雨に濡れようが門出は門出

 薄らとした明るさがユウのまぶたを緩やかに刺激していた。それにより、ユウはゆっくりと目を覚ます。室内を見渡すと見えるが暗い。暗闇という意味ではなく、光が厚い何かを通してぼんやりと辺りを照らしている感じだ。


 寝台の上で体を起こしたユウは目をこすった。いつもより暗いことを不思議に思う。しかし、その疑問は耳に聞こえてくる音によって理解した。寝台から立ち上がると窓を開ける。


「雨が降っているじゃないか」


 厚い雲から真下に落ちてきた無数の水滴が、屋根を、地面を、そして通りがかる冒険者たちを打っていた。その足音は水に濡れたものだ。


 入り込む冷気と湿気により意識がはっきりとしたユウは表情を曇らせた。よりにもよって出発当日に雨とはついていない。


 そうは言っても予定は変更できなかった。他人の都合に乗ったので天候がどうであろうと行くしかない。


 部屋を出たユウは宿の裏手に回った。すると、よりはっきりと雨の音を耳にする。地面に当たってはじける雨水を見て宿を出た自分がずぶ濡れになるところを想像した。この様子では集合場所にたどり着くまでに荷物も同様だろう。思わずため息が出た。


 どうにか用を済ませたユウは部屋に戻って昨日買った干し肉を囓る。10日分まとめ買いしたものの1つだ。他は既に背嚢はいのうの中にしまってある。


 吐く息はまだ白くならないが先月に比べて確実に冷えてきていた。もうすっかり秋であり、この時期の雨は冷たい。


 朝食を終えるとユウは立ち上がった。机の上には背嚢を始めとした身の回りの道具や武具が置いてある。丸椅子の上には折り畳まれた外套があった。


 いつものようにそれらを1つずつ身に付けていく。鎧を身につけた後、ナイフ、ダガー、槌矛メイス、悪臭玉、水袋を腰回りに取り付けた。それから硬貨の入った巾着袋を懐に入れる。


「まだ早いけどもういいかな」


 支度を整えたユウはつぶやいた。行くには早い時間だが部屋の中で待つにも微妙な時間である。遅刻を避けるのならば集合場所で待つのが一番だ。


 背嚢を背負ったユウは背中に馴染むようにそれを揺すった。久しぶりに全財産を背負ってその重みを再確認する。最後に外套を手に持って部屋を出た。


 カウンターの前に立ったユウは鍵をその上に置く。


「おはようございます、アラーナさん。それと、今までお世話になりました」


「商売だったからね。カネになる間は面倒を見てやっただけさ。元気でやるんだよ」


「ありがとうございます。それでは、さようなら」


 簡単な別れの挨拶を交わすとユウは踵を返した。宿の出入口の前に立つと雨の降る外に目を向ける。少し間を置いてから手に持っていた外套を広げ、その両端を両手で持って頭から被る。その外套は背負っている背嚢の上にも覆い被さるよう調整した。


 準備ができると宿を出る。他の冒険者と同じように路地を歩き始めた。


 雨は強くはないが弱くもない。淡々と降っている。風がないおかげで横殴りに振らないのは幸いだ。それでも体の正面はみるみる濡れていく。


 冒険者の宿屋街を北に進んだユウはその北端を抜けると修練場を目にした。雨雲によって日が遮られているので全体的に薄暗い。


 冒険者ギルド城外支所の裏手には1台の荷馬車が停まっていた。馬2頭で引く大きめのものだ。馬はすっかり雨に濡れていてしょぼくれているように見える。


 裏口へと近づいたユウは開いたままのそこから人が出入りしているのに気付いた。何やら荷物を持って荷台に運んでいるらしい。


 ほどなく裏口にたどり着くと建物の中にウィンストンがいた。他の誰かと話をしている。


「おはようございます、ウィンストンさん」


「今朝は早いな。というか、結構濡れてんじゃねぇか」


「雨が降っていますから。外套でせめて背嚢だけでも守ったんです」


「荷物の方が大事ってか。まぁいい。早く中に入れ」


 勧めに応じたユウは裏口から建物の中に入った。普段は立ち入れる場所ではないので初めてである。


 被っていた外套を頭の上から取り除いたところでユウはウィンストンに今回の御者を紹介された。中年の男である。


 荷物を運んでいた職員から積み込みが終わったという声が上がった。中年の御者が確認のために外へ出て行く。職員と何かを話す声がかすかに聞こえた。


 雨の音と話し声を耳にしながらユウはウィンストンへと話しかける。


「この馬車に乗るんですね」


「そうだ。積み込んだ荷物の確認ができたら儂たちも乗り込むからな」


「すぐに出発ですか?」


「護衛のパーティの連中が来たらな」


「三の刻の鐘が鳴るまでに来るんですよね?」


「来なかったらぶん殴ってやるさ」


 あっさりと物騒なことを言ったウィンストンが軽く笑った。その直後に4人組の冒険者たちが裏口から駆け込んでくる。全員ずぶ濡れだった。騒がしいのが落ち着くとお互いに紹介し合う。


 御者と職員が裏口から建物の中に入ってきた。職員はそのまま奥へと去って行く中、御者がユウたちに荷馬車へ乗るよう告げる。準備ができたのですぐに出発するとのことだ。


 最初に護衛のパーティ4人が荷台に乗り込むと御者台へと近づき、次いでウィンストンが荷台へと上がった。最後に背嚢を背から下ろしたユウがまずそれを荷台に置き、後で乗り込む。最後に御者がずぶ濡れの御者台に座って準備が整った。


 湿った服に眉をひそめるユウが独りごちる。


「ああ、これ今日中に乾かないんだろうなぁ」


「明日になったら乾くさ」


「出発するぞ!」


 ウィンストンの声に被せるように御者の声が前から聞こえてきた。鞭を入れる音が聞こえたかと思うと荷馬車がゆっくりと動き始める。


 小岩の山脈の山肌が少しずつ遠ざかった。かと思うと荷馬車はすぐに東へと曲がる。荷台の背後の景色は草原に変わった。北沿いに冒険者ギルド城外支所の建物の壁が見える。


「この町にも随分と長くいましたね」


「お前さんと初めて会ったのは冬だったか」


「はい。天気の良い日でしたけど、寒かったですよ」


 外の景色を見つめながらユウはウィンストンへと答えた。


 南へと曲がった荷馬車は冒険者の道へと出る。雨の降る中、今日も冒険者たちが終わりなき魔窟エンドレスダンジョンに向かって歩いてゆく。こんな日でもその活気はいささかも失われていない。原っぱでもパーティと単独の冒険者の駆け引きが活発だ。


 町の西門に通じる大通りを通り過ぎた。こちらからも冒険者たちが雨に濡れながら歩いている。その表情は誰もが明るい。


「僕も少し前まではあの中にいたんだよなぁ」


「なんだ、もう懐かしがってるのか。今から飛び降りてもいいんだぞ」


「しませんよ。ここではもう充分に稼いだんですから。後は先に進むだけです」


 面白そうにからかってくるウィンストンの言葉にユウが反論した。ここにはもう区切りを付けたのだ。懐かしがっても戻りたいとは思わない。


 城外神殿に差しかかると荷馬車は再び東へと曲がってゆく。神殿への出入りは相変わらず多い。今日もいつものように信者たちが日課をこなすのだろう。貧民の道へと移るとその建物が遠ざかっていった。


 貧民の市場は今日に限ってはやや静かである。西側は露店が多いので雨の日は仕事にならないからだ。それでも人通りが少なくないのはやはり集まる人が多いからだろう。


「そういえば、王都ってここより大きいんですよね?」


「当たりめぇだ。なんたって王国の首都なんだからな。この町もなかなかだが、さすがに王都にゃかなわねぇよ」


「他の国の王都に行ったことがありますけど、そこより大きいのかなぁ」


 王都と呼ばれていても実際の規模は町程度という所が大半だった。辺境を回っていたのである意味仕方のないことであったが、それだけにユウの胸は期待に膨らむ。


 貧民の歓楽街を通り抜けた荷馬車はすぐに南へとその向きを変えた。宝物の街道へと入る。荷台から先を見ると町の南門が見えた。検問所の手前には町に入ろうとする人や荷馬車の行列がある。誰もどれもひどく濡れていた。今の時期、人は特に寒いだろう。


 西側には旅人の宿屋街の軒が続いた。それが途切れるといよいよ本格的に町の終わりである。


「ああ、なんか懐かしいなぁ」


「懐かしい? 何がだ?」


「冒険者として故郷の町を出るときも荷馬車に乗っていたんですよ。あのときは護衛としてですけど。大体こんな感じで町から離れていったんですよね」


 話しているうちにユウは当時の光景を思い出した。風景はまるで違うのに何かが似ているように思える。慣れた町を離れるという感傷がそう感じさせるのかと首をかしげた。


 雨が降る中、荷馬車がアディの町から少しずつ離れてゆく。遠ざかるにつれて雨の中に町の風景が霞んでいった。同時に、町にいるという実感も薄れてゆく。


 最後に別れを告げるように町から鐘の音がかすかに聞こえた。

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