荷馬車の操作

 年の瀬も近づいていた冬の朝、ユウとトリスタンは出発の準備を終えると安宿を出た。薄暗い中を町の東の郊外に向かって歩き、点在する荷馬車を見ていく。


 2人は何度か訪ね回って隊商違いだと告げられた後、ようやく目当てのモーリス商会の荷馬車に出会った。隊商長と護衛隊長に挨拶をすると老商売人の荷馬車の停車場所を教えてもらう。


 目にした荷馬車は何とも傷みの激しいものだった。途中で分解しそうな気配すら漂っている。それに対して馬の方はしっかりとしていた。


 荷馬車の後方へと回って中を2人が覗くと荷台の中央に藁が敷き詰められており、その上に汚れた布が何枚か掛けられていた。ハーマンはその中に埋もれるように横たわっている。荷台の御者台側には必要な道具や食料などがまとめて置いてあった。


 幌の中にはそれだけしかなかったので2人は広く感じる。座るのも横になるのも苦労はしなさそうだった。


 荷台に上がったユウがハーマンに声をかける。


「おはようございます、ハーマンさん」


「おお、来てくれたか。もう1人は?」


「馬の様子を見に行っています。ハーマンさんは寒くないですか?」


「これだけ何枚も布を掛ければ寒くなどない。それよりも、積み込んである荷物の説明をしておこう。これからあんたらに扱ってもらわないといかんからな」


「わかりました」


 背嚢はいのうを荷台に置いたユウはハーマンの荷物に近づくと説明を受けながら1つずつ確認していった。食料や生活用品は扱い慣れたものばかりだ。薬は従うべき用法も教わる。特に困ることはなかった。


 すべての確認が終わるとユウはハーマンに振り向く。


「問題ないです」


「それは良かった。後は馬の様子だけじゃが」


 遠回しに促されたユウは荷台から御者台側へと顔を出して前方に顔を向けた。トリスタンの姿を見つけると声をかける。


「トリスタン、そっちはどう?」


「いい馬だよ。おとなしいし、これならやっていけるだろう。そっちは?」


「荷物はちゃんとあったし、ハーマンさんも問題ないよ」


「それは良かった。なら、後は出発の合図を待つばかりだな。っとそうだった、ユウ、ちょっとこっちに来てくれないか」


 相棒に呼ばれたユウは御者台に一旦乗りだしてから外に出た。そのままトリスタンへと近づく。


「どうしたの?」


「昨日話していた馬車の運転の練習の話だよ。ハーマンさんの様子を見たんだろう? できそうか?」


「ハーマンさんが突発的に何か言ってこなければできると思う。けど、あの寝ている姿を見ていると放っておくのはどうにも不安なんだよね」


「そうか。となると、難しいか」


「荷馬車の馬の扱いってそんな簡単にできるものなの?」


「この馬はおとなしいから、単に動かすだけなら難しくないと思ったんだ。できれば負担を減らしたかったんだがな」


 返答を聞いたトリスタンがやや渋い顔をした。


 これから6日間の旅が始まるわけだが、その間はユウとトリスタンの2人で護衛と病人の世話と荷馬車の操作をすることになる。これで厄介なのは護衛に含まれる夜の見張り番と荷馬車の操作だ。見張り番は2人で交代してするため寝不足になり、それでいて荷馬車の操作は昼間の間ずっとしないといけない。なのでトリスタンの負担が大きいのだ。


 そこで、出発、走行、停車をユウがとりあえず覚えて負担の均等化を図るのである。もちろん老商売人の容体が悪化したときは看護人の負担が激増するわけだが、まずは日々の負担の偏りを直そうとしているのだ。


 どうしたものかと考えたユウはトリスタンに告げる。


「ハーマンさんと相談しよう。雇い主の許可をもらわないとどうにもならないしね」


「そうだったな。それじゃ行こう」


 相棒に促されたユウはうなずくと荷馬車の前から中に入り込んだ。トリスタンは後ろから乗り込む。


「ハーマンさん、相談があるんです。荷馬車の操作の件についてなんですけど」


「どうかしたのか?」


「夜の見張り番を僕たち2人で交代してやるんですが、そうなると昼間の間ずっと荷馬車の操作をするトリスタンの負担が大きいんです。そこで、僕がトリスタンから動かし方を習ってその負担を和らげたいんですよ」


「あの馬はおとなしくて従順ですから、余程手荒な扱いをしない限り暴れません。ですから、とりあえず出発、走行、停車ができるようにユウを練習させてくれませんか?」


「本来は4人を想定していた作業を2人でするのだから無理が出てくるのは当然じゃな。それをどうにかしたいというのならば、ワシは構わんよ。ただし、ワシの面倒を見るのをおそろかにせんようにな」


「ありがとうございます」


 練習の許可を得られたユウとトリスタンは笑顔で礼をした。後はユウの習熟次第である。


 荷台の上でユウが荷物についての説明をトリスタンにし終わった頃、隊商の使用人から出発の連絡を告げられた。地平線から朝日が出たようで東側から急速に明るくなる。


 連絡を受けた2人は御者台に移った。ユウが左側、トリスタンが右側に座る。


「ユウ、とりあえず俺がどうするかを見ていてくれ。俺も説明していくが、気になったところはどんどん質問してくれていい。朝の間は基本的に見ているだけで、昼休憩に馬の世話や器具の説明をする」


「昼休憩のときはハーマンさんのご飯を作らないといけないんだ。あと薬も飲んでもらうのを手伝わないと」


「しまったそうだったな。そうなると夕方か」


「そうだね。他には朝起きた後かな。器具の点検もするならそのときトリスタンが教えて僕がやる形にすれば良いと思う」


「よし、なら朝晩の空いている時間に教えるぞ。可能ならそのときにちょっと動かしてみるんだ」


 2人が話をしている間にも隊商の荷馬車は順次出発していった。やがてハーマンの荷馬車が最後に続く。


 出発前の御者の姿勢から動き始めてからしばらくまでの間、ユウはトリスタンと馬の様子をじっと見つめていた。大まかには何をしているのかわかったものの、それ以上のことがわからない。


 宝物の街道に荷馬車が入ったところでトリスタンがユウに声をかける。


「ユウ、どうだ?」


「とりあえず見たけど、形だけしか真似できそうにないよ」


「最初はそれで充分だぞ。後は方向転換しない限りこのままじっとしていればいい」


「話だけ聞いていると簡単に聞こえるよね」


「まぁな。俺も最初はそれでいけると思って失敗した」


「今の僕は失敗すると大変なんだけど」


「責任重大だな」


「これ、すぐにはトリスタンの代わりになれないよね」


「たぶん、この旅の終わりの方でやっとどうにかなるってくらいじゃないかな」


「やらないよりましなのかもしれないけど、トリスタンの負担はあんまり取り除けそうにないね」


「なに、気休めくらいにはなるさ」


 のんびりと馬車を走らせながらトリスタンは楽しそうに笑った。


 この後、ユウは相棒の馬の操作をずっと見ていた、わけではない。今回の担当は雇い主の世話なのだ。呼ばれるとすぐに行く必要がある。


「ユウ、体を起こすのを手伝ってくれんか。水を飲みたいんじゃ」


「わかりました。今から起こしますよ」


 体の弱ってきているハーマンをユウは支えて起こした。少年時代、祖母を同じように何度も起こしたがあのときよりも楽にできる。他人の支えが必要なハーマンだが、まだ何とか体を動かせるようだ。


 次いでユウは老商売人に水袋を手渡す。するとゆっくりと口に水を含んで飲むのを見た。この間じっと待っている。用が済むと水袋を受け取り、横になる手助けをした。


 一連の作業を終えると、困惑した表情を浮かべたユウがハーマンに問いかける。


「あの、こんなことを聞くのも何ですけど、2週間程前までは本当に普通に働けていたんですか?」


「あんたがそういうのも無理はないのう。ワシもたった2週間でこんな風になるとは思わんかった。歳を取ると体が弱くなることは前から感じておったが、いきなり動かんようになるとは予想外じゃ」


「知っていたらたぶん、別の町には行かなかったですよね」


「そうじゃな。引退してすべて息子に任せておったろう」


 横になったハーマンがため息をついた。その後も愚痴のような話を聞くと、まだまだ現役だと張り切って仕事をしていたという。


「今回のことで、ワシの体はもう無理が利かんことがようわかった。帰ったら息子に全部譲って引退でもしようと思う」


「僕もそれが良いと思います。家族のいない別の町で倒れたら、動きようがないですから」


「そうじゃのう」


 何度目かのため息をついたハーマンはそのまま黙って目を閉じた。しばらくすると寝息を立てる。


 おおよそ規則正しい荷馬車の音と揺れが荷台を揺らしていた。その中で雇い主が起きてこないことをユウは知る。少ししてから脇に置いていた水袋を元の位置に戻した。

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