下水路網での襲撃(後)

 下水路内での戦いは基本的に色々と制限を受ける。歩道の幅は幹線下水路であっても3レテム程度しかなく、側面の片方は壁、反対側は必ず汚水の流れている下水溝だ。


 ここで問題になるのが歩道の幅だ。3レテム程度というのは普段歩いて人とすれ違うというのには充分な広さだが、縦横に戦うとなるとせいぜい1人が限度である。左右を気にしながら戦うのであれば並んで戦うことも可能だが、壁側に立つ者は武器の刃先が壁にぶつからないように注意する必要があり、下水溝側の者は落ちないように気を付けないといけない。


 幹線下水路で始まったユウとトリスタンの戦いはそんな場所で繰り広げられている。2人は背を向け合って前後から襲ってくる敵に対処していた。


 トリスタンは2人の冒険者と戦っている。1人は大下水溝側に立ってトリスタンと真正面から戦い、もう1人は壁側から剣で突いてきた。壁側の冒険者はあくまでも支援に徹している。後退しながら戦うのが最も楽であるが、背後にユウがいるので簡単には下がれない。何とかその場に踏みとどまって相手の攻撃を受け流していた。


 一方、早々に松明たいまつを手放したユウの方はサイモンと一騎打ちの状態だ。激高したサイモンが歩道の真ん中に立って武器である剣を派手に振り回している。残る3人はそのせいでユウに近づけず、支援もできない。


「オラオラ、どうしたぁ! 口だけかてめぇはよぉ!」


 笑いながらサイモンがユウを攻め立てた。剣で何度か単調な攻撃を繰り返し、その後に別の角度から突いたり斬りつけたりしている。


 一見すると圧倒的に不利なユウだったが、体術と槌矛メイスを使って躱していた。攻撃の型が一定なので慣れると避けるのは難しくない。慎重に見極めながら徐々に壁際へと寄っていく。


 何度か同じ攻防を繰り返した後、ついにそのときは来た。サイモンの振り下ろした剣が壁にぶつかったのだ。そのため、サイモンの体が一瞬硬直する。


 その隙を突いてユウは槌矛メイスをサイモンの右手に振り下ろした。悲鳴を上げたサイモンが剣を手放すと、更に左肩や左腕などを叩いてうずくまらせる。


 今いる場所から一歩下がったユウは顔を横に向けた。動けなかった3人が動こうとしているのを目にする。まとめて相手をできるは今しかないと判断し、腰の悪臭玉を手にして3人の足下に投げつけた。狙い通り悪臭玉は3人の足下で破裂する。煙が辺りに広がり、刺激のある臭いが広がった。


 明らかに怯んだ3人の動きが止まったの見たユウは迷わず突っ込む。自分も吸い込むことになるがそれは経験済みなので我慢した。しかし、その煙を吸い込んだ瞬間異変に気付く。


「あんまり臭くない?」


 軽くむせる程度しか効果がない悪臭玉の煙にユウは目を見開いた。まるで嗅覚がほとんど利いていないかのようだと考えて気付く。下水路の悪臭がひどくて鼻が馬鹿になっていることを思い出した。


 怯んでいたサイモンの仲間3人が立ち直りつつあるのを理解しながら、ユウは最も手前の男の頭に槌矛メイスを叩き込んだ。更に低い声で呻くその男が片膝を付いたところで大下水溝に突き飛ばす。汚い水しぶきを上げて男は汚水に落ちた。


 だが、調子が良かったのはここまでだ。2人は既に剣を構えてユウを待ち構えている。奇襲の効果はもうなかった。


 悪臭玉が使えないことを知ったユウは手前にいる2人目に突っ込んだ。小さく振るって突き出された剣先を槌矛メイスで払いのけ、剣を持つ右手を打ち据える。悲鳴を上げて剣を手放した相手が後退あとずさると、3人目が横から襲いかかって来たので避けた。今度は割り込んできた相手と対峙する。


「まともに動けるのはあんた1人だけど、まだ戦うの?」


「うるせぇ! てめぇはブッ殺す!」


 血走った目を向けられたユウは目の前の敵が戦意を失っていないことを知ると同時に、自分の背後を気にしていることに気付いた。瞬間、何も考えずに壁にぶつかる勢いで体を横に投げ出す。その直後、元いた場所に剣先が突き出されたのを目の当たりにした。サイモンである。


「チッ、くそ!」


 槌矛メイスで殴られた右手から血を流し、左肩と左の二の腕を腫らしたサイモンがそれでも両手で剣を持って背後からユウを襲った。


 その敢闘精神にユウは慄然とする。しかし、動きそのものは鈍い。体勢を立て直すとすぐにサイモンの持つ剣を槌矛メイスではたき落として左手を叩いた。続いて左拳で顎を殴って昏倒させる。


 直後、ユウは倒れたサイモンの横に体を倒して一回転して起き上がった。元いた場所で敵の剣が空を切る。


 床に転がる松明が周囲を下から照らしていた。近くにサイモンが倒れ伏し、前方に剣を持った無傷の敵と右手から血を流して左手でダガーを持つ敵の2人がユウを睨んでいる。


 膠着状態に陥ったかと思えたそのとき、ユウの背後から悲鳴が聞こえた。トリスタンのものではない。その相手の1人だ。あちらの戦局も変化しつつある。


 勢いづいたユウは前に出た。剣を持った敵に挑む。武器の長さでは不利だが、技量は自分の方が上だと先程までの戦いで見切っていた。だからこその攻勢である。


 攻防が始まると、ユウは徐々に下水溝側へと寄っていった。しばらく槌矛メイスと剣の応酬が続いたが、何と相手の剣が半ばで折れてしまう。一瞬間が空いた。


 先に動いたのはユウだ。呆然とする敵の隙を見逃さず、相手の頭へと槌矛メイスを叩き込む。短い悲鳴を上げた敵は横に倒れ、大下水溝へと落ちた。


 残った動ける敵は左手でダガーを持った1人のみとなる。血走った目でユウを睨みつつも少し震えていた。


 もはやこうなると勝負はついたも同然だ。ユウが武器を振るって誘うと相手は必死の形相で応戦してくる。しかし、周囲からの横やりを気にせず戦えるユウには届かない。いつの間にか立ち位置が逆転している。


 何度か攻撃を躱したユウは相手の左手を打ち据えてダガーを手放させると、今までと同じように槌矛メイスで殴った。その殴られた弾みで背後に倒れ、大下水溝へと落ちる。汚水のしぶきが飛び散り、そのまま浮いてこなかった。


 4人の敵を倒したユウは背後を振り返る。視線の先ではトリスタンが敵の1人と戦っていた。しかし、その相手は自分以外がやられたことに気付いたらしい。大きく下がって松明を拾うと踵を返して逃げていった。


 ようやく戦いが終わったことを知ったユウがトリスタンに声をかける。


「そっちも終わったみたいだね」


「1人逃がしたけど。あれ、良かったのかな?」


「あっちは僕らが来た方角だからまだいいんじゃないかな。倉庫街の方だったら追いかけないといけなかったけど」


「ユウは全員倒したのか?」


「3人は大下水溝に落ちたけど、サイモンだけはそこに倒れているよ。そうだ、縄で縛らないとね」


 話ながら気付いたユウは背負った麻袋から麻の紐を取り出すと、呻くサイモンの手と体を縛り上げた。これでようやく一仕事終わったことになる。


 床に落ちている松明を拾うとユウは改めて周囲に頭を巡らせた。自分が戦った場所には武器がいくつか転がっているくらいしか戦った形跡が見当たらない。よく目を凝らすと血糊も見えるかもしれないが、床が汚れているのではっきりとは見つけられなかった。一方、トリスタンの方は敵が1人倒れている。動かないところをみると死んでいるらしい。


 それからユウは再び気を失ったままのサイモンに目を向ける。


「結局、捕まえたのはサイモンだけか。これで後は連れて帰ったら役目を果たせたことになるかな」


 本命の計画の結果次第という側面はあるが、少なくともユウとトリスタンは役目を果たせた。後はウィンストンたちの計画が成功するのを祈るのみである。


 腰にぶら下げていた砂時計をトリスタンが手に取った。もうそろそろ1回目の砂が付きようとしている。


「まだ砂時計を1度もひっくり返していないんだよな。つまり、少なくともあと8回分は待たないといけないわけだ」


「かなりあるんだね。ということは、ここでしばらく待機かぁ。早くサイモンを冒険者ギルドに引き渡したいな」


「ところでユウ、1つ聞きたいことがあるんだが。どうしてサイモンを殺さなかったんだ?」


「ジャッキーの罪を軽くするのにサイモンの生死は関係ないからね。それに、なんていうのかな。ちょっとした意思表示だよ。城外神殿の汚れ仕事を手伝ったんだから、サイモンを殺してこれ以上貢献する必要はないでしょ?」


「最後くらい自分の手を汚せってことかい? なかなか言うなぁ」


「他にも、ここでサイモンを殺したら死んだ証拠を提出しないといけないでしょ。それって面倒じゃない?」


「はは、言えてる」


 目の前で笑うトリスタンに合わせてユウも力なく笑った。今晩はもうこれ以上働く気にはなれない。


 大きく背伸びをしたユウは壁にもたれて座った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る