酒場で見かけた下水の香り漂う冒険者

 日が沈もうとしていた。六の刻の鐘はまだ鳴っていないが、ミネルゴ市周辺の秋は日没が早い。歓楽街でなければ明るいうちに店じまいをするのが一般的だ。


 昼間の空き時間をかけてミネルゴ市外周を巡ったユウは冒険者ギルド城外支所南西派出所近辺に戻ってきていた。宿をこの辺りで取っているので食事処は自然にその近場となる。


 貧民の歓楽街に入ったユウはぼんやりと路地を歩いていた。まだやって来たばかりの都市なのでどこの店が良いのかさっぱりわからない。


 篝火かがりび松明たいまつがないとそろそろ歩きづらくなった頃に、ユウはとある安酒場に入った。中は大体席が埋まっている。貧民の他に、冒険者、職人、人足がいた。多くの客から下水の臭いが漂い、それが酒精と混じり合っている。


 この臭いのせいでユウの食欲は削がれた。慣れないといけないのは理解しているが、慣れるまではなかなかきつい。しかし、明日の行動に支障をきたさないためにも何か口にしておく必要はある。


 ともかく、空いている席に座ることにした。どこが良いかとカウンター席を眺めていると端の席が空いた。給仕女が空の食器を片付けるのを見て今日の席を決める。


 隣の席に座っている男は冒険者だった。くすんだ金髪でそばかすが目立つ顔の青年だ。下水の臭いがすることからどんな仕事をしているのかすぐに理解する。


 その青年は1人で飲んでいるようだった。あまり良い表情はしておらず、若干落ち込んでいるようにも見える。しかし、何となく他の冒険者と雰囲気が少し違う気がした。


 青年から一旦目を離したユウは近づいて来た給仕女に声をかける。


「注文します!」


「今そっちに行くところだったんだよ。で、何を頼むのよ?」


「エール2つ、黒パン1つ、スープ、それと肉の盛り合わせをお願いします」


「銅貨2枚よ。は~い、ありがと。ちょっと待っててね」


 注文を終えたユウは正面を向いた。後は待つだけだ。しかし、すぐに右手側から視線を感じた。顔を向けるとあの青年がユウに目を向けている。


「どうしました?」


「別に。エール2杯っていうのが景気いいなって思ったんだ」


「そうなんですか?」


「ああ。最近不運続きでね。ちょっと金欠なんだ。悪いことって重なるもんだろう?」


「そうですね。それはあると思います」


「こんな安酒場のエール1杯で粘らないといけなくなるなんてなぁ」


 ため息をついた青年が木製のジョッキをちびりと傾けた。すぐに口を離す。


 先程感じた雰囲気の違いは何だろうかとユウは考えた。普通の冒険者よりも言葉遣いや態度が荒くないように見える。ただ、何となくそう思うだけで自信はない。


 内心で首を傾げるユウだったが、そのとき給仕女が料理と酒を持ってきた。すべてユウの目の前に置いて去っていく。安酒場だけあって、黒パンもスープも盛り合わせられた肉も普通より少ない。


 何となく気になった青年ともっと話をしたくなったユウは元気づけようとする。木製のジョッキの1つを青年の前にずらした。


 突然目の前に目一杯注がれた木製のジョッキが現れたことに青年が目を丸くする。


「これは一体?」


「もう少し話をしたいと思ったんで差し上げますよ。どうせなら楽しくしゃべりたいですし」


「あんたいい奴だな!」


 途端に表情が明るくなった青年が差し出された木製のジョッキを傾けた。喉を鳴らして旨そうに飲む。


「はぁぁぁ、旨い! やっぱりエールはこうやって飲まないとな!」


「そうですね」


 青年の言葉にうなずいたユウは自分も木製のジョッキを口に付けた。やはり味は薄い。こんなものかと納得する。


 黒パンをちぎってスープにひたして口にしたユウが口を動かしていると、横から青年が声をかけてくる。


「ありがとう! 久しぶりに旨い酒が飲めたよ!」


「それは良かったですね。これをきっかけに運が向くと良いですけど」


「まったくだ! おっとそうだ、まだ名乗ってなかったな。俺はトリスタン・ダインリーっていうんだ」


「ダインリー? 姓があるの? ということは貴族様?」


「没落貴族だよ。親の代で財産をすべて食い潰されて都市の外に出る羽目になったんだ」


 青年の事情を知ったユウは違和感の正体を理解した。どうりで違うはずである。


「僕は冒険者のユウです。ところで、貴族様なら都市の居住権があるでしょう? どうしてわざわざ外に出てきたんです?」


「俺の親が詐欺の片棒を担いだせいで、城内に居づらくなったんだ。あれがなかったら俺も再起の目があったんだけどな」


「そうなんですか。あれ、でもそれじゃ身分は今どうなっているんですか?」


「一応まだ貴族の末席にいる。元々法衣貴族だったから土地は持っていなかったけど、家も家財も全部処分したから今は本当に身分だけしかないけどな」


「そうなんですか」


 世の中いろんな人がいるものだとユウは目を見張った。かつて自分はなかなか不幸な生い立ちではと思っていたが、元の身分との落差と没落した理由で言えばトリスタンもなかなかである。世の中には本当に色々な人がいるものだ。


 1杯目の木製のジョッキを空にしたトリスタンが今度はユウに尋ねてくる。


「今までここら辺じゃ見かけなかったよな。ユウはどこから来たんだ?」


「僕はアディの町から来ました」


「あの終わりなき魔窟エンドレスダンジョンのある町か。でも、だったらそっちで稼いだら良かったんじゃないのか?」


「ここには稼ぎに来たわけじゃないんですよ。僕、世の中のいろんな所を見て回りたいから旅をしているんです」


「旅をしている? ちょい待った。アディの町ってどん詰まりだったよな。ユウはあの町出身でそこから旅を始めたんじゃないのか?」


「それがですね」


 興に乗ってきたユウが自分の生い立ちを掻い摘まんで説明した。始まりの町から出発し、辺境から辺境へと旅をして、古代遺跡で魔法陣によって転移し、今現在に至ることをだ。


 話を聞いていたトリスタンは目を見開いて鼻息を荒くしていた。手にしている木製のジョッキのことも忘れているようで、ユウの話に思い切り食いつく。


「そして、今ここにいるんですよ」


「すごいな! 本当に冒険しているじゃないか!」


「そこまで興奮することかな?」


「するって! ここの冒険者なんて冒険する所がないからほとんど下水路にばっかり入っているんだぞ? 口さがない連中は俺たちのことをどぶさらい支所の連中だなんていうくらいだからな。それに比べたら、ユウは本物の冒険者だ!」


「うん、ありがとう」


 若干引き気味のユウが何とか礼を返した。気分良く飲んだエールが効き過ぎたのかなと思ったくらいだ。喜んでもらえたのは何よりだが予想以上の反応は対応に困る。


「僕はともかく、トリスタンは何かしたいことってあるんですか?」


「俺かぁ。とにかく資金を貯めたいっていうのが先立っていたなぁ。けど、ユウの話を聞いていると、俺もいろんな所を回ってみたくなったよ」


「道具が一通り揃っていたらある程度は何とかなりますよ。辺境を回っていたら冒険者でも荷馬車の護衛ができることはありますしね」


「ユウみたいに傭兵団に仮入団するって方法もあるんだよな。それは盲点だったな。意外といけそうな気がしてきたよ」


「それで、今はどのくらいお金は貯まったんですか?」


「うーん、それがなかなかうまくいかないんだ。一通りの装備はとりあえず揃えられたんだけど、そこからがね」


 今までひたすら明るかったトリスタンの表情に影が差した。詳しく聞くと、もう1人の相棒と2人で活動しているのだが、最近もっと稼ぎたいと相棒が主張してより報酬の高い依頼を引き受ける傾向がある。そのせいで、依頼に失敗することも増えてきたのだ。


 眉をひそめたユウが遠慮がちに返答する。


「良くない傾向ですね」


「俺もそう思う。今度もちょっと危険な害獣駆除の依頼を引き受けるって張り切っているんだ」


「命あっての物種なんですけどね」


「それは俺も言っているんだけど、あいつ最近あんまり俺の話を聞かなくなってなぁ」


 先程までの明るさはどこえやら、トリスタンはすっかり最初のように元気をなくしていた。


 これは話題の選択を間違ったとユウは後悔する。内心焦りながら次の話題について考えた。とりあえず口を開いてみる。


「ところで、僕も明日初めて下水路に入るんですけど、知っていることを教えてくれないですか?」


「初めて? というか、ユウも下水路に入るの? なんでまた?」


「ちょっと色々と事情があってですね」


 何気なく自分の話をしたユウだったが、今度はトリスタンからの質問攻めにあった。自分が話を聞く側に回るはずだったのが思惑が外れて四苦八苦する。


 それでも、ユウにとってこの日の食事はいつになく楽しいものだった。話題もあちこちに飛び回る。いつもと違い、かなり長く居続けることになった。

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