下水路網での思わぬ再会

 受付係から紹介されたサイモンと組んで2日目、ユウは強烈な悪臭に耐えながら下水路に入った。馬鹿になった鼻が元に戻ったことで再び苦しむ羽目になったのである。


 しかし、ユウが苦しんでいるのは臭いだけではない。初日の収支を計算して判明した赤字にも顔をしかめている。特に松明たいまつに使うぼろ布が結構な額なのでこの出費が痛い。巡回の仕事だと冒険者ギルドからの報酬として銅貨4枚しかないが、満額もらえても足りなかった。駆除した害獣の報奨金が認められている理由を理解する。


 そこでユウは昨日サイモンが使い捨ての松明を使っていたことを思い出した。記憶によるとあの値段は銅貨1枚かそれ以下だ。数を増やすとかさばるので旅の途中は避けていたが、短期間定住して使うとなるとあちらの方が使い勝手は良いし、何より懐に優しい。


 改善点を頭の中に留めておきながらユウは下水路の歩道を歩いた。この日も朝一番からサイモンの指示を聞いて右に左に進む。たまに出会う動物もいるが、大半は人間の姿を見ると逃げるので戦うことはほとんどない。苦労せずに済むならとユウも見逃していた。


 そうしてユウが淡々と脚を動かしていると、サイモンから声をかけられる。


「おい、もっと見つけた害獣を積極的に倒せよ」


「どうしてですか?」


「巡回の報酬だけじゃ足りねーだろうが。この仕事だと、どれだけ害獣を倒せるかで実入りが決まるんだからよ」


「こっちを襲ってこないのにわざわざ仕掛ける気にはなれないですよ。それに、倒しても僕の収入にならないですし。サイモンさんだったら、自分の収入にならないのに害獣を積極的に倒しにいきますか?」


「チッ、口の減らねーヤツだぜ。おら、次を左に曲がれ」


 面白くなさそうなサイモンの指示に従ってユウは枝分かれしている下水路の1つに入った。そこは歩道の幅が1レテム程度の小さめな下水路だ。壁や天井を見ると古いらしく、あちこちが傷んでいたり一部欠けていたいりする。


「こういう古い下水路ってどのくらい前からあるのかなぁ」


「何百年も前からだろ。この幹線下水路はかなり古いらしいからな」


「これってそんなに古いんですか?」


「昔この都市が拡張されたときに造られたんだから古いに決まってるだろう。枝分かれしてる小さい下水路は同じ時期か、後から作られたもんらしい」


「サイモンさん、詳しいんですね」


「はっ、あたりめーだろ。何年ここで働いてると、ん?」


 松明を掲げてしゃべるサイモンが黙ると同時にユウも気付いた。ずっと前の方から何か音が聞こえたのだ。2人とも黙って前方へと顔を向ける。すると、小さく甲高い鳴き声がいくつも耳に入ってきた。どちらともなく2人は顔を見合わせる。


「動物の鳴き声ですよね? 何が鳴いているのかな。近づいて来ている?」


「おい、マジかよ。ヤベェぞ。ありゃ敏捷鼠ラピッドラットの群れじゃねぇか」


「群れですか?」


「そうだ。猫みたいにでかいから1匹だけでもめんどくせぇってのに、あんなのに群れて襲われたらたまんねぇぞ。おい、巡回は中止だ。逃げるぞ」


「はい!」


 いつもの傲慢な態度ではなく、顔を青くしたサイモンが踵を返して来た道を戻り始めた。ユウも小走りでそれに続く。


 群れた鼠に人が襲われるという話はユウも聞いたことがあった。それが更に凶暴な魔物となると心穏やかではいられない。


 今や先頭を進むサイモンの後に続くユウだったが、背後に聞こえる鳴き声が次第に近づいてきていることに気付いた。明らかに追いつかれている。


「サイモンさん、鳴き声が段々と近づいてきていますよ!」


「うるせぇ、わかってる! 速く走れ!」


「もしかして松明の光を追いかけているのかも!」


「だからって消せるわけねぇだろ! すぐにドブ水に突っ込んじまうぞ!」


 正論を返されたユウは顔を引きつらせながら黙った。今はひたすら走るしかない。しかし、暗く入り組んだ下水路の中では全力で走れなくてもどかしかった。


 背後が気になったユウは振り向く。すると、鳴き声の他に松明の明かりが見えた。どうも敏捷鼠ラピッドラットに追われているらしい。


「サイモンさん、誰か敏捷鼠ラピッドラットに追われているみたいですよ!」


「知るか! ほっとけ! 構ってたらこっちが死ぬぞ!」


 迫り来る鼠の魔物の群れから逃げるため、ユウはサイモンに続いてひたすら走った。もはや自分のいる場所がどこであるかなどまったくわからなくなってしまっている。


 そうやって2人が逃げ惑っていると、悲鳴のような人の声が背後から聞こえてきた。その声色は正しく必死である。


「助けてくれぇ!」


 もちろん助ける余裕などユウにもサイモンにもなかった。ただ懸命に逃げるだけである。


 こうして、いつ終わるともない人と魔物の追走劇が続いた。しかし、何事にも終わりはある。


 最初に変化があったのはサイモンだった。走る速度が落ちてきたのである。ユウがよく見ると息が上がっているようだった。2人の距離が徐々に縮まっていく。


「サイモンさん、もっと速く走ってください!」


「うるせぇ! はぁ、これで、限界、なんだよ! はぁ、ちくしょう、 はぁ、まだ来てんのか! はぁ、くそ、はぁ、いつまで、続くんだ!」


「助けてくれ!」


「うわ追いつかれた!? って、トリスタン?」


「その声はユウ!? なんでこんなところに!」


「てめぇの知り合いかよ、ちくしょうめ!」


 先頭のサイモンがつっかえたことで追われていた冒険者トリスタンがユウたちに追いついた。安酒場で楽しく過ごした青年がユウのすぐ後ろで必死になって走っている。


 こうなるといよいよ追ってきている敏捷鼠ラピッドラットの襲撃を覚悟しなければならない。ユウは顔をしかめながら背後を振りかえった。しかし、暗闇で何も見えない。ただ同時に、あの耳障りな鳴き声も聞こえなくなっていた。そのことに気付く。


「サイモンさん、もう追いかけてきていないみたいですよ。鳴き声が聞こえませんし」


「なんだと? マジか」


 話を聞いたサイモンが足を止めた。ぶつかりそうになったユウがサイモンを避けて何歩か先で止まる。トリスタンは更に少し走ってから立ち止まった。そして、全員で背後を振り返る。3人の荒い息以外に聞こえる音といえば汚水の流れる音くらいだ。


 乱れる呼吸が整うまで黙っていた3人の中で最初にトリスタンが声を漏らす。


「た、助かったぁ」


「追いつかれずに済んだみたいだね。姿は見えなかったけど、怖かったなぁ」


「ユウ、ありがとう。おかげで助かったよ」


「僕たちは何もしていないよ。ただ一緒に逃げていただけだから」


「やい! てめぇ、トリスタンと言ったか? 何てことをしてくれやがったんだ!」


「悪かったとは思うよ。でも、俺だって好きでこうなったわけじゃない」


「んなことはわかってる! 一体何があったんだ?」


「害獣駆除に失敗したんだよ」


 肩落としたトリスタンがこれまでの経緯を語り始めた。


 それによると、トリスタンの相棒が引き受けた害獣駆除で敏捷鼠ラピッドラットが予想外にあふれ出てきてしまい、対処できなくなったそうだ。他にも一緒に参加していたパーティがいたが散り散りになってしまったという。


「まるで水が溢れるみたいにあの鼠が大量に湧いてできて、俺の相棒は一瞬で飲み込まれてしまったんだ。それを見ていた他のパーティが一斉に逃げ始めたから俺も逃げたんだけど、あの大群に追われて」


「けっ、仕事に失敗して逃げてきたってわけか。身の丈に合った仕事をしろよな」


「俺もその通りだとは思うんだが、今回のはいくら何でも例外だと思う。あんなにたくさん出てくるなんて」


「こりゃ今日はあの辺りにゃ近づけねぇな。あいつらがウヨウヨいるだろうし」


 すっかり意気消沈しているトリスタンから目を離したサイモンが吐き捨てるように言った。あれだけ大量の敏捷鼠ラピッドラットが徘徊している以上、単独のパーティで近づくのは難しい。


 その日、ユウたちの下水路網巡回の仕事は中止となった。サイモンに率いられてトリスタン共々下水路から出る。すぐに冒険者ギルド城外支所南西派出所に向かったサイモンは魔物が大量発生したことを報告した。


 やるべきことを終えた3人は室内の隅に移動し、最初にサイモンが口を開く。


「はぁ、とんだ災難だったぜ。おいユウ、てめぇとの付き合いはあと1日あるが、今日で終わりだ」


「どうしてですか?」


「てめぇといるとロクなことにならねぇからだよ。実入りが悪いのにツキもねぇヤツと一緒にいても大損こくだけだからな」


 言うだけ言うとサイモンは疲れた表情のままその場を去った。それをユウとトリスタンが呆然と見送る。


 確かに大変な目に遭ったのは確かだが、それが自分のせいにされたのはユウにとって心外だった。しかし、文句を言いたい相手はもういない。


 サイモンの姿が見えなくなった後、ユウはため息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る