戦争の足音
ユウの旅の準備はほぼ終わった。荷物は既にまとめてあり、まだ残っている所用を片付ければいつでも出発できる状態だ。
外に出る準備を済ませたユウは宿を出た。吐く息は少し白い。麻袋を小脇に抱えてトリスタンの寝泊まりする宿にたどり着く。あらかじめ宿の前で待っていたトリスタンと合流すると次は城外神殿に向かった。
アグリム神の神殿関係者に取り次ぎをお願いすると、すぐにエリオットが現れる。そのまま応接室へと案内された。
全員が椅子に座ると、ユウが麻袋から中身を取り出してテーブルの上に置いていく。
「エリオットさん、貸していただいた衣服一式をお返しします」
「そのまま受け取っていただいても良かったのですが。これは、洗濯されたのですか?」
「はい。下水路の悪臭でひどかったですから。僕ができる範囲できれいに洗ったんですけど、臭いはしていないですよね?」
「そうですね。特に臭いとも思いません」
「本当ですか? 良かった!」
「そこまで念入りに洗っていただけて嬉しいですよ」
「実は、僕の体や道具も一緒に洗ったんですけど、本当に臭いが取れているのか不安だったんです。どうしても臭うようなら香水を買おうかと思っていたくらいなんです」
素直な返答にエリオットが苦笑いした。しかし、ユウにとっては重要なことなのだ。洗濯と洗浄の結果にこのとき初めて満足できた。
衣類一式を脇に置き直したエリオットが次いでユウに話しかける。
「そちらのご用件は他にありますか?」
「ここで最初に引き受けた捜索の依頼、ジャッキーが殺人の容疑者だったときのやつですが、昨日冒険者ギルドに返却しました。あの依頼って、たぶん取り下げるんですよね?」
「そうですね。もう必要ありませんから。そうそう、そのジャッキーですが、形式的には殺人罪に問われますが後で恩赦になりそうです」
「良かったです。ジャッキーは単に巻き込まれただけですから」
「そうですね。我々も無実の者を処罰せずに済んでほっとしています。まさかあの依頼がこんな
「僕もです。何にせよ、ジャッキーが無罪になってくれそうで嬉しいです」
気にしていたジャッキーの処遇について寛大な処置になると知り、ユウは安堵した。これでもし罪に問われていたら抗議しているところである。
応接室の中の空気が弛緩してきたことにユウは気付いた。それはトリスタンも同じだったようで、やや前のめりになって口を開く。
「エリオットさん、それで今回の報酬なんですけど、そろそろいただきたいなと思うんですが」
「そうでしたね。もちろん覚えておりますよ。よろしいでしょう。今持って来させますので、しばしお待ちください」
「ありがとうございます!」
笑顔を浮かべて立ち上がったエリオットにトリスタンが声を弾ませた。隣に座るユウも喜ぶ。やはり報酬を受け取るときは嬉しい。
一旦席を外したエリオットが意外と早く再び姿を見せた。その背後には盆を持った灰色のローブの男が続く。そして、小さな革袋をユウとトリスタンの前に丁寧に置いた。
早速革袋に手を付けたトリスタンが中を覗き、直後に目を剥く。
「すごいぞ! 金貨5枚!? こんなに!」
「エリオットさん、いくら何でも多すぎませんか? 確かに役立ったとは思いますが」
「こちらの気持ちですよ。お二方に差し上げた報酬は信者殺しの事件を根本的に解決してくださったお礼です。それだけ我々が認めているということですよ」
にこやかに笑ってエリオットは返答してきたが、ユウとしては曖昧な表情のままうなずくしかなかった。口止め料も明らかに入っているからだ。なので、それ以上は黙る。
その後、ユウは本来の目的である金貨と貴金属の交換を済ましてから、2人は城外神殿を後にした。
緩やかに冷たい風が吹く中、ユウとトリスタンは貧民の道を南に向かって歩いている。特にこれといった理由はない。事後の処理を終えた今の2人に理由となるようなことはないのだ。
城外神殿を出て最初に口を開いたのはトリスタンだ。感心したような、それでいて呆れたような顔を向ける。
「しっかしお前、よくあれだけ溜め込んでいたな。どれだけ稼いでいたんだ」
「全部
「いいなぁ。あんな量の砂金、親が生きていた頃でも見たことないよ」
「それはトリスタンが小さいから見る機会がなかっただけじゃないの? 貴族だったんでしょ」
「貴族っても下っ端だったからな。法衣貴族だったから親父の方が仕事で扱うことはあったかもしれないけど、家にあったとは思えないんだ」
「なら、トリスタンもアディの町に行ってみる? ここから北に1週間もかからないよ」
「行けばすぐに稼げるかい?」
「最初の仲間探しさえうまくいけば」
「やっぱりそこかぁ!」
「僕の知り合いで、あっちの町に流れ着いた人たちって、みんな元からパーティを組んでいたんだよね。というより、1人でやって来たっていう人が僕以外にいなかったよ」
「ユウにとても親近感が湧いたね。ところで、1人でも稼げるのかな?」
「不可能じゃないけど、今度は別の冒険者に襲われるとかの問題があるからお勧めできないよ」
「どこも変わらないな」
話を聞いていたトリスタンががっくりと肩を落とした。それを見たユウが苦笑いする。
やがて冒険者ギルド城外支所南西派出所に差しかかった。時間帯で見れば冒険者の数は落ち着いているのだが、このときは出入口の近辺に人だかりができている。
「城外神殿に行くときはあんなのなかったのに」
「おい、あの野次馬の奥を見ろよ、あれは公示人じゃないか。普通は城内の中央広場で告知するのに、どうしてここにいるんだ?」
「近寄って聞いてみよう」
公示人は国王や領主から平民に告知があるときにそれを知らせる役目を負った者だ。上位者の威を示すため立派な身なりをしており、居丈高に告知内容を周囲に伝える。増税の話など聞いていて面白くない告知が大半だが、自分たちに関わりがあることが多いので誰もが耳を傾けた。
南西派出所の出入口の横に立つ者も一般的な態度の告知人だ。非常に修飾語句が多く、婉曲的な表現で話すためにわかりにくい。
近寄って告知内容を聞いたユウは首を
「トリスタン、冒険者を100人ほど募集していることはわかったけど、正しいよね?」
「大まかにはな。ああもう、平民や貧民に伝えるんだからそんな貴族的な言い方をしても通じないだろうに」
「それで結局、何て言っているわけ?」
「鉄級の冒険者100人を徴兵するんだとさ。人足も徴集されるらしい。冒険者の方は兵士が声がけした奴から連れて行かれるって言っているぞ」
「ここから?」
「そう、この南西派出所から。王都で鉄級の冒険者っていったらここだしな」
「でもどうして? 戦争には勝っていたんだよね?」
「勝って領地が広がったからそこを収めるため手足が足りなくなったらしい」
「なにそれ」
迷惑な話だとユウは思った。頼んでもいないのに戦争をして頭数が足りないから来いと言われても納得できない。
何とも言えない表情でユウとトリスタンが公示人を見ていると背後から声をかけられた。2人同時に振り向くと、そこには兵士風の男が立っている。
「貴様ら、冒険者だな。公示人の話を聞いただろ。今すぐこっちに来い」
「でもあれって鉄級ですよね。僕は銅級なんで関係ないですよ、ほら」
「なにぃ? 本当に銅の色をしてやがる。ちっ、貴様はどうなんだ?」
「鉄級ですが」
「よし、なら貴様は来い!」
「でも俺、貴族なんですよ。これがダインリー男爵家の身分証明書です」
「なにぃ!? くっ、オレは字が読めん! ちょっと貸せ、隊長に聞いてくる!」
困惑した兵士がトリスタンから羊皮紙を受け取ると離れた場所にいる隊長の元に走って行った。説明を受けたらしいその隊長は目を剥いて身分証明書とトリスタンを何度も見ている。
「トリスタン、あれで何とかなるのかな?」
「冒険者と人足を集めているってことは、城内の都市民は対象外のはず。だから今の段階は回避できるはずなんだ」
待っている間2人がしゃべっていると兵士が戻ってきた。すると、先程とは違ってしゃちほこばった態度で接してくる。
「先程は失礼しました。隊長に確認したところ、今回の徴兵では対象外とのことです。これはお返しいたします」
「ありがとう。紛らわしいことをして悪いな」
「いえ、それでは」
姿勢正しく踵を返した兵士は別の方へと向かった。そして、他の冒険者へと声をかけ始める。
ユウとトリスタンはそれを見て大きく息を吐き出した。
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