あなたに神のご加護がありますように

 鐘の音と共にユウの意識は目覚めた。夏とは違って寝苦しくて目覚めることがないのは秋の良いところだ。


 目を開いたユウは周囲が明るいことをぼんやりと認識した。頭が重いのは昨晩飲み過ぎたせいだと認識している。つまり、送別会ではついに酔い潰れることがなかったわけだ。しきりに木製のジョッキをやり過ごし、最低限だけ口を付けたのが勝因である。


「しんどい。どうしてみんなあんなに飲めるんだろう。ん? 朝?」


 ようやく意識がはっきりとしてきたユウは目を見開いた。勢い良く体を起こしてすぐに頭を抱える。少し痛い。顔をしかめながら呻いた。少しじっとしてから独りごちる。


「そうだ、今日の稽古はないんだった」


 三の刻の鐘が鳴り終わったことに気付いたユウだったが、今朝は何も予定がないことに起きてから気付いた。再び横になろうかと思ったがゆっくり立ち上がる。


 用を済ませたユウが再び部屋に戻って干し肉を囓りながら今日の予定について考えた。基本的に1日の大半は部屋で羊皮紙にペンを走らせることに費やすつもりだ。他には所用でわずかに外へと出るくらいである。


 その所用とは城外神殿への挨拶回りだ。ネイサンとオーウェンに最後の挨拶をするためである。ただ、これは夕方の炊き出し前後を狙って行けばほぼ確実に会えるので心配していない。酒場へと行く前に寄るつもりだ。


 あとは買い物である。水と干し肉は夕食のときにまとめて買うとして、松明たいまつ用の油はいつ買いに行くか。


「城外神殿に行く前でいいかな。大瓶1つだけなら少しかさばるだけだし。それとも、朝の間に行ってしまおうか」


 特に急ぐ理由もないのでユウは思い頭でぼんやりと考えた。そして、しばらくして悩むくらいなら今すぐ買いに行けば良いことに気付く。


 ため息をついたユウは立ち上がると部屋の外に出た。




 城外神殿による炊き出しは夕方に行われるが時間は季節によってわずかに違う。夏場は六の刻の鐘が鳴る頃に始まり、秋から冬にかけては日没前から始まるのが通例だ。


 ユウは六の刻の鐘が鳴ると宿を出た。そうして城外神殿へと入る。アグリム神の祭壇がある祈祷室で信者を呼び止めるとネイサンとオーウェンを呼んでもらった。


 ほどなくして2人はユウの前に現れる。どちらも穏やかな笑みを浮かべていた。そんな2人にユウは挨拶する。


「こんばんは、ネイサンさん、オーウェンさん」


「ユウですか。久しぶりですね。その節はありがとうございます」


「あのとき以来機会がありませんでしたから会えて嬉しいですよ」


 何の不安もないといった様子の2人をユウは見た。どちらも次の言葉を待っている。わずかに間を置いた。それからネイサンを見て口を開く。


「今日は2人に伝えないといけないことがあるんです。実は僕、明日この町を出るんですよ」


「なんと! それは本当ですか?」


「はい。僕は元々旅をしていたんですけれど、路銀がなくてこの町でしばらくお金を稼いでいました。でも、充分蓄えが貯まったんでそろそろまた旅に出ようと決めたんです」


「そうでしたか。それは残念です。あなたのような良き理解者が去ってしまわれるのはこの町にとっての損失でしょう」


「それほどのことでもないと思いますけど」


「いえいえ、あなたの果たした役割は小さくありません。例え公式に認められることはなくとも、私やオーウェンはそのことを知っています」


「そうですとも! あなたと一緒に働いたことは私もよく覚えています。神もご覧になっているはずですからきっといつか報われますよ」


 2人揃ってのべた褒めにユウは落ち着かなくなった。金で雇われた一介の冒険者でしかないという認識だからだ。評価されることは嬉しいが慣れない扱いに落ち着かなくなる。


「そのうち良いことがあるなら嬉しいですね」


「残念なことが他にあるとすれば、私もオーウェンもあなたに何も報いることができないということです」


「いえそんな、あのとき僕たちの提案を受けてもらえましたし、報酬だってたくさんいただいています。充分ですよ」


「あれは城外神殿としてのものですよ。提案は上の者が許可したものですし、報酬というか賄い金も私が出したわけではありません」


「そう言われても、これ以上やってもらうことって僕にはないですし」


「困りましたねぇ」


 本気で悩んでいるネイサンとオーウェンを見たユウも困惑した。追加で報酬をもらえるのならば受け取りはするだろうが、自分から望むほど今は困っていない。しかし、このままでは2人に心残りができてしまいそうだ。


 どうしたものかとユウが悩んでいると、オーウェンが声を上げる。


「そうだ、ネイサン様、ユウに身分保証状をしたためてあげてはどうしょう。冒険者としての身分はありますが、あれがあれば何かの役に立つかもしれません」


「それは良い考えですね! 今すぐしたためましょう。しばらくお待ちください」


 喜んで提案を受け入れたネイサンが踵を返して去って行った。


 それを見送ったユウがオーウェンへと顔を向ける。


「身分保証状ってなんですか? あいや、それそのものは知っているんですけど、パオメラ教の身分保証状ってそんな簡単に出してもらえるものなんですか?」


「もちろん簡単には発行されませんよ。その人物の人となりや業績を見て認めるかどうか決めるものですから」


「ですよね。僕の場合、業績って言っても非公式だから存在しないことになりませんか?」


「そこは個人の裁量に寄るのですよ。何も城外神殿でなくても、ネイサン様や私が認めれば構わないのです。身分保証状をお渡しするのはネイサン様ですから」


 そこまでしてくれることにユウは胸がいっぱいになった。町から町へと旅をする者は根無し草として避けられたり嫌われたりすることがある。しかし、こういう紹介状があればある程度そんなことを避けられるのだ。


 その後もユウがオーウェンと身分保証状について話をしていると、ネイサンが戻って来た。その表情はわずかに得意気である。


「お待たせしました。これが私のしたためた身分保証状です。私の身分がそれほど高くないのでこの王国内くらいしか確約できませんが、それでも町の神殿に持って行けばいくらか便宜を図ってもらえるでしょう」


「ありがとうございます。こんなに良くしてもらえるなんてとても嬉しいです」


「私にできるお礼といえばこれくらいしかありませんから」


「ユウ、その身分保証状は貴族様にも通じることがありますから大したものですよ」


「オーウェン、言い過ぎです。通じると言っても、男爵位の方にお目通りが叶うくらいですよ」


「子爵様にもお目通りは叶うのではないですか?」


「場合によりますね。王都の神殿勤めでしたらまだしも、私では」


「そうでしょうか? この町でしたら通じるでしょう」


「他の町で通じなければ意味がありません。あまりユウに期待を持たせすぎるのは危険です。貴族様相手に対応を間違えると身を滅ぼしますから」


 目を輝かせて話すオーウェンをネイサンがたしなめた。どうも見解の相違があるようだ。


 2人の様子を見ていたユウがネイサンに話しかける。


「そこまで気になさらなくても大丈夫ですよ。僕が直接貴族様に会うことなんてありませんから。町の中の神殿もどうかわからないですのに。あ、これって商売人や門番に見せても通じるんですか?」


「身分を示すだけでしたら通じますよ。ただ、あきないに関することになりますとさすがに」


「それで充分です。怪しまれずに済むようになるだけでも全然違いますから」


 かつて捜査のために町の中へと入ったときのことをユウは思い返した。あのときは後ろ暗いことが本当にあったが、そうでなくても怪しまれることが多いのだ。冒険者の証明板だけでは不充分なことが多いのである。


 そのとき、アグリム神の信者がネイサンを呼んだ。耳打ちされたネイサンが残念そうな表情をユウに見せる。


「来客の知らせがありましたので、私はこれで失礼いたします」


「そうですか。でしたら僕もこれで帰ります。今日はありがとうございました」


「いいえ、こちらこそ。どうか旅先でもお元気で。あなたに神のご加護がありますように」


「私も会えて本当に良かったです。どうかお達者で。あなたに神のご加護がありますように」


 身分保証状を手にしたユウはネイサンとオーウェンに丁寧な一礼をした。それから踵を返して城外神殿を出る。


 新月の時期の日没後なので既に城外神殿の周囲は暗い。冒険者の道の先に顔を向けると冒険者の歓楽街辺りにほのかな明かりが見える。それまでの間はたまにいる松明を持った人の周囲以外は何も見えない。


 ユウはその松明の明かりを頼りに歩き始める。何とも不安だが歩けないことはない。地面をしっかりと踏みしめてユウは前に進んだ。

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