王都の下水路網(前)

 王都の領主、つまり王家から下水路網の管理を任されている冒険者ギルドにとって、管理すべき業務はいくつもある。下水路網の出入口の警備、城内と城外を結ぶ幹線下水路での検問、下水路の目詰まりを防ぐための泥さらい、疫病を防ぐための害獣駆除、下水路の補修工事や拡張工事の警護などだ。


 そんな中に下水路の巡回という業務がある。決められた場所を巡回し、異変がないか確認する仕事だ。領主から直接指定されている業務ではないが、広大な城内城外の下水路網の異常を察知するためには必須の依頼である。


 巡回範囲はあらかじめ決められており、受付係から渡された羊皮紙に描かれた経路の通り進む必要があった。報酬は安いが、下水路網について知ることができ、なおかつ他の仕事についても少し触れることができるため、新入りの仕事として割り振られるのが定番だ。


 冒険者ギルド城外支所南西派出所から出たユウとサイモンは廃棄場を通り過ぎ、貧民の道の曲がり角にある下水路網の出入口の敷地に足を踏み入れた。ミネルゴ市城外の南西部の端にあるここは、常に内部からごみや土砂などの廃棄物が運び出されている。


「うっ、臭い!」


「あたりめーだ。下水路のクソを延々と運び出してるんだからな。たまんねーぜ」


 顔をしかめるユウに半笑いを向けたサイモンが吐き捨てるように説明した。


 下水路網の出入口はその周辺を石材でしっかりと固められている。最初から長期間使用する前提で作られていた。何しろ常に下水路網の拡張工事と補修工事が行われているため、このような出入口は必須なのだ。


 また、職人や人足が出入りするのに混じって冒険者もよく見かけた。一番目立つのは出入口の脇に立つ職員と冒険者たちだ。もちろん警備するためである。


 談笑しているその3人組パーティに対してサイモンが片手を上げると2人が目を向けてきた。そして、3人目が声をかけてくる。


「なんだそいつ、新入りか?」


「おうよ。生意気なヤツだが、ギルドから頼まれたからな、オレが面倒見てやるのさ」


「珍しいじゃねぇか。いつもならめんどくせーって言って断るのによ」


「たまにはいいところも見せとかねーとな!」


 知り合いらしい警備の冒険者とサイモンが親しげにしゃべった。他は興味なさそうにユウたちを見るだけである。


 しっかりと作られた石造りの階段に近づくと中に入る前から悪臭が鼻を突き刺してきた。まだ臭くなることを知ったユウがおののく。


 ためらうことなく下に向かう階段を踏みしめたサイモンを見てユウも続いた。階段の幅は広く、傾斜は緩い。更に、階段の中央部分は段差ではなく坂道になっている。底までたどり着くとちょっとした広間となっており、壁際に篝火かがりびが置いてあった。


 広間の東側と北側には幅10レテム程度の幹線下水路が伸びている。そのうち幅7レテムくらいは深く掘り下げられており、そこには汚水が流れていた。大下水溝だ。


 往来する職人と人足の数はユウの予想よりもずっと多かった。荷車で異臭を放つ土砂やごみを運ぶ人足や、笑顔で金属の破片を手にする冒険者の姿など様々だ。


 広場の端で篝火の近くに寄ったサイモンは背負っていた背嚢はいのうを下ろすと松明たいまつを取り出した。篝火に先端を突っ込んで火を点ける。


 それを見たユウは自分も倣おうとした。背負っていた麻袋から先端に布を巻き付けた棒を取り出し、油を振りかける。そして、篝火に先を突っ込んだ。


 松明に火が点くとサイモンから声をかけられる。


「これからてめぇは先頭を歩け」


「わかりました」


「この下水路の中はちょっと離れたら真っ暗だ。しかも厄介なことに、すばしっこい害獣どもがどこから襲ってくるかわかんねぇ。だからてめぇは常に戦えるように気を張って進むんだ。武器はいつでも使えるよう手に持っとけ」


「はい」


 麻袋を背中を背負ったユウはうなずいた。次いで腰の大きめの巾着袋から中瓶を1つ取り出す。蓋を開けて中の液体を手に垂らすと、それを顔や手などの露出部分に塗り始めた。


 その様子を怪訝そうに見ていたサイモンにユウは尋ねられる。


「おい、何やってんだ?」


「虫除けの水薬を塗っているんです。こういう場所って羽虫が多いからこれが効くって教えてもらったんですよ」


「あーそれか。確かに塗るヤツはいるな」


「サイモンさんは塗らないんですか?」


「めんどくせーからやってねぇな。気にしなきゃいいだけだしよ」


「そう言われるとそうなんでしょうけど、あれって鬱陶しいんですよ」


「随分と繊細なモンだな。で、それって効くのか?」


「森で仕事をしていたときに使っていましたが、かなり効きますよ。ここだとどうだかはわかりませんが」


 手早く塗りおえたユウは中瓶の蓋を閉じて巾着袋にしまった。それから槌矛メイスを手にする。次いで気合いを入れるため大きく息をしかけて、悪臭に気付いて止めた。


 準備を終えたユウを見たサイモンが口を開く。


「これから幹線下水路をたどって城内へと向かう。そこから決まった順路で下水路を巡回するが、オレが指示する通りにてめぇは進め、いいな」


「はい。その経路って受付係の人からもらった羊皮紙に描かれているんですよね。僕にも見せてください」


「初めて下水路に入るてめぇが見てもわかんねぇだろ」


「下水施設講習で教えてもらったんですけど、それで読めるのかなって思って」


 一瞬の沈黙の後、ユウは顔をしかめたサイモンから羊皮紙を受け取った。折り畳まれたそれを見ると直線と曲線を使って何かが描かれている。記号を使った経路図だ。講師から教えてもらった知識である程度読める。しかし、わからない記号もあった。


 羊皮紙をサイモンに返したユウが尋ねる。


「読めない記号もあるんで、後で教えてもらえますか?」


「ここで知り合ったっていう冒険者にでも教えてもらえ。報酬をケチったてめぇにオレが教える義理はねぇよ」


「そうですか。そういえば、普通は受付係の人が新入りの冒険者に冒険者ギルドの講習会を勧めるものですよね。初めて下水路に入るなら尚更」


「それがどうした?」


「いえ、僕はこっちの受付係の人には勧められなかったんです。本部で講習を受けているって知らないはずなのに。その代わりサイモンさんを薦められましたが」


 新人の死傷を減らすためにも講習へと導くのは受付係の重要な仕事だ。新人の多い南西派出所でその誘導がなかったことにユウは違和感を覚える。


「忘れていたのかな?」


「さぁな。行くぞ。あっちの通路だ」


 急かされたユウは考えるのを止めて北に伸びる幹線下水路に向かった。歩道の幅はおおよそ3レテムで通路の東側にある。一列に並べばすれ余裕ですれ違って歩けた。


 この辺りはまだ篝火が設置されているため視界が利く。人通りは割とあり、他人の掲げる松明の光や話し声を見聞きできた。


 そんな幹線下水路は枝分かれしている場所が多い。今ユウが歩いている場所だと西側にいくつもの下水路と結合している。その枝分かれしている通路はどれも決まって幅が5レテム程度、歩道は2レテムくらいだ。この辺りだと職人の宿屋街の汚水を運んできているのだろうと推測できた。


 他の人々に紛れてユウたちが幹線下水路を北上していると、東側へと同じ大きさの下水路が枝分かれしている場所にたどり着く。


「サイモンさん、こっちも幹線下水路みたいに大きいですね」


「そっちも幹線下水路だからな。城内に向かうから右に曲がれ。北は拡張工事中だ」


 指示を受けたユウは言われた通りに東側に伸びる幹線下水路に足を向けた。ここの歩道は冒険者が多い。


 更に奥へと進むと数人の職員と冒険者が集まっている場所にたどり着いた。特定の冒険者が同じ冒険者たちに何か話しかけている。


「あれが検問所ですか? ということは、あの人たちが地下門番かな」


「そうだ。オレと一緒にいる間はオレが話を付けてやる。余計なことは言うな」


「わかりました」


 逆らう理由もないのでユウはおとなしくうなずいた。順番待ちをしている前の冒険者たちの後ろに黙って立つ。


 検問での確認は形式的なもののように見えるほどあっさりとしたものだった。地下門番に声をかけられた冒険者が奥に進む理由を告げるとそのまま通されている。


 すぐにユウたちの番が回ってきた。地下門番がサイモンに声をかける。


「今日は違うメンツなんだな」


「生意気な新入りのお守りさ。巡回の仕事で中に入るぜ」


 ちらりとユウを見た地下門番がそのままサイモンから離れた。


 その手慣れた様子を見たユウは少し感心する。そして、サイモンに前を歩くように命じられた。ここから先は篝火がないせいか、冒険者の持つ松明が照らす場所以外は真っ暗だ。左手に持つ松明の明かりが頼りである。


 それでもユウは背後の足音を耳にしながら前に歩み始めた。

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