王都の下水路網(後)

 下水路は一切光の差さない場所であるため、光源を持ち込まないと何も見えない。視覚に頼る人間にとってはかなり不利な場所だ。


 集められた数多くの汚水が流れる幹線下水路の歩道をユウとサイモンが歩く。先頭のユウは自分が手にする松明たいまつの明かりを頼りに周囲を警戒した。しかし、松明の明かりはそれほど先まで届くわけではない。目の前のすぐそこはもう暗闇だった。


 今考えるべきことではないと思いつつも、ユウはサイモンとあの胡散臭い受付係のことを頭に思い浮かべる。これという確証はないものの、何となく不安感を抱かせるような2人だ。特にサイモンには何か思惑があるように思えるだけに、紹介したあの受付係が怪しく思えて仕方ない。


 ただ、サイモンの態度は条件交渉のときの意趣返しとも受け取れた。実は大したことは考えていなくて、嫌がらせに過敏になっているだけかもしれないとユウは予想する。できればそうあってほしいとも願う。


おせぇぞ。もっと速く進めよ」


「そんなことを言われても、こう暗いとそんなに早く歩けませんよ。それに、すばしっこい害獣がどこから襲ってくるかわからないってサイモンさんも言っていたじゃないですか。だから、慎重に進むのは当然でしょう」


「そんなことじゃここでやってけねぇぞ」


「サイモンさんはもっと速く歩けるんですか?」


「あたりめーだ。何年ここでメシを食ってると思ってんだよ」


「1度お手本を見せてくれませんか? 今の僕だととてもこれ以上は無理です」


「頑張って慣れろ。コツは気配を感じ取るんだ」


「気配、ですか」


 前に進みながらしゃべるユウは怪訝そうな表情を浮かべた。夜の見張り番などで暗闇を見ながらその奥を探るということは確かにやったことがある。しかし、あれはわずかな違いを察知して異変に気付くというものだ。決して暗闇を見通せるような便利な代物ではない。


 進む先に何があるのかを察知しろと言われても、この暗闇でできることはせいぜい音を聞くことだ。神経を研ぎ澄ませば確かに汚水の流れる音、自分たちの出す音、生き物がうごめく音が耳に入る。しかし、先に歩道があるのか、出っ張った石材はあるのか、床に何か危ない物が落ちていないかまではわからない。


 尚も慎重に前へと進むユウの耳に生き物の小さく鋭い声が届いた。立ち止まって前方の気配を探る。そのとき、足下に何かが飛び出してきた。思わず飛び退しさる。


「キキッ!」


「うわっ!? 鼠?」


敏捷鼠ラビットラットだ。ったく、あんなのにビビってんじゃねーよ」


 目が赤く茶色い毛の魔物が1匹、ユウとサイモンの脇を通り過ぎて背後の暗闇に消えた。ドブネズミを一回り大きくした姿はこのような視界が利かない場所だと不気味だ。


 単に通り過ぎたというだけならば害はない。安堵のため息を吐いたユウは再び前を向いてゆっくりと歩く。


 検問所を通り過ぎてしばらくしてから、幹線下水路の左右の壁には枝分かれしている下水路がいくつも現れるようになった。周囲から汚水を集めるためのものだ。この下水路に造られた溝の幅はまちまちで、3レテム程度橋の幅広いものから30イテック程度の小さなものまである。そのため、汚水を流す溝が歩道の下を通っていた。

 尚も慎重に歩いていると後ろからサイモンの声が飛んでくる。


「どうした。さっきよりおせぇじゃねぇか」


「そんなことないですよ。さっきと変わっていないはずです」


「そうかぁ? いつまでもチンタラ歩いてっと日が暮れちまうぞ」


「サイモンさん、このままずっとまっすぐ進めば良いんですか?」


「ああそうだ。曲がるのは当分先だ。余計なことは考えずにまっすぐ進めよ」


 とりあえず進む先は正しいらしいと知ったユウは再び前方に集中した。松明の揺らぐ明かりが今日は頼りなく思える。


 その後もサイモンに小言を言われながらユウは下水路の中を歩いた。周囲の風景が似ているためどこまで進んだのかがはっきりとわからない。たまに走り去る鼠を見かけることがあるが、1度などはそれを追いかける猫を見て目を見開いた。


「次の分岐路を右に曲がれ。大きめの下水路だ」


「はい。あれ、梯子?」


 歩道の幅が2レテム程度の下水路に入ってすぐのところでユウは鉄製の梯子を見つけた。上を見ると天井の一部がくり抜かれており、てっぺんには蓋がしてある。


「その階段は無視しろ。登ると城内の官憲の詰め所だ。虫の居所が悪いと一発で逮捕さパクられるぞ」


「うわぁ、それは嫌ですね」


「あの連中のツラを拝まないためにも、さっさと前に進め」


 面倒そうな顔で説明をするサイモンにユウが嫌そうな顔をした。用もないのに会いたいとは思わないので無視して先に進む。


 その後もサイモンの指示通りにユウは直進したり曲がったりした。たまに飛び出してくる動物や飛び跳ねる汚物に驚きながら巡回の経路を進んでいく。


 既にどのくらい歩いたのかユウはわからなくなっていた。まったく暗い中なので指標になるものがほとんどなく、更に時間の経過を知る手がかりもないためだ。


 そんな中、サイモンがユウに声をかける。


「よし、メシにするか」


「今お昼なんですか? 太陽が見えないんで時間がさっぱりわからないんですけど」


「砂時計だよ。あれで時間を計ってるんだ。下水路に入ってすぐ逆さまにしたら、砂が尽きた頃の時間がはっきりとわかるだろ」


「なるほど」


「ここの連中はみんなそうやってこの中で時間を計ってるんだ。覚えとけ」


 夜の見張り番のときに時間を計るためによくやっていることだ。それを歩くときにも同じようにすれば良いだけである。盲点とも言える知恵を披露されてユウは瞠目した。


 しかし、落ち込んでいる暇はあまりなかった。サイモンが自分の背嚢はいのうから干し肉を取り出して囓り始めたのだ。しかも少し速い。


 それを見たユウは自分も麻袋から干し肉を取り出して囓る。いつもの弾力が歯に伝わるが何かがおかしい。顔をしかめながら1度飲み込んで再び囓る。更に何度か噛んでから目を見開いた。口の中の物を飲み込んでからつぶやく。


「味がしない?」


「気付いたか。下水路の中があんまりにも臭くて鼻がバカになってるせいなんだよ。だから、味わって食うなんて考えんなよ。さっさと飲み込んじまえ」


「ここじゃ、ご飯もまともに食べられないんだ」


 悲しそうな表情を浮かべたユウはわずかな間干し肉を見つめた後、サイモンに倣って速く食べ始めた。実に味気ない食事である。


 いくらか休憩した後、ユウはサイモンに促されて巡回を再開した。やることは食事前と変わらない。松明を持って指示通りにひたすら歩き回る。


 あるとき、前方がぼんやりと明るくなったことにユウは気付いた。この下水路で光源を持つ存在は限られている。近づくと、職人と人足が壁を補修している場面に出くわした。武装した冒険者も2人ばかりいる。


「よぉ、ドミニクじゃねーか。今日は職人の護衛かよ」


「サイモンか。そうなんだよ。そっちは巡回か? こいつは見ない顔だな」


「生意気な新入りさ。オレが今躾けてやってるんだ」


「お前が? 前はそういう仕事を嫌がってたってのに、どういう風の吹き回しだよ」


「オレにも色々都合ってのがあるんだよ。ギルドへの点数稼ぎとかな」


「はっきりと言うなぁ」


 苦笑いしたドミニクという冒険者がユウにちらりと目を向けた。軽く首を横に振る。


 しばらく知り合いの冒険者と雑談をしていたサイモンは問題なしと宣言してユウに先へと進むよう促した。


 その後、いくつかの小動物を倒しながらも下水路の中を2人で巡った。特にこれと言った異常もなく、下水路網の出入口から外に出る。外はすっかり日が暮れていた。


 外の冷気を新鮮に思いつつ、ユウはサイモンに続いて冒険者ギルド城外支所南西派出所に入る。そうして、受付カウンターで例の受付係にサイモンが声をかけるのを眺めた。報告はサイモンの役目である。


「よぉ、戻ったぜ」


「随分と遅かったな。どこで遊んでたんだ?」


「こいつがトロかったんだよ。そのせいでいつもの倍はかかっちまった」


「そりゃ大変だったね」


 サイモンと胡散臭そうに見える受付係は笑いながら語り合った。知り合いとの飾らない会話とあって実に楽しげだ。


 それを見ながらユウは内心で首をかしげた。確かに慣れた冒険者よりも足が遅かったのは確かだろう。しかし、倍も時間がかかるほど遅かったという言葉には納得できない。


 そのとき、ユウはサイモンに見せてもらった経路図を思い出した。確信は持てないが、あの経路よりもかなり余計に歩いていた気がする。経路図の最後の方だけを思い出しても明らかに図と指示が違っていた。つまり、意図的に経路を外れていたのだ。


 何にせよ、自分のせいだけにされるのはユウにとって心外である。しかし、抗議する気力はなかった。

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