目的の人物を見つけたは良いが(前)

 状況が落ち着いたユウとトリスタンが共に食事をしてから3日間、2人の活動は上向いてきていた。ユウの右手首の傷は癒え、トリスタンはすっかり立ち直ったのだ。そのため、下水路網の巡回で遭遇する害獣にも後れを取ることがなくなってきている。


 殺人の容疑者であるジャッキーの捜索はまったく進展がなかった。手がかりらしい手がかりもないため仕方ないのだが、毎日巡回する経路を変えても証拠のかけらさえ手に入らない。


 この日も巡回の仕事は順調で、経路をたどってはたまに現れる害獣を駆除していく。背後からの襲撃も次第に対応できるようになり、2人とも精神的に余裕が出てきた。


 害獣の部位を切り取り終えたユウが立ち上がってトリスタンにそれを手渡す。


「はいこれ。巡回の仕事は儲からないって言われているけど、害獣をたくさん駆除したらそうでもないよね」


「そうだな。怪我をして派手に薬を使わない限り、なかなか貯められるだろう?」


「薬を買い直したときの金額を思い出しちゃうから言うのはやめてよ」


「はは」


 トリスタンに肩をすくめられたユウは嫌そうな顔をした。


 そもそも焦る必要はない。ゆっくり探せば良いのだ。まだミネルゴ市にやって来て10日、城外神殿から依頼を受けてそれほど日は過ぎていない。


 気長に構えて捜索するべき下水路網だが、その中にいる者たちというのは案外と限られている。普通は、冒険者、職人、人足だ。そもそも許可がないと下水路には入れないのだから検問所で把握している以外の人はいないはずなのだ。


 しかし、何事にも例外はある。何らかの手段で下水路内に逃げ込んだ人もいるのだ。それだからこそ、捜索の依頼というものが存在している。


 昼食を終えたユウとトリスタンが後半の巡回を始めて少し経った頃、下水路の先から人の声が耳に入ってきた。立ち止まって様子を窺っていると明かりが視界に入り、急速にその距離が縮まってくる。人の声、というより罵声は更にその背後から聞こえてきた。


 先頭に立つトリスタンが前を気にしながらユウに話しかける。


「追われているみたいだな」


「こんなところで? 何かやらかしたのかな?」


 走って近づいてくる逃亡者を見ながらユウは首を傾げた。下水路内での揉め事と言えば限られてくる。大抵は駆除した害獣の所有権を巡る争いだ。他にも害獣の襲撃を受けた職人と守り切れなかった冒険者の口論がある。ただ、どちらも走って逃げるというのは考えにくかった。


 逃亡者はユウたちに近づくと足を緩める。しかし、松明たいまつの明かりで見えるその表情は緊張しきっていた。厳ついが気の弱そうな顔には怯えが浮かんでいる。


 格好は浮浪者そのものだ。服はすっかり汚れきり、馬鹿になった鼻でさえまだにおう臭さである。冒険者や職人はもちろん、人足ということも考えにくい。


 色々と疑問が湧いてくる人物であるが、ユウはその顔の一点を見て目を見開いた。右眉の上に切り傷があるのだ。


 下水路の先からもう1つの明かりが現れた。あちらは罵声の主らしく、口汚く罵る声が聞こえる。考える時間はもうない。


 逃亡者に目を向けたユウが話しかける。


「そこの角を曲がってちょっと行った所に更に枝分かれした通路があるから、松明の火を消して隠れたらいいよ」


「あ、う?」


「追っ手が来るから早くして」


 動揺する逃亡者が何か言い返す前にユウは急かした。すると、一度背後を振り返った逃亡者が分岐路の1つに飛び込む。すぐに足音と明かりが消えた。


 それを見届けるユウにトリスタンが声をかける。


「いいのか?」


「うん。あ、追っ手ってサイモンだったんだ」


 松明を持ったサイモンともう1人の冒険者がユウたちの前で立ち止まった。サイモンは血走った目で2人を睨み、もう1人の冒険者は困惑した表情を向けてきている。


「サイモンさん、どうしたんですか?」


「なんでさっきのヤツを逃がしたんだ!?」


「今通って行った人のことですか? 何があったんです?」


「あいつぁ殺人犯なんだぞ! それを逃がすってことがどういうことかわかってんのか!」


「そんなの見た目じゃわからないですよ。第一、追ってきたのがサイモンさんだってことすら知らなかったんですから」


「もういい、どけ!」


 埒があかない会話に業を煮やしたサイモンがユウを押しのけた。そのまま逃亡者が逃げ込んだ分岐路に入って先に進んでゆく。困惑したままの冒険者もそれに続いた。どちらも奥にある更に枝分かれした通路は無視して先へと進んでゆく。


 サイモンが掲げる松明の明かりが見えなくなるとユウは枝分かれした通路に近づいた。そして、真っ暗な奥に向かって声をかける。


「もう行ったよ。出てきても大丈夫だから」


「出てこないな。どこかへ行ったんじゃないか?」


 しばらく待っても誰も出てこない様子からトリスタンがユウに問いかけた。事情がまったくわからないため顔に疑問が浮かんでいる。


 ユウがそろそろ動こうとしたとき、通路の奥から人影が現れた。先程の逃亡者だ。怯えた表情のまま2人に近づいてくる。


「あ、あの。あ、ありがとう」


「災難だったね。僕はユウ、冒険者だよ。あなたはなんていう名前なんですか?」


「ジャ、ジャック」


「助けたお礼ってわけじゃないけど、どうしてあのサイモンっていう冒険者に追われていたのか教えてくれないかな。殺人犯だって言われていたみたいだけど」


「え、な、なんでそんなこと」


「知らないとはいえ、殺人犯かもしれない人を匿ったっていうのは後味悪いでしょう? でもあなたの様子を見ているとそうとは思えないから、何か事情があるのかなって思って」


 素直な感想をユウはジャックにぶつけてみた。話してくれるかはわからないが、とりあえず相手の事情を知ろうと問いかけてみる。


 ジャックは迷っている様子だった。しかし、しばらくしてから口を開く。


「実はオレ、少し前まで人足をしていたんだ。この下水路の拡張工事現場で。でもあの日、たまたま人手不足だからって城外の補修工事に誘われて下水路に入ったんだ。仕事はちゃんとやったんだけど、その帰りに偶然友達を見かけたんだ」


「友達? どんな人かな?」


「エミルっていうんだけど、オレと同じ人足をしてたんだ。あいつも下水路で働いてたからそこにいるのは不思議じゃなかったけど、なぜかさっき追いかけてきた冒険者と一緒に隠れてたんだ。しかも何かでっかい荷物を背中に抱えて」


「大きな荷物? サイモンと一緒に?」


「うん。でも、荷物の中身はわからないんだ。見てないし。それで、こっちを見る目がなんかむちゃくちゃ必死だったから怖くなって、そのときオレは補修工事の仲間の中に逃げたんだ」


 一旦言葉を句切ったジャックが身を震わせた。その表情は情けないものになっている。


「それで下水路の中からは逃げられたんだけど、外に出てからはエミルがいつやって来るかっていつもビクビクしてたんだ。オレ、あいつとは仲が良かったけど、あのときばかりは会いたくなかった」


「でも、その口ぶりからすると、会っちゃったんだね」


「そうなんだ! あいつがオレに会いに来て、人気のない所に連れ込んだと思ったら、密輸の仲間になれって言ってきたんだよ。でも、オレそんなの怖くてできなかったから断るとあいつが怒って掴んできたんだ。それで、手を離そうと揉み合ってたら、はずみであいつが倒れてそのまま」


「ああ、そういうことだったんだ」


「そうなんだよ。別に殺したくて殺したわけじゃないんだよ! でもエミルは死んじまって、それで、オレは怖くなってそこから逃げたんだ。でも、死んだエミルはすぐに見つかるだろうからどこかに逃げなきゃって思って、思い付いたのがここなんだ」


 今にも泣きそうな声でジャックが事情を話しきった。そのまま小さい嗚咽を漏らす。


 城外神殿でエリオットから話を聞いていたユウは不快な表情を顔に浮かべた。状況と友人の名前からしてこのジャックがジャッキーなのは間違いない。何となく想像していた事情の1つと一致したが、まさかこんな形で発見するとは予想外だった。


 それまで黙っていたトリスタンがジャックに話しかける。


「どうやって城内の下水路に入ったんだい? 検問所は通ったんだよな?」


「翌朝一番に城内の補修工事の人足募集に応募したんだ。エミルはすぐに見つかるだろうけど、代行役人が調べるのは早くても三の刻からだって知ってたから、それまでに下水路に入れば何とかなると思って」


「なるほど、捜査が始まるまでは誰が殺したかなんて誰も知らないからな。時間差かぁ」


 まさかの盲点にトリスタンは下水路の天井を見上げた。容疑者に指定されるまでは一般人扱いなのだから、いつも通り検問所を通れるわけである。


 一通り話を聞いたユウは大きくため息をついた。

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