下水路網の仕事(後)

 使い捨て松明たいまつの明かりを延命処理した後、ユウとトリスタンは下水路の巡回を再開した。既に3分の2以上の経路を進んだので終わりはそう遠くない。


 この頃になるとユウも経路図の読み方にある程度慣れてきて指示も的確になっていた。正しくかつ滑らかにユウが伝えるのでトリスタンもためらうことなく動いている。


 順当に進んでいる巡回だが、まったく何もないわけではない。働いている他の冒険者や職人と出会うこともあれば、襲いかかってくる害獣もいる。


 特にこの害獣は討ち取って部位を手に入れると換金できるので重要だ。巡回の報酬だけでは赤字になるので、黒字にするためにも害獣は倒しておく必要がある。


「昨日、下水に入って1日にかかる費用を計算したんだ。最初は費用の抑え方がわからなくて無茶苦茶お金がかかってたから、これどうやって賄うのか不思議だったんだよね。でも今日やっとその謎が解けた。今回くらいの出費だったら下水路網巡回の報酬を少し上回るくらいなんだ」


「報酬額がうまく設定してあるだろう。一番安い報酬額の仕事でも、害獣をちょっと駆除したら何とか食っていけるようになっているんだ。これだけはどんな新入りもできるようになっているから人が集まってくるんだよ」


「これって害獣を倒せないときもあるんでしょ? そういうときはどうするの?」


「適当な所で頑張って害獣を探すのさ」


「巡回そっちのけで害獣駆除をしていそうだね」


「そういうパーティは積極的に害獣駆除の依頼を受けるんだ。結構まとまって狩れるから、戦うのが得意な奴はあればっかりやっているよ。攻撃的な依頼はあれだけだしな」


「他はほとんどが警備ばっかりだもんね」


 以前聞いた仕事の種類を思い出したユウがうなずいた。魔窟ダンジョンとはその点が違う。あちらの活動は基本的に取りに行くあるいは狩りに行く性質だからだ。


 この後、この日何回目かの害獣駆除をユウたち2人は行った。正面から3匹の巨大蟻ジャイアントアントが襲いかかって来たのだ。動きが速く、尻から蟻酸を出す。この下水路網では壁を伝うこともできるので厄介だ。


 歩道の幅が2レテム程度の場所で遭遇したため、2人並んで戦うことは難しい。それは先頭を歩くトリスタンも承知している。


「俺の脇をすり抜けた巨大蟻ジャイアントアントはそっちで対処してくれ」


「わかった!」


 大きさが1レテム程度の巨大蟻ジャイアントアントにとって幅2レテム程度の場所は並んで戦うことができた。しかも、その鋭い足の爪を使って壁も伝うこともできるので、前衛が害獣を抑えるということはほぼ無理だ。現に3匹目が壁を伝ってユウに近づいてくる。


「あああ!」


 壁から床に降りて鋭い牙を剥いてきた巨大蟻ジャイアントアントに対してユウはその頭を槌矛メイスで思い切り叩いた。すると、動きが明らかに鈍る。しかし、尚もユウに噛みつこうとした。そのため、横に避けながらもう1度その横顔を殴りつける。


 殴られた巨大蟻ジャイアントアントはふらふらと下水溝へと向かって歩き、そのまま下水溝へと落ちた。その後、ゆっくりと流されてゆく。


 駆除証明の部位を取り損ねてしまったユウだが、構うことなくトリスタンへと顔を向けた。すると、既に1匹は倒しており、残る1匹と戦っている。この程度でやられることはないことを知って安心した。


 しかし、ユウは同時に背後から何かの気配を察知した。すぐに後ろへと振り向く。


「ガゥ!」


「うわっ!?」


 ユウの目の前には黒妖犬ブラックドッグの牙があった。考えるよりも先に体を後退させ、とっさに右腕で顔を庇う。これにより、どうにか顔は守れた。しかし、右手首に噛みつかれてしまう。


 黒妖犬ブラックドッグの勢いを止められなかったユウは床に倒れた。噛みつかれた状態でのしかかられる。槌矛メイスは手放さなかったが、右手首に噛みつかれた状態では使えない。


 左手に持っていた松明を手放したユウは自分の体をまさぐった。左手でナイフを引き抜くと黒妖犬ブラックドッグの首を何度も刺す。2度、3度と刺すと牙が緩み、更に刺し続けるとついに動かなくなった。ぐったりと倒れ込んできた黒妖犬ブラックドッグの体を脇に押しのけたユウは座り込む。


 そこへトリスタンが駆けつけた。片膝を付いてユウの様子を見る。


「ユウ!?」


「あ、危なかった。後ろから奇襲されるなんて。いたっ!」


「怪我をしたのか?」


「さっき噛まれたんだ。手首からちょっと血が出ている。硬革鎧ハードレザーの籠手の部分からはみ出たんだ。傷口を洗わないと」


 床に座ったままのユウは麻袋を背中から降ろして口を開けようとして顔をしかめた。水袋の水を使おうとしたが予備がないことに気付いたのだ。


 若干遠慮がちにユウがトリスタンに顔を向ける


「まだ使っていない水袋っていくつ持っているかな? 僕、今日は腰のやつしかないんだ」


「何でまた持って来なかったんだ?」


「臭いが付くのを嫌って下水路に持ってくる荷物を減らしたら、やりすぎたんだ」


「何をやっているんだ。ともかく、すぐ出すから」


 呆れつつもトリスタンは背嚢はいのうから水袋2つを取り出した。そして、ユウが手渡した金銭と交換で与える。


 右腕の籠手を取り外したユウは裾をまくり上げた。トリスタンに頼んで水袋の中身を垂らしてもらい、まずは手を洗う。指先は最も危険なのだ。次いで残った1袋分の水を使って傷口を丁寧に洗った。それが終わると次に傷薬の軟膏を塗り、包帯をしっかりと巻く。傷口の治療はとりあえずこれで良い。


 その次にユウは動物系の解毒の水薬を飲んだ。特にこの下水路網のような不衛生な場所で生きている生き物は必ずと言って良いほど病気になる何かを持っている。そのため、噛みつかれるなどして負傷した場合は薬を飲むのが安全だ。後で気付いて手遅れにならないためにも。


 その様子を見ていたトリスタンが感心する。


「随分と手慣れているね。何度もやったことがあるのかい?」


「うん。先輩に教えてもらって、その後何度か実際にやったことがあるんだ」


「俺はここまで手際よくできないなぁ」


「だったら今度教えてあげるよ」


「いいのかい?」


「ここで活動するとなると、傷口の治療は特に大切だと思うから、どっちも同じくらい治療できるようになっていた方がいいと思うんだ。僕が治療してもらうことがあるかもしれないしね」


「なるほど。そういうことなら習おうかな」


 単純な善意だけではないということを知ったトリスタンが苦笑いした。


 その間にユウは1度取り外した硬革鎧ハードレザーの籠手を右手に取り付ける。


「トリスタン、巡回の通過点はもう全部確認したから、このまま帰ろう」


「元々その予定だったしね。そうだ、害獣の部位を取らないと。ユウは休んでいてよ、俺が取るから」


「ありがとう」


「傷は痛むかい?」


「今のところは平気。この後傷むようなら痛み止めの水薬を飲むよ」


「ユウっていろんな薬を持っているんだね。すごく用意がいいじゃないか」


「何かあったら怖いから薬の類いはね。ただ、水を持ってこなかったからなぁ。用意が良いのかと言われるとちょっと」


「そういうときもあるよ」


 気落ちするユウに笑いかけながらトリスタンは害獣の部位を切り取った。今回は魔物3体だけなので大して時間もかからない。それほど間を置かずして麻袋に切り取った部位を入れて片付けも済ませる。


「終わった。それじゃ行こう。立てるかい?」


「立てるよ。あーあ、それにしても、たった1回の怪我で大損かぁ」


「あれだけ派手に薬を使えばそりゃそうだろう。わかっていたことじゃないか」


「そうなんだけどね。怪我をしても利益を確保できる仕事がしたいな。そもそも怪我をしたくはないんだけど」


「俺もその点は同意するよ。ここじゃ俺たちに回ってくることは早々ないだろうけどね」


 大きく息を吐き出したトリスタンがユウに言葉を返した。一介の冒険者ではどうにもならないことなので諦めの境地である。


 治療と休憩が終わったユウとトリスタンは帰路についた。トリスタンを先頭に松明を掲げながら歩いてゆく。


 ようやく検問所にたどり着くとユウが地下門番に報告をした。いくつかの質疑応答があったものの、特に追及されることもなく通される。


 地上に出るとまだ空は明るかった。これだけでもいつもより早いことがわかる。その後は廃棄場へと寄って害獣の部位を換金した。トリスタンがかなり年季の入った木製の掘っ立て小屋で売却したのだ。それから、冒険者ギルド城外支所南西派出所で下水路の巡回の報告をして報酬をもらう。


「なんだか体がだるいや」


「明日1日休むかい?」


「いいの? トリスタンは稼がないとまずいんじゃないの?」


「さすがに1日くらいは平気だよ。それより、ユウが下水路で倒れられる方がよっぽど怖いな」


「そうだね。それじゃ明日は休むよ」


 元気のないユウは素直にうなずいた。無理をしても良いことはない。


 次に会う日と場所を約束したユウは踵を返して宿に向かった。

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