王都の冒険者ギルドの習慣

 殺人の容疑者であるジャッキーを探すことになったユウは早速エリオットから上下一式の服と革のブーツを受け取った。洗濯されているようだが確かにあちこちほころんでいる。


 エリオットの許可を得て1人応接室で服を着替えたユウは微妙な表情を浮かべた。さすがに繕う必要を感じたからだ。少なくとも割と大きめの穴はふさがないといけない。


 次いで背嚢はいのうの中を改めて覗いた。旅に必要な物は一通り揃っているが、地下の空間を捜索するのに必要な物となると限られてくる。


 1人で応接室の椅子に座ったユウは老助祭官の助言を思い出していた。できるだけ持ち物は減らしたい。


「物を入れる麻袋は必要かな。麻の紐も、いるかなぁ? 手拭いはほしいかな。火口箱と松明たいまつは絶対にいる。薬は全部持っていかないといけないし、水袋と干し肉も1日分は必要っと。意外に多いな」


 とりあえず点検しながらユウは若干渋い顔をした。出し渋るのは良くないができるだけ悪臭に曝したくはない。


「武具は、あー、鎧なんて持って行きたくないなぁ。買ったばっかりなのに」


 前の町で買い揃えたばかりの革の鎧に触れながらユウはため息をついた。できれば外して臨みたいが、さすがにそんな無謀なことはできない。話によればミネルゴ市の下水路網には動物どころか魔物すら生息しているらしいのだ。


 一通り確認して必要な物を判断したユウの顔は嫌そうな表情のままだった。幸い今のところ買い足すべき物はない。


 城外神殿を出たユウは冒険者ギルド城外支所本部へと向かった。貧民の道を北に進み、王都の北西の端に差しかかると東へと進路を変える。そのまま北東の端まで歩くと城外支所本部にたどり着いた。昨日嗅いだ下水路の悪臭が鼻を刺す。


 貧民の道に面した城外支所本部は建物南側の東半分の壁が丸々ない。そこから中に入ると正面に受付カウンターがある。一方、その西側には打合せ室が広がっていた。しかし、床と天井の半ば辺りまでしか木の板で仕切られておらず、密談には向かない。


 室内には割と人がいて活気がある。昼近い今でこれならば朝夕は更に盛況であることが窺えた。


 それにしても悪臭の臭いがなくならない。真隣に廃棄場があるのだから仕方ないとはいえ、こうもきついとユウもげんなりとする。周囲を見ても誰も気にしていないことが不思議で仕方なかった。


 今回用があるのは受付カウンターなのでユウは最も短い行列に並ぶ。そして、そこで気付いた。目の前の冒険者からあの悪臭が漂っていることにだ。それから何となく周囲を窺うとみんな同じだということに愕然とした。その事実におののく。


「もしかしてみんな下水路に入っている人たち?」


 冒険者が下水路で仕事をしていることを聞いてはいたユウだったが、その実際を目の当たりにして慄然とした。なりたくないと思っていた見本が周囲にあるのだ。目眩がする。自分の番まで呆然とした。


 割と待たされた後、ようやくユウに順番が回ってくる。


「はい次の方どうぞ。おや、見ない顔だな」


「昨日ここに来たばかりなんですよ」


「新入りか。で、何の用だ?」


「城外神殿が出している捜索の依頼ってありますか?」


「城外神殿の捜索依頼? ちょっと待て。昨日ここに来たばかりのヤツが、なんでそんな依頼があるなんて知ってるんだ?」


「だって、城外神殿に行って直接確認したからですよ」


「お前冒険者だよな。あそこの祭官どもには見えないんだが」


「冒険者ですよ。証明板もありますし」


 怪訝な表情を向けられたユウは懐から銅色の証明板を取り出した。それを見た受付係の男が目を見開く。


「確かに本物だな。しかも銅級か。あんた、童顔って言われないか?」


「言われたことはないですよ。見た目相応の歳ですし」


「信じられんな。まぁいい。それで、城外神殿の捜索依頼があるかって? もしかして、あんたが受けるのか?」


「そうですよ。そういうことになったんです。疑うんでしたら、エリオットさんっていう助祭官に聞いてください」


「わかった。それは信じよう。しかし、もう1点確認したいことがある。さっき昨日ここに来たばかりだと言ってたが、以前このミネルゴ市の下水路に入ったことはあるか?」


「いえ、ないです」


「マジかよ。そのエリオットっていう助祭官はなんであんたみたいな新入りに依頼を頼んだんだ」


「誰も引き受けてくれないって言っていましたけど」


「そういう意味で言ったんじゃないんだよな」


 苦り切った顔の受付係がため息をついた。しばらくユウから視線を外して黙る。


 一方、ユウもエリオットとの会話を思い出して受付係に同情していた。慣れた冒険者でも避けるような依頼を新参者が引き受けようとしているのだ。困りもするだろう。


 あちらこちらへと視線を向けていた受付係はようやくユウへと顔を向けた。小さく息を吐いてから口を開く。


「依頼主と話をして認められたっていうんならこっちも強く拒めないが、正直無茶だと思うぞ。慣れたヤツでも下水路での捜索は難しいんだ」


「はい、話は聞いています。だから誰も引き受けてくれないとも」


「そうか。そこまでわかっているのか。だったらこれ以上は引き止めない。ちょっと待ってろ。依頼書を持ってきてやる」


 受付係が受付カウンターから離れるのを見ながらユウはわずかに申し訳なさそうな顔をした。依頼を達成できなくても構わないと依頼主から許可を得ていると言ったらどんな反応を示すだろうかと想像する。呆れられそうなので面と向かって口にはしないが。


 わずかに待たされた後、ユウは受付係が羊皮紙を手にして戻って来るのを目にした。そうしてその羊皮紙を手渡される。


「それが城外神殿からの依頼書だ。字が読めるんなら確認するといい」


「はい。確かにそうですね」


「読めるのか。まぁいい。それと、ここが初めてならいくつか教えておかないといけないことがある」


「どんなことですか?」


「まず、このミネルゴ市には2つの冒険者ギルド城外支所があるということだ。1つはここ、都市の北東部にある本部だ。もう1つは反対側の南西部にある南西派出所だ」


「城外神殿の南側にあるんですよね」


「そうだ。こっちもあっちも建物の造りや下水路網の出入口の位置に大きな違いはないんだが、ここで活動する冒険者として守るべき習慣というのがある」


「暗黙の了解みたいなものですか?」


「その通りだ。特にこのミネルゴ市での仕事を引き受けるときはな。まず、ここ本部側の仕事は常連や貢献度の高い冒険者が優先的に受ける習慣になってる。そして、新入りは南西派出所でまずは働くことになってるんだ」


「どうしてそんな風になっているんですか?」


「簡単なことだ。新入りには下積みをさせ、経験を積んだ連中にはいい仕事を回すためだ。わかるだろ?」


「まぁ、それは」


「下水路の仕事もそうなんだが、特に臭くない地上の仕事はこっちに集中していてな。しかも人気があるからどうしても長い付き合いのある連中に回してやらないとダメなんだ。あいつらにそっぽを向かれると仕事が回らなくなるからな」


 よくある話を聞いたユウは曖昧にうなずいた。今まで旅をしてきた町の冒険者ギルドでここよりもひどい所に出会ったこともある。面白くはないが諦めることはできた。


 ただ、1つ気になることがあるのでユウは尋ねてみる。


「僕は今、城外神殿の依頼をここで受けましたけど、これは構わないんですか?」


「それは構わない。どうせ引き受け手のいない依頼だからな。それに限って言えば誰も文句は言わない。物好きだとは思われるだろうけどな」


「だったらまだいいです。それより、下水路網についてもっと教えてくれませんか。できるだけ詳しく」


「だったら初心者講習と下水施設講習を受けろ。今なら講師を手配してやるぞ。合わせて銅貨14枚になるが」


「わかりました。お願いします」


 受付係の提案にうなずいたユウは懐から代金を取り出してカウンターに置いた。今は懐が温かいのでためらいはない。


 席を外した受付係が受付カウンターに戻ってくるまでユウは待った。しばらくすると受付係が再び席に着くのを目にする。


「あっちの打合せ室近くで待ってろ。すぐに講師がやって来る。しっかりと聞いておくんだぞ」


「はい」


「それと、その捜索依頼に関してはどこを調べても文句は言われないだろうが、あんまり変な所に行くなよ」


「気を付けます」


「下水の臭いが染みついたら一人前だ。そうなったらまたここに来いよ、新入り」


「ははは」


 受付係に引きつった愛想笑いをしながらユウは受付カウンターを離れた。今までどんなところでもわずかにわくわくする気持ちがあったが、今回はそれがまるでない。


 下水の悪臭を取り除く方法がないか真剣に探そうと心に誓ったユウだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る