自分の本来の目的

 酒場で夕食を終えたユウは宿の部屋に戻った。机の前に置いてある丸椅子に座る。そのまま先程の話を思い出した。


 いつものユウは1人ならカウンターの席で誰とも話をせずに食事をする。しかし、朝に老職員から指摘されたこともあってこの日は違った。隣席の冒険者風の男に話しかけて魔窟ダンジョンの話を聞いてみたのだ。


 男が言うには、地図は部分的には使えるが大きく修正しないといけないらしい。しかも、今も魔窟ダンジョンのどこかが変化しているので、最新の地図もどれだけ役に立つかわからない状態だそうである。


 しばらくぼんやりとしていたユウは机の下に置いてある麻袋を1つ引っ張り出した。口を開けて中の物を取り出す。何枚もの羊皮紙を机の上に置いた。省略された記号と簡単な絵、それに文字がびっしりと記されている。


 何とはなしにユウはそれらのうちの何枚かを手に取った。魔窟ダンジョン1階の西側、2階の東側、3階の西側。全部で40枚の地図はもう使えない。


 終わりなき魔窟エンドレスダンジョンの内部が変化することはユウも最初に聞いていた。そのときに地図を描き直すことになることも想像していた。しかし、実際にその状況に相対すると胸の内に何とも言えない徒労感が湧き上がってきた。


 次いでユウは貨幣の入った巾着袋を取り出す。中の硬貨を机の上に出して数えてみると金貨が40枚近くあった。明日の生活費をどうしようかと考えていた頃を考えると驚くほどの大金だ。今の生活ならば何もしなくても4年半ほどは生きていける。


「もう充分じゃないかな」


 机の上に広げた羊皮紙と数えるために並べた硬貨を見ながらユウはつぶやいた。魔窟ダンジョンに入った最初の理由はこの辺りの通貨をまったく持っていなかったからだ。生活費以前の問題だったわけだが、今やすっかり解消している。


 そうなると、何が何でも魔窟ダンジョンに入る理由というのがユウの中から消えた。代わりに本来の目的が心の底から浮き上がってくる。世界を見て回りたいという旅の目的だ。そこで目を見開く。


「そうだ、僕はいろんな所を見て回りたいんだった」


 別に忘れていたわけではないが、ユウは急に目が覚めたような感覚に襲われた。一旦気付くとその欲求が膨らんでくる。思えばこのアディの町も内外を充分に見た。そろそろ動き始めても良い頃合いと感じるようになる。


 胸の内がすっきりとしたユウは地図と硬貨をしまった。それから身に付けていた装備も外す。今夜はいつになく気持ち良く眠れた。




 翌朝、ユウは身支度を整えて三の刻の鐘が鳴る頃に宿を出ようとした。部屋の扉の鍵を閉めてカウンターで女宿主のアラーナに渡す。そうしていつものように踵を返そうとした。しかし、そこで鍵を手にしたアラーナに呼び止められる。


「ちょいと待った。話があるよ。今あんたが借りてる個室の契約は今日までなんだけど、延長するのかい? するんだったら代金を払っておくれ」


「あ! もう1週間お願いします」


 指摘されるまですっかり忘れていたユウは愛想笑いをした。慌ててカウンターへと向き直る。すました顔のアラーナに目を向けられて少しばつが悪そうに頭を掻いた。すぐに懐から代金を取り出しつつ、決めたことを告げる。


「お代はこれです。それと、近いうちにこの町を出ることにします」


「あらそうなのかい。1週間分の契約をしたということはもう少し先なんだろうけど」


「今月いっぱいくらい色々と準備しようかなって思っているんです」


「わかったよ。そのつもりでいるさね。ついにあんたも行っちまうのかい」


「僕ってこの宿に長くいた方なんですか?」


「そうでもないよ。長い客は年単位で借りてくれるからね。あんたは春からだから今月いっぱいで7ヵ月、半年くらいだから悪くないってところだよ」


「あはは、そうですか」


「ところで、出かけるんじゃないのかい?」


「あ! それじゃ行ってきます!」


 三の刻の鐘が鳴り終わっていくらか時間が過ぎていることにユウは気付いた。それほど話し込んではいなかったが遅くなるのは良くない。


 穏やかな日差しと涼しい風を受けながらユウは冒険者の宿屋街の路地を走った。修練場までは遠くないのですぐにたどり着く。冒険者ギルド城外支所の建物の裏だ。いつもならそこにウィンストンが立って待っている。しかし、その姿が見当たらない。


 他の冒険者たちが訓練する修練場の端でユウは周囲に頭を巡らせた。見失っているというわけでもないことを確認する。


 遅れたことを咎められることがないと安心するべきかユウが悩んでいると、建物の裏口の扉が開いた。そうしてウィンストンが姿を現したのを目にする。


「すまん、待たせた」


「いえ、僕も今来たところですから。何か用事があったんですよね」


「まぁな。ちょいと面倒なことを持ちかけられただけだ。お前さんには直接関係ねぇ」


「ということは、間接的にはあるんですか」


「あるぞ。儂は来月に王都へ行くことになっちまったんだ。だから、この稽古をしてやれるのが今月いっぱいになっちまった」


 告げられた話にユウは呆然とした。自分の話をする時期を窺おうとしていたユウは機先を制されてとっさに言葉が出てこない。しかし、話すきっかけとしては都合が良かった。返答を待っているウィンストンに言葉を返す。


「そうなんですか。実は僕も色々と考えた末に、近々この町から出て行こうと決めたところなんです」


「ほう。まぁ、ちいとばっかしとは言え、町の中の問題に首を突っ込んじまったからなぁ。その方がいいかもしれん」


「あー、それもあることはあるんですが、それよりも元々僕は世界のいろんな所を見て回りたくて旅をしているんですよ。ですから、お金も貯まったし、そろそろ出発しようかなって思ったんです」


「なるほどなぁ。見聞を広めたいってわけか。儂も若い頃にやったなぁ。うん、いいことなんじゃねぇか。で、いつ出発するんだ?」


「今月いっぱいくらい色々と準備してから出ようと思っています」


「なんだ、儂と同じか。ならちょうどいい。だったらそれまでに鍛えられるだけ鍛えておいてやるか!」


「ちょっ!? 無茶は駄目ですよ!」


「冒険者なんて無茶をしてなんぼだろうが。ほら始めるぞ!」


 なぜか突然嬉しそうにやる気を見せたウィンストンにユウは焦った。こちらの話をろくに聞かずに稽古が始まる。


 顔を引きつらせながらユウはウィンストンの手ほどきを受けた。




 昨日よりも更に厳しい稽古が終わったユウは修練場に寝転がっていた。上機嫌に城外支所の建物の中に入っていくウィンストンを尻目に、ユウはしばらくそのまま休んだ。


 荒い呼吸を落ち着かせようとするユウは去り際にウィンストンから教えられたことを思い出す。


「受付でどんな種類の依頼があるか調べておけか」


 西方辺境や南方辺境で旅をしていた頃にユウは冒険者ギルドで仕事を探していた。それと同じことをすれば良いだけだが、同じ仕事を引き受けられるかどうかは聞いてみないとわからない。


 息が整ったユウは起き上がると城外支所の前に回り込み、受付カウンターの前にできている列に並んだ。順番が回ってくるとトビーへと声をかける。


「トビーさん、冒険者が受けられる魔窟ダンジョン以外の仕事ってどんなのがあるのか教えてください。町の外に出る依頼が知りたいんです」


「お前さん、もうこの町には飽きちまったのか?」


「元々僕は世界のいろんな所を見て回って旅をしていたんで、そろそろ次の所へ行こうと思ったんですよ。お金も充分貯めましたから」


「なるほどねぇ。ま、町を出て行くヤツは他にもいるんだ。お前さんもその中の1人だってことなんだろうな。いいぜ、教えてやる」


 微妙な表情をしていたトビーがいつもの調子に戻った。そのまま続けてしゃべる。


「冒険者が引き受けられて町の外に出る仕事ってのは大きく分けて3つある。1つは、荷馬車の護衛だ。本来なら傭兵の仕事なんだが、この辺りにゃ傭兵の仕事がない上に今は国境近辺に活躍の場があるから、平和なこの辺りだとお前たち冒険者でも依頼を引き受けられるんだ。依頼の中では最も多い」


「それは都合が良いですね」


「まったくだ。次に町から町へと小荷物を運ぶ仕事だ。普通は荷馬車で配送するんだが、急ぎやら何らかの理由で冒険者に依頼されることがある。割が良いので引き受け手には困らねぇ人気の依頼だ」


「へぇ、そんな依頼もあるんですか」


「最後は依頼人の護衛だ。重要な仕事を任された商店のヤツらの道中の護衛をする。これも本来は傭兵の仕事だが、この辺りだと冒険者が引き受けてる。こんなもんかな」


 荷馬車の護衛以外にもいくつかあることを知ってユウは少し驚いた。選択肢が多いことは良いことなので素直に喜ぶ。


 その他にも細かい話を聞いたユウはトビーに礼を言うと受付カウンターから離れた。

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