次の町まで歩こう

 トリスタンの海を見たいという希望を叶えるべく、ユウはどうにかしてトレハーの町での仕事を手にした。残念ながらどう頑張っても赤字ではあるが、どうにか滞在期間分の費用だけで済む目処が付く。


 冒険者ギルド城外支所の建物を出たユウは一旦そこで立ち止まった。同じく止まったトリスタンが顔を向ける。


「どうしたんだ?」


「ああうん、今引き受けた仕事に関して、ちょっと嫌なことに思い至って」


「それはなんだい?」


「海賊のせいで水路も陸路も物の流れが滞っているっていうことは、物価が大変なことになっているんじゃないかなって思ったんだ」


 話を聞いたトリスタンが絶句した。考えてみれば当然で、物流が滞っても人がその町にいる限り最低限の消費は発生し続ける。そして、物が入って来なくなればそれを求める人々によって物の値段が上がるのは当然だ。


 不安そうな顔をトリスタンがユウに向ける。


「どうするつもりなんだ?」


「トレハーの町ではできるだけ何も買わないようにするのが一番だね。水袋に限りがあるから水はどうしようもないけれど、干し肉はここで買い集めて持っていける」


「他にできることはあるか?」


「準備できるのはそれくらいかな。あとは向こうで安宿に泊まるのと、町の中の調査は1日で済ませることかな。あっちでの調査は3日が限度だろうね。僕たちの手持ちだと」


「楽な仕事だと思ったんだけどなぁ」


「仕事は楽だと思うよ。ただ、状況が厳しすぎるだけで」


「それは慰めになっていないぞ」


 対策を聞いたトリスタンがため息をついた。それでも、行く以上は思い付くことはやっておかないといけない。


 2人は酒場に行って水袋を満たし、必要と思われるだけの干し肉を買い込む。


「あ~あ、せっかく背嚢はいのうの中の干し肉を半分くらいまで減らせたのに」


「そういえば、一時期やたらと干し肉を持っていたよな。銅貨を処分するためだったか?」


「うん。まぁこれも、またこの町に戻ってくるときにはほとんどなくなっているんだろうけどね。また干し肉でぱんぱんになっちゃった」


「食べ物だけ2週間分以上あるわけか。思っていたよりもちょっと重いな」


「諦めて担ぐしかないよ。トレハーの町で高い買い物をしたくなければね」


 若干情けない顔をしているトリスタンにユウが慰めた。そして、酒場から出て道を歩く。吐き出す白い息がいつもより少しだけ多かった。




 翌朝、ユウとトリスタンは出発の準備を整えると安宿を出た。日の出直前の薄暗い道を進む。先頭を歩くユウはいつも通りの調子だが、一歩後ろを歩くトリスタンの顔にはわずかに不安げな表情が浮かんでいた。


 町の東の郊外に着いたところでトリスタンがユウに声をかける。


「ユウ、昨日話してくれた徒歩の集団なんだけどな、本当に大丈夫なんだよな?」


「大丈夫だって約束できるくらいなら、昨日あんな話はしなかったよ。大体、あらましは前にも1回聞いていたでしょ」


「確かにそうなんだが、いざ自分が本当に歩くとなるとやっぱり不安になってきたんだよ」


「気持ちはわかるけど、これから長い旅の中にはこういうこともあるだろうから、今のうちに慣れておいた方が良いよ」


 郊外の原っぱの上を歩くユウがわずかにトリスタンへと振り向いた。そのとき、地平線の向こうから太陽が姿を現す。真正面なので非常に眩しい。思わず右手を目にかざす。


 原っぱには荷馬車が何台か停車しているが、今まで見てきた町の中で圧倒的に数が少なかった。岩雨の川が使えない今でさえこの程度しか荷馬車がないことにトレハーの町の苦境が察せられる。


「トリスタン、この辺りでちょっと待とうか」


「ここ? 荷馬車もないし、人もいないぞ?」


「荷馬車は数えるくらいしかないから動けばすぐわかるし、人はそのうちやって来るよ。トレハーの町に行きたい人がいるのなら」


「俺たち以外にそんな奴がいるのかねぇ」


 半信半疑といった様子でトリスタンがユウに言葉を返した。寒風が緩やかに吹くこの場所に何かあるとは思えないという表情を浮かべる。


 2人がしばらくじっと立っていると、まったく知らない赤の他人が近くに寄ってきて立ち止まった。中年の旅人の風貌である。ついで荷物を抱えた行商人が少し離れた場所で立ち止まったそれを皮切りに少しずつ人が集まってくる。


「ユウ、人が集まってきたな」


「人がいるところへとみんな集まる傾向があるんだ。最初ここには誰もいなかったでしょ? だから僕たち2人が立っているだけで人が集まってくるんだよ」


「本当にどこからともなく現れてきたな」


 周囲に集まる人々を見回したトリスタンが感心するとも呆れるとも受け取れるつぶやきを漏らした。周囲には遮る物がほとんど何もないにもかかわらず、どこからやって来たのかはっきりとしない。


 日が昇ってしばらくすると6台の荷馬車が原っぱから宝物の街道へと移ってきた。それを目にしていたユウは互いの間隔を離して歩き始める。すると、他の旅人や行商人たちもついてきた。


 自分たちの前を進む荷馬車と後ろを歩く人々を交互に見たトリスタンがつぶやく。


「挨拶もなしか。聞いてはいたけど、目の当たりにすると何とも言えないな」


「そうだね。本当にたまたまそこに人がいるっていう感じなんだ。初めてのときは僕も驚いたよ」


「これだと助け合いなんてとても期待できそうにないな」


 小さなため息をついたトリスタンが首を左右に振った。


 色々と衝撃を受けているトリスタンだったが、そんなことは荷馬車の集団にもユウ以外の徒歩の集団にも関係のない話だ。どちらも黙々とトレハーの町に向かって進む。移動は昼休憩を挟んで夕方まで続いた。


 通常、街道上には宿場町や宿駅が点在しているものだ。通行人の利便性を図って利益を得たり、国家の連絡網として貢献するためである。しかし、街道の中でもそれらが存在しない場合があった。例えば、国境近辺など治安が悪い場所や寂れて人がほとんど訪れない場所などだ。


 アカムの町とトレハーの町を結ぶ宝物の街道の場合は岩雨の川で物資の運搬の大半を担えるため、普段から交通量が多くなかった。何しろ下りなら陸路の半分の日数で届けられ、おまけに盗賊の被害を受けずに済むのだ。陸路よりも水路の方が盛んになるというものである。そのため、この辺りには安心して休憩できる場所は存在しなかった。


 初日の夕方、荷馬車の集団が野営の準備を始めるのをユウは目にする。それから更に少し歩いてから立ち止まった。隣を歩くトリスタンに声をかけられる。


「もっと近づかなくてもいいのか?」


「あんまり近づきすぎると追い払われるから、このくらいで良いんだよ。自分が荷馬車の護衛をしていたときのことを思い出すんだ」


「あ~、そう言われると、こんなものかな。追い払いにいくのも面倒な距離だし」


「そういうこと」


「それにしても、冷えるな。今日はここで野宿か。本当にここで寝るのか?」


「他に場所なんてないでしょ?」


「宿屋の寝台が恋しいよ」


 背中から背嚢を降ろしたトリスタンが街道の端の原っぱに座り込んだ。大きく息を吐き出してからうつむく。


 自分の背嚢から干し肉を取り出したユウがトリスタンの隣に座った。その端を囓って咀嚼する。


「トリスタン、初めて歩いた感想はどうだった?」


「丸1日歩くのって結構しんどいな。しかも相手に合わせてというのが地味にきつい」


「でも、荷馬車の動く速さが僕たちとほとんど同じだから助かるでしょ」


「それは確実にあるな。あと、助けてもらえないとわかっていても、前に荷馬車がいるのは安心できることがわかったよ」


「あの気持ちって不思議だよね」


「そうだな。これで盗賊に襲われなかったら言うことはないんだが」


「今日はたぶん襲われないだろうね」


「どうしてわかるんだ?」


「盗賊の物見を見かけなかったからだよ。あっちも空振りは嫌だから、必ず街道上に獲物がいるか見張りを立てているものなんだ。でも、今日はその見張り役を見かけなかったからね」


「見落とした可能性は?」


「もちろんあるよ。でも襲われる場合は大抵街道の真ん中くらいだから、今日は大丈夫だと思う」


「だったら今晩の見張りはいらないんじゃないのか?」


「獣の襲撃がなければね」


「忘れていたよ、くそ」


 面白くなさそうにトリスタンは取り出した干し肉を囓った。


 この後、トリスタンは初めての徒歩の旅の野営で色々と体験する。冬の平原で寒風に吹かれてなかなか寝付けなかったり、獣の襲撃にも怯えたり、徒歩の集団の中の不審者に注意を払ったりなど、様々な体験だ。しかしもっとも驚いたのは、誰も見張り番をしようとしないことだった。


 やがて一晩が明けて周囲がうっすらと明るくなっていく。徒歩の旅の2日目がもうすぐ始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る