最近の噂話
11月も半ばになると日が暮れる時期が早くなる。五の刻の鐘が鳴る頃には空が朱く染まり、六の刻の鐘が鳴るまでに日が沈むのだ。なので、ユウとトリスタンが下水路から出てくるときは大体日が暮れた後である。
大事を取って1日休んだユウは結局体に異常は起きなかった。おとなしく昼頃まで横になって静養していた甲斐があったというものである。
すっかり元気になったユウは翌朝トリスタンと下水路に入った。前日に不足していた薬を買い足し、
肩すかしを食らったユウだったが仕事は成功である。捜索の方は手がかりすら掴めていないが次第に下水路に慣れてきているので、いずれは本格的に捜索をしたいと考えていた。
下水路から戻ってきた冒険者でごった返している冒険者ギルド城外支所南西派出所の中で、ユウとトリスタンは受付カウンターから離れる。仕事の事後処理も報酬の分配も終わったところだ。
これから夕飯だというところで、ユウはトリスタンから声をかけられる。
「ユウ、これから一緒に食べに行かないかい? 俺たち初めて会ったとき以来、一緒に食べていないだろう」
「そういえばそうだね。ごたごたしているうちに組んで、仕事を始めたら僕が怪我をして休んだからね。仮パーティ結成祝いでもしようか?」
「賛成! それじゃ早速酒場に行こう!」
ユウの提案を聞いたトリスタンが指を鳴らして賛意を示した。笑顔で先頭を歩き始める。
向かった先は貧民の歓楽街だ。南西派出所の近辺で酒場となるとここだけである。トリスタンが迷うことなくとある安酒場に入った。ユウと初めて出会った店である。
「俺の馴染みの店なんだ。さぁ入ろう!」
「カウンターとテーブル、どっちに座るの?」
「この時間帯だったらカウンターだよ。4人パーティなんかがテーブルを使うからね。相席でもう2人加わるならテーブルでもいいけど」
「カウンターならあそこが空いているから座ろう」
カウンターで唯一隣り合って席が空いている場所をユウが指差した。笑顔でうなずいたトリスタンが先に行って座る。
席に着いた2人は早速給仕女を呼び止めて料理と酒を注文した。品物を待っている間も雑談に興じていると、すぐに注文の品が運ばれてくる。
準備が整うと、2人はほぼ同時に木製のジョッキを手にした。そうして口を付けて傾ける。喉を鳴らしてある程度飲むと息を吐いた。その表情は緩みきっている。
「はぁ、おいしいなぁ!」
「やっぱり仕事上がりの1杯は最高だな!」
「そういえば、初めて会ったときはお金がないって言っていたよね。あれからあんまり日は経っていないけど、実際のところどうなの?」
「正直言って今もほとんどないよ。あと数日で生活できなくなるくらいなんだ」
「それってかなり危ないじゃない」
「確かにね。けど、今日の仕事はうまくいったじゃないか。あれでこれからもやっていく自信が付いたから、先行きは明るいと思っているんだ。何しろそれまでは蓄えが減る一方だったからね」
「じわりじわりと減っていくんだよね。あれって本当に怖いよねぇ」
「ユウにもそんな経験があるんだ」
「短期間だけどね。働いても赤字で蓄えが少しずつ減っていくんだ。でも、何もしないともっと減るから続けるしかない」
「俺の場合、更に博打の要素が強かったからな。胃が痛かったよ」
しゃべりながらユウとトリスタンは料理に手を付け始めた。ユウはちぎった黒パンをスープにひたし、トリスタンはソーセージを摘まむ。同時に口へと入れると旨そうに噛んだ。
先に口の中の物を飲み込んだユウがトリスタンに話しかける。
「どこで聞いたか忘れたけど、今ここって景気が良いんだよね。冒険者も仕事が増えているのかな?」
「王都の東で拡張工事が始まったから景気が良くなっているのは確かだけど、それで潤っているのは職人と人足だな。冒険者はあんまり変わらないよ」
「どうして?」
「王都の冒険者の仕事は基本的に下水路関係だからだよ。地上の拡張工事の警備は兵士がするし、下水路の拡張工事は昔から変わらないし。つまり、冒険者に回ってくるような警備の仕事に変化なしってことなのさ」
「そうなんだ」
「こんな感じだから、生活の苦しい冒険者の中には人足に転職しようかと考えている奴もいるよ。この状況が続けば、来年辺りからはそんな奴が出てくるんじゃないかな」
「それって下水路の仕事で人手不足にならない?」
「当面は大丈夫だと思う。何しろ、この王都にやって来る冒険者がいるしな。何年か先はわからないけど」
「へぇ」
話を聞きながらユウは鶏肉をナイフで切り取った。そのかけらを口に入れる。あっさりとした肉汁が口の中に広がって頬が緩んだ。
木製のジョッキを傾けた後、トリスタンが言葉を続ける。
「ああでも、景気とは関係なく人手不足になる可能性が1つあったな」
「え、そんなのあるの?」
「今この国は国王陛下の拡大政策で戦争をしているんだけど、現在好調らしいんだ」
「勝っているってことだよね。良いことなんじゃないの?」
「負けるよりはるかにな。ただ、占領地が増えたせいで兵力が不足してきているって話をちらっと聞いたことがある」
「もしかして、その兵力不足を補うために徴兵するかもしれないってこと?」
「その通り。特に冒険者は訓練なしでも戦えるから、人足や村人なんかよりも徴兵されやすいんじゃないかって俺は考えているんだ」
考えたこともなかった可能性にユウは呆然とした。戦渦に巻き込まれる前に故郷を出た身としては勘弁してほしい話である。
「嫌な話だね。城内の人はどうなるんだろう」
「自分の町が戦争に巻き込まれない限りは直接関係ないからな。王都の住民はのんびりとしているぞ」
「やけにはっきりと言うじゃない。ああそうか、元貴族だもんね」
「いやまだ貴族なんだって。ただ、今のままじゃ城内には入れないけどな」
「どうして? 貴族の地位がある上に城内の居住権まであるんでしょ? 中には入れない理由なんてあるの?」
「一番の理由は臭いだな。今じゃすっかり俺も下水臭いから門番に追い返されるに違いないよ」
「臭い、臭いかぁ。そんなこともあるよねぇ。町民と貧民ってただでさえ違うもんね」
「なんだ? 何かあったのかい?」
「もう昔の話なんだけど、2年くらい町の中で働いていたことがあったんだ。その後外に出て貧民になったんだけど、もう1度中に入ったときにね」
かつてのことを思い出してユウはわずかに悲しそうな表情を浮かべた。もう引きずることはないが良い気はしない。
豚肉をナイフで切り取ったトリスタンがそれを口に入れる前にユウに話しかける。
「それはなぁ。ただ、何か重罪を犯して下水路に逃げ込む都市民はいるみたいだぞ」
「あんな所に逃げ込むの? 人殺しとかそんなことをやったのかな?」
「そうそう、都市民相手に都市民がやっちまったとき逃げるらしい」
「あれ? でも、城内と下水路を結ぶ点検口って、官憲の詰め所にあるんだよね? どうやって下水路に入るの?」
「よく知っているな。その通りなんだけど、噂だと秘密の出入口があるらしいんだ」
「管理されていない出入口がある? 城内にそんなのがあったら問題にならない?」
都市の防衛上の観点から見ても城内に野放しになっている出入口などあると大問題だとユウは思った。もしそんな出入口があれば、王侯貴族が黙っているはずがない。
問いかけられたトリスタンも首を傾げる。
「そこが不思議なんだよな。たまに消える犯罪者がいるのは事実なんだが、出入口の存在は怪しいんだ。ああでも、そういった出入口が密輸に使われているっていう噂もあるんだ」
「密輸? そんなことをしなくても、貴族様と仲良くなったら何とかなるんじゃないの?」
「そこまで簡単じゃないぞ。色々と根回しが必要だからな。それはともかく、城門を通るときに税金を収めることになっているんだが、たぶんこれを嫌ったんだろうな」
「いやでも、やっぱり無理だと思う。城内の下の下水路に入るには、検問所を通らないといけないじゃない。
「確かに現実的じゃないよな。やっぱり出入口の話も噂でしかないのか」
「犯罪者が変装して町の外に出るっていう方がまだ信じられるよ。中に入るときと違ってほとんど素通りだから」
「そうだよな」
木製のジョッキを持ったトリスタンが力なく同意した。考えるほどに不可能のように思えてくる。
この後もユウとトリスタンはとりとめもない雑談を続けた。杯を重ね、話が更に盛り上がる。七の刻の鐘が鳴ってもまだまだ終わらなかった。
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