通貨の使える範囲

 自力で帰れなくなったハーマンとその荷馬車を家に送り届ける旅が始まった。主にユウが老商売人の世話をし、トリスタンが荷馬車を操作する。しかし、夜の見張り番があるため負担の偏りを解消するべく、ユウはトリスタンから荷馬車の運転を習い始めた。


 ただ、ユウがすぐに荷馬車を扱えるとは誰も思っていないので、何かしら工夫をしないと共倒れになりかねない。そこで、夜の見張り番を鐘の音1回分で交代することにした。見張り番をするときはきついが、ある程度まとまって眠れるようになったのは助かる。


 こうして足りない人数で仕事を果たせるよう2人は考えては実践した。


 一方、雇い主であるハーマンは基本的に荷馬車で寝たままである。若者からすれば楽しているようにしか見えないが、病を得た老体ということを考えると羨ましいとも思えない。冬の寒い時期なので、いつあっさりと逝ってしまうかわからないのだ。


 そんなハーマンだが、昼間移動するときだけでなく、夜眠るときもずっと荷馬車に居続けた。宿まで動けることは動けるのだが、宿場町や安宿は大部屋ばかりである。1つの寝台で3人が眠る場所で安眠できるかと問われれば無理であった。そのため、荷馬車は天井や側面だけでなく、前後も布で締め切って寒風を防ぐ工夫をしている。


 ある日の昼、ユウはハーマンが用意した調理器具と薪を使って簡単な料理を作っていた。薄いエールを満たした鍋にちぎった黒パンと刻んだ干し肉を入れて温める。できあがると皿に入れて立ち上がった。やって来たトリスタンに声をかける。


「ハーマンさんの分は皿に入れたから、もう食べてもいいよ」


「そうか! 寒いときには温かい食べ物がいいよな! 旅のときに毎日食べられるなんて」


「食べ終わったら鍋を片付けておいてね」


「わかっているよ。任せとけって」


 嬉しそうにトリスタンが鍋の前に座ってパンと干し肉の粥を食べ始めた。昼休憩は時間に限りがあるので片付けも急ぐ必要がある。そのため、余った粥を素早く食べて調理器具を片付ける役目をトリスタンが担っているのだ。


 それを気にすることなくユウは荷台に上がる。そして、ハーマンの上半身を起こすと皿とさじを手に持たせた。雇い主が自ら食べ始めるのを見届けると自分の背嚢はいのうから干し肉を取り出す。


「相棒は温かい飯にありつけているというのにユウは冷たい干し肉か。損をしておるの」


「町に着いたら熱いご飯を思い切り食べますからそれまでの我慢ですよ」


「人を妬まないというのは感心じゃな」


「仕事なんですから、大抵の人は我慢するものでしょう?」


「そうでもないぞ。食い物の恨みは恐ろしいという言葉を聞いたことはないのか?」


「確かにそんな言葉もありましたね。だからといってトリスタンを恨む気にはなれないですが。だって、鍋の中を片付けるよう勧めたのは僕なんですから」


「ほほう、自分からか。まったくの善意からか?」


「そういうわけではないですよ。使った調理器具を洗って片付けてくれるお駄賃みたいなものですから。あと、荷馬車の運転の仕方や馬の扱い方を教えてもらっているお礼っていう意味もあるかな」


「仕事で必要じゃから教わっておるのじゃろう? なら、教えているトリスタンにも利があるのではないのか?」


「残念ながら、この旅の間にトリスタンの負担を軽くできるほど習熟できなさそうなんですよ。ハーマンさんの3度の食事を作る時間や荷馬車の移動中のお世話なんかが思った以上に忙しいんで」


「ワシのせいということか」


「報酬をもらって仕事をしているんですからそこはトリスタンも納得していますよ。でも、そうするとトリスタンは一方的に僕に技術を教えるだけになるでしょう? さすがにそれは悪いなと思って」


「なるほどのう。それで朝昼晩と鍋の中を片付けさせておるのか」


「しゃべるのは良いですけど食べてくださいよ」


「おおそうじゃった。すまん」


 苦笑いしたハーマンが皿を顔に近づけて粥を匙ですくった。それをゆっくり口の中に入れて噛む。


 隣でユウも干し肉を囓った。すると、しばらく食べていたハーマンに声をかけられる。


「ときにユウ、あんたは東の果てを見たいと前に話しておったな」


「はい。まだかなり先みたいですが」


「そうなると、いくつもの国を超えて行くことになるが、路銀はあるのか?」


「基本的には稼ぎながら進んでいますよ。今みたいに」


「それだけでは足りんときもあるじゃろう。蓄えはあるのか?」


「いくらかは。まるっきりないと不安ですからね」


「もっともじゃな。しかし、その蓄えがもし貨幣だとしたら、これはちと厄介じゃのう」


「もしかして、両替の話ですか?」


「なんじゃ、気付いておったのか」


「一度は両替しそびれて損をしたこともありましたからね。ただ、あれって難しいんですよ。いつも狙った街道を通れるとは限らないんで」


「ワシらみたいにある程度決まった経路を回る商売人とは違い、ユウは旅人のようなもんじゃからな。その辺りは往生するじゃろう」


「その通りです。この前もロクロスの町に船でやって来る前に、トラドの町で困ったことがあったんです。マグニファ王国はあの町までですから、銅貨を使い切らないといけなかったんですよ」


「銅貨か! 金貨や銀貨なら最悪高い手数料で両替できるが、銅貨はなぁ。で、そのマグニファ銅貨はどうしたんじゃ?」


「全部保存食の干し肉に替えました。おかげで背嚢の中が今も干し肉だらけです」


「はは、それは大変じゃな。ということは、今食っておるそれはそのときに買った物か」


「そうですよ」


 自分の苦労話を聞いて笑うハーマンにユウは力ない笑みを返した。進んでこういう体験を求めているわけではないが、今後もこの手の話は増えていくのだろうなと漠然と想像する。


「でも、この前ミネルゴ市で思ったんですけど、商人ギルドで両替したり、宝石や貴金属を買うことができるのって、やっぱり強いですよね」


「もちろんじゃ。商人ギルドの存在意義の1つじゃよ。あれのおかげでどれだけ助かったか。同時に、色々と大変な目にも遭ったがの」


「そうですよね。さすがに良いことばかりじゃないですよね。ただ、僕は商人ギルドに所属していないんでやっぱり両替のところだけ見て羨ましいと思ってしまいますねぇ」


「まぁ外から見ておったらそんなものじゃろう。ときにユウ、通貨の話は誰からどうやって聞き出しておるんじゃ?」


「荷馬車の護衛で雇い主の商売人に尋ねることが多いですね。冒険者ギルドの職員だと近場くらいしか知らないことが多いですから」


「なるほどのう。じゃったら、店の主から聞き出しても良いじゃろう。物を買ったときにわざと使えなさそうな通貨を出して、話のきっかけを作るんじゃ」


「ああ、そういうやり方もあるんですね」


「他にも、河川の流域、海洋航路の範囲、街道の沿線上の国家など、同じ経済圏で発行される通貨は互いの国家で流通しやすいというのも覚えておけば良い」


「ということは、宝物の街道沿いにある国の通貨はお互いに通用するということですか」


「その通りじゃ。特に川や海の場合は一見すると全然関係のなさそうな場所で通用することもあるからな。陸路と水路は別物なんじゃ」


 こうしてユウはハーマンと雑談を交わしながら食事を進めた。かつてユウが得られなかった商売の知恵の一部を今になって授かる。


 やがて荷馬車の外からトリスタンが荷台に顔を入れてきた。そのままユウに声をかける。


「ユウ、調理器具の洗いが終わったぞ。荷台に上げるから片付けてくれ」


「ありがとう。それじゃ乗せていって」


「トリスタン、今食い終わったからワシの食器を洗っておくれ」


 三者がそれぞれ言葉を発している間にもそれぞれ動いていた。トリスタンは調理器具を荷台に置き、ハーマンがユウに食器を手渡し、ユウがその食器をトリスタンに渡してから調理器具を持ち上げる。ここ数日でおなじみの光景だ。


 作業が終わると、ユウはトリスタンに続いて馬に近寄った。これから残りの昼休憩時間は馬について学ぶのだ。たまにハーマンに呼ばれることもあるが、それ以外はいつも馬の近くにいる。


 そうして時間になると隊商長の使いから出発の連絡を受けた。これから夕方まではいよいよユウが手綱と鞭を使うことになるのだ。


 御者台に乗ったユウが緊張した面持ちで構える。


「大丈夫かな」


「これまで何度か朝と夜に少し動かしただろう。あの感じで扱えばいけるよ」


「うん、わかった」


 次々と隊商の荷馬車が動き出していくのをユウはじっと見つめていた。昨晩までの練習を思い出してあの通りに動かせば良いと念じ続ける。体が多少強ばっていた。


 やがて自分の番になったのでゆっくりと鞭を入れる。荷馬車はいつも通り動き出した。

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