第14章 魔窟が変わる頃に

魔窟内部の変化

 夏の残滓もすっかりなくなったアディの町は今、暖かい日々が続いていた。肌で感じる気候だけで判断するなら春との区別はほとんどないが、周囲の草木の色がそうではないことを示している。


 最後の仕事をユウが終えて1週間近くが過ぎた。朝は老職員の稽古、昼は裁縫工房での洗濯労働という日々を過ごしている。あまり休んでいるようには見えないがいつでも止められるという点では気が楽だ。


 そんなユウの1日の終わりは酒場『青銅の料理皿亭』で過ごすことである。春以来、ほとんど毎日ここで夕食を取っていた。今やすっかり馴染みの店だ。


 この日は珍しく六の刻の鐘が鳴る前、しかもかなり早い時間にユウは入店していた。そのため店内に他の客はほとんどいない。


 カウンター席に座ったユウに茶色の頭巾を被った給仕女のヴェラが近づいてきた。足下まである若草色のチュニックワンピースを揺らして隣で立ち止まる。


「今日は早いじゃない。やることがなくなったの?」


「そんなところです。最近毎日洗濯していましたから、洗う古着がなくなったんですよ」


「あんた、いつから洗濯屋になったのよ。冒険者じゃなかったの?」


「冒険者稼業は今休みなんです」


「それで洗濯屋なんてしてるの。あたしにはわからないわね」


 理由を聞いたヴェラが首を横に振った。ユウにはユウの事情があるのだが、それは知らないし知る気もない。客と給仕女の関係なのでそんなものである。


「で、いつものを持ってくればいいのかしら?」


「いえ、エールを1杯持ってきてください。また夕飯には早いですから」


「それもそうね。ちょっと待ってて」


 代金を受け取ったヴェラがカウンターの奥へと回った。空の木製のジョッキにエールを入れて戻って来る。


 エールで満たされた木製のジョッキを受け取ったユウはそれを口に付けた。慣れた味が口の中に広がり、食道を伝って胃に染み渡る。


「はぁ、やっぱりいいなぁ」


「そういえば、あんたって最近魔窟ダンジョンに入ってないのよね?」


「ええ、そうです。最後に入ったのはいつだろう。あれ、先月だったかな?」


「今までどうやって稼いでたのよ、あんた。それはともかく、だったら魔窟ダンジョンに入るときは気を付けなさいよね」


「何にですか?」


「確か今月に入ってからだったかしら、他のお客が魔窟ダンジョンの中が変わったって言うようになったの。近頃じゃその話がすっかり定番になってるわ」


 ヴェラの話を聞いたユウは目を見張った。先月から町の外の件で忙しかったので魔窟ダンジョンからはすっかり離れていたからだ。


 思わず手を止めたユウはヴェラに問い返す。


「今の魔窟ダンジョンってそんなことになっているんですか?」


「そうよ。そのせいでうちのお客の稼ぎも減っちゃったもんだから、売り上げも下がっちゃったのよね。まぁ、今は持ち直しつつあるけど」


「そっか、そんなことになっていたんだ」


 自分が活動していない間に魔窟ダンジョンが変化をしていたことにユウは呆然とした。魔窟ダンジョンの内部が変わることは知識として知っていたが、実際にそんな事態が発生すると改めて驚く。そして、気が付けば随分と魔窟ダンジョンに縁遠くなったことを実感した。話を聞いてもどこか我が身のことと思えない。


 黙り込んだユウを見たヴェラが声をかける。


「近く魔窟ダンジョンに戻るんだったら、冒険者ギルドで確認したらどうなの? あたしの話より確実で詳しい話を聞けるんじゃないかしら」


「そうですね。うん、明日聞いてみます」


 冒険者と魔窟ダンジョンのことなら冒険者ギルドに聞くのが一番だということをユウは思い出した。ここでヴェラと問答をしているよりも余程良い。


 気を取り直したユウは少し早めの夕食を取ることにした。




 翌日、三の刻の鐘が鳴る頃にユウは修練場へと向かった。連日の稽古でどれだけ強くなっているのかわからないが、それでも強くなっていると信じて日々手ほどきを受ける。


 冒険者ギルド城外支所の裏にたどり着くとウィンストンが待っていた。近づいたユウがいつものように声をかける。


「おはようございます、ウィンストンさん」


「おう、今日も元気そうだな。お前さん、最近次の日に疲れが残らなくなってきてるか?」


「たぶん。ただ、夏と違って日差しを浴びてばてることはもうないですから、その分だけましになったからなんじゃないかなと思いますが」


「なるほどな。つまり、もっと詰め込めるわけだ」


「ものには限度があるのを知っていますか? それよりも、聞きたいことがあるんですよ。昨日酒場で聞いたんですけど、魔窟ダンジョンの中が変化したそうですね。本当ですか?」


「なんだお前さん、まだ知らなかったのか」


 いささか目を見開いたウィンストンがユウを見つめた。それから微妙な表情を浮かべる。


 一方、ユウはそんな反応をされるとは思わなかったので困惑した。恐る恐る尋ねる。


「僕はしばらく魔窟ダンジョンに入っていませんでしたら。知らなかったらそんなにおかしいですか?」


「別におかしくねぇかもしれねぇが、もっといろんな話を常に仕入れといた方がいいぞ。でなきゃ痛い目を見てから気付くってことになりかねねぇ。そういった傾向はあるだろ」


「うっ」


 指摘されたユウは言葉に詰まった。今までの旅を振り返ってみて、確かに思い当たる節をいくつか思い出す。最近はましになってきていると思っていたが甘かったようだ。


 ばつが悪そうにしているユウを見たウィンストンが苦笑いする。


「仲間がいるならまだ助けてもらえるかもしれねぇが、1人んときでそんなだと詰んじまうことがあるぞ。今のうちに聞き耳を立てる癖を付けとけよ」


「その聞き耳なんですが、何度かやろうとしてなかなかうまくいかないんですよ」


「バカ正直にやれっつってんじゃねぇ。色々と聞いて回れって言ってんだよ」


「ああなるほど。わかりました」


魔窟ダンジョンの件についてはトビーに聞け。あいつも受付係だからな。よく知ってるはずだぞ」


 恥ずかしい受け答えをしてしまったユウは思わずうつむく。聞き耳を立てることは苦手だったので思わずコツを聞いてしまった。聞いて回るのも得意でないが。


 ため息をついたウィンストンが肩を鳴らしてから仕切り直す。


「おしゃべりはここまでだ。今日の稽古を始めるぞ」


「はい、お願いします」


 話に区切りの付いた2人は建物の壁に立てかけてある武器を手に取った。




 四の刻の鐘が鳴った。ウィンストンの終了の宣言と同時にユウは地面に膝から崩れ落ちる。久しぶりに翌日の起床に影響がある感じがした。笑いながら冒険者ギルド城外支所の建物へと入っていくウィンストンに反応できないまま、ユウは荒い呼吸を繰り返す。


 ようやく息を整えられたユウは立ち上がって水袋を口にした。気分を落ち着けるとゆっくりと歩き始める。いつもなら一旦宿の部屋に戻って干し肉を食べてから裁縫工房へと向かうところだ。


 しかし、今日は城外支所の表に回って受付カウンターの列に並ぶ。昼間なので何人もの冒険者が並んでいた。


 長い時間をかけて受付カウンターの前に立ったユウはトビーに声をかける。


「トビーさん、こんにちは。魔窟ダンジョンについて聞きたいんですけど、最近中の構造が変わったって本当ですか?」


「今更な質問だな。あーでも、お前さんはしばらく貧民街の方で働いてたか。なら教えてやる。今月に入ってから1階から3階までの全階層で部屋と通路の配置が変わり始めた。毎回の変化は範囲も狭いもんだが、それが中のあちこちで起きてるんだよ」


「まだ魔窟ダンジョンの中は変わり続けているんですか?」


「一時よりも変化は少なくなったが、まだ変わったという報告は冒険者から上がってる。オレたちの勝手な想像だが、今月中は続くんじゃないかって予想してるな」


「それじゃ、今魔窟ダンジョンに入っている冒険者はかなり大変じゃないですか」


「そうだな。みんな愚痴がかなり多くなった。もっとも、年季の入った連中は初めてじゃないからそんなに慌てちゃいないがね」


 肩をすくめたトビーを見たユウはうなずいた。しかし、そこで新人たちのことに思い至る。


「そうなると、混乱はむしろ1階の方が大きいんですか」


「1階でも10年以上続けているヤツは割といるから、そういった連中はましだな。問題は駆け出しのヤツらだ。あいつら、地図の描き方や使い方に慣れてないから迷子になるパーティがよくいる。実際、1階の未帰還のパーティ数が先月までに比べて増えたよ」


「冒険者ギルドは何か対策をしているんですか?」


「できることなんて限られてる。せいぜいパーティを雇って中を見回るくらいさ。そして、迷子の連中を助けるくらいだ。2階の資料室の地図がもう役立たずなのは痛い。せっかくあれだけ集めたのに」


 ため息をつくトビーの言葉にユウは表情を曇らせた。ぼやく受付係に何も言えない。


 聞きたい話を聞けたユウは短く礼を告げるとその場を離れた。

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