空いた時間の使い方

 11月になった。気候はすっかり秋であり、朝晩には肌寒さを感じるようになる。


 日課の鍛錬と走り込みを終えて二度寝していたユウは日の出と共に起きた。いつものように支度を済ませると三の刻の鐘が鳴る頃に修練場へと向かう。


 冒険者ギルド城外支所の建物の裏にはウィンストンが立っていた。昨日までの冒険者装備ではなく何時もの姿である。


「おはようございます、ウィンストンさん」


「朝はだんだんと寒くなってきたよな。起きるのがつらくなってきてしょうがねぇ」


「これから冬になりますけど、そうなるともう寝台から起き上がれませんね」


「まったくだ。それじゃ始めるか。とその前に1つ言っておくことがある」


「何ですか?」


「この稽古だが、今日で終わりだ。明後日に王都へ出発するからな。1日体を休めておけ」


「体の疲れを癒やせってことですか」


「そうだ。荷馬車に揺られるくらいでどうにかなるとは思っちゃいねぇが、仕事の前にはきっちり休むという癖は付けとけよ。始まる前から疲れてたら話になんねぇ」


魔窟ダンジョンで活動していたときは休みの日に稽古を付けてもらっていましたけど、あれは良かったんですか?」


「本来は良くねぇが、あんときゃ他に稽古を付けられる時間がなかったから仕方なくだ。それに、活動に影響が出ねぇように抑えて稽古してやったしな」


「え?」


「ん? どうした?」


 過去の稽古を振り返ったユウは首をかしげた。しかし、今更言っても仕方ないのでそのまま黙る。助言自体は間違いではないのだ。


 代わりに別の疑問をぶつけてみる。


「何でもないです。でもそうでしたら、朝の鍛錬と走り込みもやらない方がいいですか?」


「それは好きにしたらいい。やらないと気持ち悪いってんならやればいいし、いつもよりも量を減らすって方法もあるだろ」


「なるほど、そうですね。それじゃそうしようかな」


「何にせよ。体はしっかり休めておけよ。よし、それじゃ始めるか」


 話が終わるとウィンストンが稽古の開始を宣言した。そうして壁に立てかけてあった槌矛メイスを手に取る。


 腰にぶら下げていた自分の武器を手にしたユウは修練場でウィンストンと対峙した。




 四の刻の鐘が鳴ると稽古が終わった。修練場を離れたユウは宿の部屋に戻る。


 昼食は以前と変わらない干し肉だ。本来ならば体を作り上げる一環として肉をたくさん食べることもユウは考えたのだが、今晩は送別会があるので今は控えないといけない。


「休みかぁ。何しようかな」


 手にした干し肉を囓ったユウは口を動かしながら考えた。体を休めるということには賛成だが問題は休んでいる間に何をするかだ。思えば今までろくに休んだことのない人生だったので、何をしようかと考えてもすぐには何も思い付かない。


 以前にもこんなことがあったことにユウは気付いた。しかし困ったことに、そのとき何をしていたのか思い出せない。丸1日の休みなど数えるくらいしかないはずなのに何も思い出せないことに愕然とする。


「もしかして何もしていなかった? ずっと寝ていたとか。そうじゃなかったような」


 確かに疲れ果てて丸1日寝ていた日はあった。しかし、その日はその日でしっかりと記憶にある。ということは、本当に何もしていなかったから記憶にないのかとユウは訝しむ。


 何もしないことに不安を感じていることを知ってユウは苦笑いした。根っからの貧乏性なんだと今更気付く。


「別に役に立つことをしなくてもいいんだよね。ただ、暇を潰せたら」


 振り返ってみると、今までのユウは時間が空くと何かの役に立つことばかりしていた。直近だとウィンストンの稽古や裁縫工房での古着の洗濯だ。それはそれで良いことなのだが、何と言うか何とも生き急いでいるというか人生に潤いがない。


 では何をしようかと考えたところ、ユウはぱっと思い付くものがなかった。それがとても悲しく思える。


「ああそうだ、荷物をまとめなきゃいけないんだった」


 干し肉を食べ終えたユウは目を見開いた。今は普段持ち歩かない道具を麻袋に入れて机の下に置いている。2日後にはこの部屋を出るのだからこのままというわけにはいかない。


 丸椅子から腰を上げたユウは背嚢はいのうと麻袋の中身を寝台の上に並べた。小物の数も1つと数えると結構ある。


「そっか、これ全部背嚢に入れないといけないんだよね。どうやってたっけな?」


 首を捻りながらユウは道具を1つずつ背嚢へと入れていった。使わない物ほどを底に、使う物ほど上にと考えながらしまってゆく。


 アディの町にやって来る前のことを思い出しながら道具を手に取っていたユウは、必要な物と不要な物を見極めながら持って行く物を選んだ。大半は必要な物だが中にはいらない物もたまにある。


「人身売買契約書かぁ。これまだ持っていたんだ」


 久しぶりにしっかりとその書類を見たユウは何とも言えない表情を浮かべた。かつて生まれ育った村から町に売られたときの契約書であり、同時に冒険者になる前の身分をかろうじて保証してくれていた書類である。冒険者の証明板がある今はもう必要ない。


 しばらくじっとその文言を眺めていたユウだったが、この契約書は捨てることにした。これで故郷との繋がりを示す物がまた1つなくなる。


「まぁいいや。まだ鉄級の証明板があるし。それより次はこれかぁ」


 羊皮紙を手に取ったときにその動きを止めた。まだ使っていない物や地図が描き込んである物もある。次いで筆記用具と木製の折り畳み式下敷きに目を向けた。ここの魔窟ダンジョンで散々使った道具である。では、この先使うことがあるのかと考えると首を傾げてしまう道具でもあった。


 旅をするのだからできるだけ身軽でいたい。そう考えるとこの筆記用具や羊皮紙は処分するべきだろう。ただ、捨てるには忍びないとも感じていた。それがなぜかわからない。


「うーん、どうしようかな。捨てた方が、いやでも」


 迷い始めたユウの視線はあちこちにさまよった。どうにも決めきれない。


 そのとき、先程捨てると決めた人身売買契約書が目に入った。そこには契約に関することが文章で記載されている。それを見ると当時のことがありありと思い出せた。


「そうだ、今までのことを羊皮紙に書いたらどうかな。これなら空いた時間も暇を潰せるし、読んだら昔のことも思い出せるぞ」


 次々と持っていた物を捨てたり交換したりして昔の思い出が薄れてゆく中、ユウはその記憶を留める方法を思い付いた。これなら例え持っていた古い物がなくなっても昔を思い出せる。


 空き時間の使い方も同時に決まったことにユウは機嫌を良くした。思い付くと早くやってみたくなり、荷物の選別も手際が良くなる。結局、捨てる物は契約書だけだった。


 他に前と違う点がある。今回から財布の革袋を蓄え用と普段使いに2つに分け、蓄え用は背嚢に入れることにしたのだ。普段使わない金貨と銀貨の額が多額になってきたからである。背嚢ごと盗られると大変なことになるが置き引きよりもスリを気にした結果だ。


 色々と考えた末にユウは荷物を背嚢へ詰め込むことができた。アディの町に来る前とは中身が一部変わっているが、背嚢1つにすべて収まっている点は同じである。


「これでよしっと。あと足りない物は、水と干し肉と松明たいまつの油か。これは明日でいいかな」


 直接身に付ける物以外はすべて背嚢に入れたユウは満足そうに息を吐いた。これでいつでも旅立てる。


 そうしてから、ユウは筆記用具と羊皮紙を机の上に置いた。羊皮紙は魔窟ダンジョンの地図が記載されたものだ。


 丸椅子に座ったユウはナイフを取り出すと羊皮紙の表面を薄く削り始める。描かれている記号や文字が削られる度に消えていった。


 1つずつ丁寧に削ったこともあってユウは結構な時間をかけるとこになる。削りかすを机の上に撒き散らしながらも羊皮紙1枚を白紙にしたその表情は嬉しそうだ。


 ユウはそこでようやくペンを取る。


「やっと書けるぞ。でも何を書こうかな?」


 文字の読み書きができるユウは今まで商売上の契約書や在庫一覧表、それに冒険者への依頼書など様々な書類を見てきた。しかし、自らまとまって文章を書いたことはほぼない。文字を習ったときに木の枝で地面に色々と書いたくらいだ。


 どうしようかと考えていたユウは当時のことを思い出した。それをきっかけに書くことが決まる。


「そうだ、どうせならおばあちゃんのことを書こう。どこから書こうかな」


 書く内容が決まったユウは次いで何を書くかで悩んだ。初めてのことなので何から書けば良いのかわからない。ただ、普段とは違って焦りはなく、たくさんの品物の中から選ぶというような感覚なので気分は悪くなかった。


 やがてユウはインクを付けたペンを羊皮紙に恐る恐る走らせる。書き始めるとペンは割と順調に動いてくれた。

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