費用と危険の天秤

 トラドの町から輸送船に乗ったユウとトリスタンは岩雨の川をゆったりと下る。船賃を支払って船に乗っているため、この間は本当に何もすることがなかった。やれることと言えば周囲の景色を眺めることくらいだ。


 その周囲だが、岩雨の川が大地を南北に切り裂くように流れており、南側はその全域がグリアル王国である。大抵は灌木が広がっているが、たまに岩雨の川から水を引き入れる用水路がわずかに見えた。船長によると、灌木地帯の向こう側に畑が広がっているという。


 一方の北側はたまに景色が変化した。トラドの町近辺こそ地平線の近くに畑が点在していたが、船旅の2日目からは原野が広がる。たまに小高い丘や小さくまとまった樹木が点在していて、申し訳程度の変化を見せてくれていた。


 それを見ながらユウは独りごちる。


「商売人や旅人を襲うとしたら、丘や木の向こうに隠れてずっと待っているのかな」


 隊商や徒歩の集団を襲うとしたらユウとしてはそのくらいしか隠れる場所を見出せなかった。もしこの推測が正しいのなら、隊商に先行して傭兵なり冒険者を派遣して巡回させれば奇襲は防げるのではと考える。盗賊の数が圧倒的であった場合は正面からの強襲されて結局やられてしまうだろうが。


 そこまで考えてユウは苦笑いした。今は護衛をしているわけでもないのに仕事のことを考えてしまっている。仕事中毒というわけではないと自分では思っているが、このときばかりはその思いに自信をなくした。


 どうせ暇なら何かしようとユウは考えたがこれはなかなかうまくいかない。船が揺れるので羊皮紙に文字を書きにくいし、船上には荷物がいっぱいなので模擬試合もできなかった。やれることと言えば、体をほぐすことくらいだ。冷えた体を温めるのにもちょうど良い。


 船旅で目立った変化と言えば、岩雨の川を遡上してくる船を見かけるくらいだ。大抵はある程度離れているので船夫同士が手を振り合うくらいだが、たまに近いと短い雑談をすることもある。どこの酒場の酒がうまいだの、どこの賭場がイカサマをするかなどだ。


 そうして4日目の昼下がりに船はロクロスの町へと到着する。船着き場に船が寄る最中に五の刻の鐘が鳴り響いた。


 荷物番をしていたトリスタンの元へユウは戻る。生あくびをしながら目を向けられた。そんな相棒がゆっくりと立ち上がるのを見る。


「そろそろだね」


「やっと着いてくれたよ。船旅の欠点は寒いことと暇なことだな」


「貴族なんだから、人に運んでもらうのなんて慣れたものでしょ。暇の潰し方くらい知っているんじゃないの?」


「だったらこの4日間でやっていたよ。ユウにだって教えていたさ。話す相手がいなかったら、貴族だって暇を持て余すものだよ」


「その辺は僕たち貧民と変わらないんだね」


 しゃべりながらユウとトリスタンは自分の背嚢はいのうを背負った。荷物を背負ってから軽く揺すって具合を確かめる。


 準備が整って待っているとついに船が石造りの桟橋に接舷した。人足が往来するための板がかけられる。


 船長に礼を告げてから2人は船から下りた。久しぶりに揺れない石畳を踏みしめる。


「おお、揺れない地面だよ、トリスタン」


「普通の地面がこんなに安心感のあるものだとはな。地面様々だよ」


 いつもよりしっかりと足で地面を踏みながらユウとトリスタンは船着き場を歩いた。


 トラドの町まではマグニファ王国だったが、ロクロスの町からはリトラ王国の領域である。岩雨の川の中流から下流に位置するリトラ王国は中継貿易が盛んだ。このロクロスの町では東西に走る宝物の街道に対して岩塩の街道が南北に交差している。南からはグリアル王国産の穀物、北からはロックソルト共和国産の岩塩が運ばれるのだ。


 交易が盛んな町なので人もたくさん集まる。2人は船着き場から町の外周に移ってそれを体感した。町の東側にある歓楽街には夕方になる前から結構な人が往来している。


 歓楽街に入った2人はゆっくりと中を歩いていた。トリスタンが自分の前を歩くユウに声をかける。


「ユウ、これからどうする? 酒場に入るのはまだ少し早い気もするが」


「そうなんだけどね。時間があるから冒険者ギルドに行っても良いんだけども、どうしようかなぁ」


「そもそもこのロクロスの町の冒険者ギルドってどこにあるんだ?」


「この町の外周の北東辺りにあるらしいよ。船長さんから聞いたんだ」


「やるじゃないか。だったら行ってみよう」


「まぁいいけど」


 あまりやる気のない態度でユウは応じた。別に明日でも良いと考えていたのだが、トリスタンがやる気なので背中を押されるように冒険者ギルド城外支所へと向かう。


 城外支所の建物は確かに町の外周の北東にあった。石造りのしっかりとした建物だがいささか小さく、歓楽街と宿屋街に挟まれるように建っている。


 トラドの町とは異なり、冒険者の出入りはあまりない。時間帯にもよる可能性はあるが盛況という感じではなかった。


 2人はそのまま屋内に入る。冒険者はちらほらと見かけるが静かな印象が強い。受付カウンターには3人の職員が座っており、そのうちの1人の前には誰も並んでいなかった。


 手早く話を聞きたかった2人は待つ時間を惜しんで空いている受付係の前に立つ。今回はトリスタンが前に進み出た。顔を上げた受付係に声をかける。


「俺たち今日この町に着いたんですけど、次の仕事がないか見に来たんですよ」


「どんな仕事を探しているのかな?」


「アカムの町までの荷馬車の護衛の仕事があれば言うことはないんですけど」


「ここじゃ荷馬車の護衛は傭兵の仕事だよ」


「だったらどんな仕事があるんですか?」


「大体他のギルドの雑用ばっかりだねぇ。何しろこの辺りだと魔物もそんなにいないから」


「月1回トラドの町に荷馬車を向かわせているんですよね? あの護衛も傭兵なんですか?」


「そうだよ。向こうは今戦争のせいで冒険者が代わりに護衛をしてるけどね。こっちは関係のない話だし」


「その戦争をするために傭兵団がここを通ったりしませんか?」


「よく知ってるじゃないか。確かにやってくるよ。なかなか騒がしい連中だね」


 受付係が肩をすくめてトリスタンに返した。尋ねた本人は渋い表情をしている。


 横で話を聞いていたユウは2人の会話を聞いて考えをまとめていた。不明点があるので受付係に問いかける。


「確認したいんですが、この町とアカムの町の間って国境があったりしますか?」


「あるわけないよ。このロクロスの町とアカムの町は同じ国にあるんだから。ははぁ、結構遠い場所から来たんだね、あんたら」


「ということは、まだ安全な方なんですね、国境を越えるのに比べたら」


「そうだね。歩いて行くことを考えているなら、それでも警戒はしないといけないだろうけど」


「仮に毎日このギルドに通っていたら、アカムの町へ行くような仕事は見つかりそうですか?」


「そりゃそのうちには舞い込んでくるだろうね。護衛の仕事は傭兵に流れるけど、ちょっとした荷物を運ぶ仕事だったらたまにあるからね」


「どのくらいの頻度でありますか、その依頼?」


「1週間に1度あればいい方なんじゃないかな」


「地元の冒険者でないと引き受けられないなんてことはありますか?」


「割のいい仕事だったらそうなるかねぇ。割の悪いやつだったら回せるかも」


 何とも待つ甲斐のなさそうな返事をユウは得た。難しい顔をして考え込む。


 当初計画した案だとここから歩くことを考えていたので最悪仕事が見つからなくても良い。仕事があれば幸運というくらいの気持ちだったからだ。なので何日も仕事を待ってこのロクロスの町で滞在するつもりはない。


 一旦受付から離れたユウはトリスタンを伴って屋内の端に寄った。一度2人で話し合わないといけない。


「トリスタン、ここで仕事は期待できなさそうに思えるけど、どうする?」


「当初の予定だと街道を歩くか、船を使うかだったよな。俺も覚悟はしていたからこの町で粘る気はないけど。確か歩く方がずっと安くなるんだよな?」


「そうだよ。徒歩だと6日間かかるけどね。あと、盗賊や追い剥ぎに遭う可能性がある」


「そこだよな。ユウは歩いて旅をして盗賊に襲われたことがあったんだっけ?」


「追い剥ぎにも遭ったことがあるよ。嬉しくなかったけど」


「どうだった?」


「盗賊の場合、人数で圧倒されたらどうにもならない。ひたすら隠れてやり過ごすだけだった。追い剥ぎの場合は、相手が追い剥ぎだと見破れるかが勝負の分かれ目になる。ただ、今回はトリスタンもいるから、油断しなければやり過ごせる可能性はあるかな」


 説明を聞いたトリスタンが難しい顔をして黙った。危険は低いものの、それでも危ないことに変わりないのだ。


 2人はそのままじっと黙り込んだ。

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