事件の舞台は町の中へ

 1ヵ月ほど続いた代行役人との仕事は終わった。始まりと同じように終わりも唐突であったが、ユウはそれを受け入れる。


 晴れて自由の身になったユウはしばらく休むことにした。思えば途切れることなく稼ごうとしたので今回の仕事をすることになったのだ。それにアディの町にやって来て以来ずっと働き詰めである。金銭的に余裕のある今、少しくらい休んでも許される気がした。


 それで当面やることがなくなったわけだが、実は昼までの予定はもう決まっている。ウィンストンの稽古だ。仕事が終わった翌日から再び師事する。


 この日もユウは三の刻の鐘が鳴る頃からウィンストンの稽古を受けていた。既に10月も半ばなので季節は本格的に秋へと移りつつある。体を動かしてもすぐに汗だくにならないのは喜ばしいことだ。


 長剣ロングソードを使った稽古が一段落着くとウィンストンに合わせてユウも体を止める。


「大体こんなもんだろ。一旦休憩しようか、ユウ」


「ふぅ。相変わらず容赦ないですね。もうちょっとこう、手加減とかないんですか?」


「これでも充分手加減してんだよ。お前さんがうまくなりゃいいだけだ」


「うへぇ」


 あっさりと言い返されたユウは刃の潰れた剣先がかすった左上腕部分をさすった。ウィンストンの操る剣が次第に速くなって対応仕切れなくなったのだ。判定では左腕をすっぱりと切り落とされたことになっている。


 練習用の剣を壁に立てかけたユウはその隣に座った。ウィンストンがその隣に並ぶ。


「お前さんの腕もだいぶ様になってきたな」


「そうなんですか? 体をほぐしたことで動きやすくなった自覚はありますけど」


「最初の頃に比べたら全然違うぞ」


「ウィンストンさん相手だと全然実感がないんですよね。うまくできたと思ったらいっつもそれ以上に返されるんで」


「はっはっは、そんな簡単にやられたら師匠失格だからな」


「地力が違うんですよねぇ」


「才能なんて言葉で片付けちまったら強くなれねぇぞ。儂に追いつきたいってんなら、ひたすら鍛錬あるのみだな」


「まだ先は長そうですねぇ」


「お前さんはまだ若い。これからだよ。焦んなくてもじっくりと鍛えりゃいいんだ」


 機嫌良さそうにウィンストンが水袋に口を付けた。旨そうに飲む。


 会話がわずかに途切れた後、今度はユウが話しかける。


「そういえば、ティモシーさんの仕事が終わってから貧民街に行ってないんですけど、あれから幸福薬ってどうなったんですか?」


「売人に薬を卸してた所がなくなっちまったんだ。しかも売人もまとめて代行役人がしょっ引いてった。これじゃ出回りようがねぇよ。ただ、薬が切れた中毒者がたまに暴れることがあるらしい。厄介な点があるとすればそのくらいだな。他は前のように戻りつつある」


「良かった。あの薬は良くないですから。そうなると、後は原料がどうやって町の中に運び込まれて、作られているかになるますね」


「町の中なぁ。あっち側は儂たちの手の外だ」


「それじゃ、どうなっているのかさっぱりわからないんですか」


「幸福薬がどこで作られているのかは今のところわからねぇままだ。領主様が本格的に動く前に貧民街の販売経路を潰しちまったからな。儂が相手だったらすぐに隠れ家ごと処分してる。たぶん実際もそんな感じじゃねぇかな」


「それじゃ、幸福薬とアディ教会の関係はどうなんですか?」


「それも今のところわかんねぇままだ。儂の意見としちゃ、動くのが早すぎたと思うんだけどな。実際にゃ色々あったんだろうよ」


 結果を聞いたユウは喜びきれなかった。なんだか中途半端に聞こえたからだ。成果はあったものの、不充分なように思える。


「そうだ、あの捕まえたランディという人はどうなっているんですか?」


「パオメラ教の信者に変装していた奴か。あいつは捕らえられた後はずっと黙りっぱなしだ。どんな尋問をしても口を割らねぇらしい。ただ、城内神殿がアディ教会の関係者だと主張してる。教会側もさすがにこれは否定できねぇようだな」


 自分のやったことが成果として現れていることにユウは複雑な思いを抱いた。微妙な表情をしたままウィンストンに問いかける。


「買取屋のランドンって確か灰色のローブの人物、ランディにそそのかされたんでしたよね。その辺りはどうなったんですか?」


「ランドンの方はすぐに吐いた。パオメラ教の名声を利用して同業者の圧迫し不当に利益を得てその一部を喜捨したことも、その後幸福薬の販売に手を出したのも、信者に化けてたランディに持ちかけられたこともな。ランディの方は黙ったままだが」


「でも、僕たちがいくら調べても結局2人がそこまで関わっていたことはわからなかったんですよね。一体どうやっていたんですか?」


「ティモシーによると、お前さんらが本格的に捜査する直前に話し合いが終わっていたらしい。ランディってヤツは幸福薬が持ち込まれた隠れ家の方には関わっていなかったっぽいもんだから、いくら調べても出てこなかったそうだ」


「絶対関わっていると思っていたのに」


 僅差で捜査が間に合わなかったことを聞かされたユウは少し気落ちした。何となく少しだけ悔しく思う。しかし、ここで1つ疑問が湧いた。首をかしげながらウィンストンに尋ねる。


「あれ? それじゃあのランディっていう人は、どうして貧民街に出回っていたんですか?」


「それがわかんねぇんだとさ。何しろ当人が黙ったまんまだからな」


「買取屋とのやり取りが終わったら出てこなかったら良かったのに」


「あっち側にも何か思惑があったんだろうよ。その目論見が外れて今は大変なことになってるけどな。けど、町の中はこれからが大変だよなぁ」


「どうしてですか?」


「町の外はこれで大体片付いたが、中はこの事実をもってこれからパオメラ教の城内神殿とモノラ教のアディ教会が本格的に争うことになるんだ」


「争うって言っても、今回アディ教会の方が悪いでしょう」


「そこが宗教と政治の厄介なところなんだよな。黒でも白になっちまうときがある」


「ええ?」


 話を聞いていたユウが怪訝な表情をした。偉い人が何を考えているのかわからないということは前から知っていたが、犯罪が犯罪でなくなるなんてことまでは考えていなかったのだ。少し目を見開いてウィンストンに尋ねる。


「いやでも、いくら何でも無茶じゃないですか?」


「どうなんだろうな。城内神殿の方は、これだけの悪事を一介の助祭じょさいが主導できるわけがねぇから主犯がいるって主張してるそうだ。具体的には、ランディが実行犯でポールって奴がその管理をしていて、更に指示した上がいるってな。けど、アディ教会の方はこれを言いがかりだって反論してる。証拠がないと」


「証拠がないって、買取屋が証言したじゃないですか」


「証言はでたらめだって言ってるんだ。冒険者ギルドはパオメラ教に屈しているって感じてな。事実、買取屋の証言はあるが証拠はねぇんだよ。お前さん、あの実行犯ランディ買取屋ランドンを繋ぐような証拠は知ってるか?」


 問われたユウは返答できなかった。確かに物的証拠は何も掴んでいないのだ。そのままウィンストンを見続ける。


「捕まったランディがだんまりを決め込んでいる以上、買取屋との線はこれ以上どうにもならねぇ。そして、幸福薬の販売経路の方はアディ教会と関係のある証拠が何も出てきてねぇ。こりゃぁ今のところ手詰まりだな」


「この話って、これからどうなるんですか?」


「今のままだと泥仕合確定だな。城内神殿が領主にアディ教会の全面的な捜査を訴えるって話も聞いたが、今のところ決定的な証拠がねぇからホントに動くかどうかはわからん」


「なんだか、すっきりとしない話ですね」


「世の中そんなもんだ。宗教や政治なんかは特にな。関わってもいいことがねぇ」


「今回のことでよくわかりました」


「そりゃ良かった。次の機会に活かせるだけましだ」


 そこで2人の会話は途切れた。少し風が強くなる。冷えた体には少しだけ冷たかった。


 やがてウィンストンが立ち上がる。大きく背伸びをして体の力を抜いた。それからユウへと顔を向ける。


「辛気臭い話はこれで終わりだ。稽古を再開するぞ」


「はい。今からだと四の刻の鐘が鳴るまでですね」


「そうだな。さぁ気合いを入れてかかってこい!」


 剣を手に取ったユウとウィンストンは休憩前と同じように対峙した。しばらくお互い見つめ合う。それからほぼ同時に動いた。




 パオメラ教の城内神殿とモノラ教のアディ教会の論争が続く最中、ランディは冒険者ギルドに捕縛されて1週間後に死亡した。冒険者ギルドの公式の記録には自殺と記されることになる。また、疑惑の目を向けられていた助祭ポールは糾弾された直後に体調を崩し、その月には亡くなる。アディ教会の正式な発表では病死だった。

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