一緒に作業なんてしないよ。じっと見守っているだけ」


「うわ、それは。あでも、それで日程が遅れると他の商売人も困るんじゃないのか?」


「それをどう受け止めて考えるかは商売人次第かな。仕方なく手伝うか、手間賃をもらって助けるか、それとも置き去りにするか」


「最後ひどいな!」


「僕も聞いた話だよ。実際にその場を見たわけじゃないからね」


 目を見開いて叫んだトリスタンに対してユウが冷静に返した。


 その間にも荷馬車の集団内では事態が推移していく。早々に荷馬車を諦めたらしく、関係者が壊れた荷馬車から荷物を他の荷馬車へと運び込んでいた。会話の内容は聞こえないので、無償なのか有償なのかはわからない。


 待っている間、徒歩の集団の人々は様々だった。ぼんやりと立って荷馬車の集団の様子を眺めている者がいれば、座って休憩している者もいる。


 時間はかかったが、やがて壊れた荷馬車からの荷物の運び出しが終わった。ついで幌が剥ぎ取られてゆく。布は貴重なのだ。それにまた別の荷馬車に付け替えればよい。


 馬は依然として繋がれたままであり、荷台が空になると壊れた荷馬車を街道の外まで移動させた。それで終わりかと差にあらず、何人かが斧を使って荷馬車を解体し始める。作業しているのは主に護衛の傭兵で手慣れていた。


 その様子を眺めていたトリスタンが怪訝そうな表情を浮かべる。


「ユウ、あいつらなんで馬車を壊しているんだ?」


「これは推測になるんだけど、恐らく剥ぎ取った木材を薪代わりに使うんじゃないかな。薪代だってただじゃないし、捨てる荷馬車から少しでも損を取り戻そうとしているんだと思う」


「なるほどなぁ。あそこまでするのか」


「僕も初めて見たよ。随分と徹底しているね」


「俺たちが護衛していたあのときは、あそこまでしなかったよな?」


「そうなんだよね。考え方か習慣の違いかもしれない。実際どうなんだろう」


 返答しているユウも小首をかしげながら話した。実際のところはわからないのでそれ以上は何とも言えない。


 壊れた荷馬車の解体作業は案外早く終わった。完全に解体するつもりはなかったようで、いくらか木の板を外すと全員が動ける荷馬車に戻ってゆく。全員が荷馬車に乗り込むと再び動き始めた。


 最初から最後までその様子を眺めていたユウたちも歩き始める。いくらか予定が遅れてしまったが、旅には予定の狂いなど付きものだ。気にすることもない。


 前に進むと例の破壊された荷馬車が近くなってきた。右後輪のないそれは帆を剥ぎ取られ、一部は更に板も剥ぎ取られている。


 ああなった荷馬車に金目の物などないことを知っているユウはトリスタンと共に通り過ぎた。体力に比較的余裕があるとはいえ、それは荷馬車から離れてしまっても良い理由にはならない。遅れを取り戻すために余計な体力を使うわけにはいかないのだ。


 しかし、中にはそれがわからない者もいる。あるいは変に期待しているのかもしれない。そんな数人が徒歩の集団から離れて荷馬車へと足を向ける。それを咎める者はもちろん、目を向ける者すらいない。


 その後は何事もなく夕方まで進むことができた。荷馬車の集団はもちろん、徒歩の集団も前日と同じように野宿を始める。


 街道の縁に座ったユウもその日の夕飯を口にした。手にした干し肉は相変わらず硬くて冷たい。


「ユウ、朝より人数が減っていないか?」


「荷馬車に行った誰かが戻ってきていないのかもしれないね」


 口を動かしながら徒歩の集団に目を向けたユウは確かに人数が減っていることに気付いた。今まで進んで来た方へと更に顔を向けたが、濃い西日を受ける街道が地平線まで見えるばかりだ。


 腰を据えて荷馬車をあさっているのか、たくさんの成果を手にして今もこちらに向かってきているのか、何らかの思惑があって引き返したのか、それとも別の何かがあったのはわからない。


 何にせよ、今のユウが見かけなくなった人々にできることはない。


 喉が渇いたユウは干し肉を飲み込むと水袋に口を付けた。

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