容疑者の行方と薬の成分(前)

 昼下がり、ユウは貧民の市場へと足を踏み入れた。昼時とは違って市場内は落ち着いているので歩きやすい。向かう先は質屋である。


 貧民の市場の東側の奥まった場所にある質屋が軒を連ねる路地は前と同様に静かだった。行き交う人の影はまばらで誰もが顔を暗くしたり緊張した表情を浮かべたりして歩いているのも変わらない。ただ、その中に頬はこけ、顔に生気はなく、それでいて目は血走っている挙動不審な人がたまに混じっている。この人たちは目を背けるように歩いていた。


 1度ゆっくりと歩いて路地を端から端まで歩いたユウは立ち止まって路地の様子を窺う。たまに質屋に出入りする人がいるが、それ以外は特に特別なことは起きていない。


 意を決したユウはイアンの質屋の前に立った。前にハリソンたちと一緒にジェフが出てきたところを見かけた店だ。目立たない石造りの平屋である。


 息を吐いて体の力を抜いたユウは扉を開けて中に入った。室内は薄暗く、入ってすぐにカウンターがある。外から見ても小さい家屋だったが中は更に狭く感じる。


 そのカウンターの奥に人を値踏みするかのような目を向けてくる小男が座っていた。入ってきたユウを不審な目つきで睨め付ける。しかし、何も言わない。


「イアンという人の質屋はここでいいんですよね?」


「そうだよ。何を質に入れるんだい?」


「質に入れに来たんじゃなくて、ここでしか買えない物を買いに来たんです」


「質屋は雑貨屋じゃないんだ。物を買いたいならそっちに行ってくれ」


「でも、雑貨屋にもない物がここにはあるんでしょう?」


 イアンからの返答はなかった。代わりに一層不審人物を見るような視線を向けられる。


「何が言いたいんだい?」


「先日、ジェフって人と話をしたんですよ。その人は大層怒っていましてね、何があったのか聞くと配下のパーティの人が最近仕事に失敗してばかりだって愚痴ってきたんです。しかもそれが変な薬のせいだっていうんですよ」


「そいつぁ災難だったな。で?」


「僕もそう思ったんですけど、先日その配下のパーティの人を偶然見かけたんですよ。貧民の歓楽街の裏路地で。何をしているのか気になったんで見ていると、粉薬を取り出して水と一緒に飲んだじゃないですか。そうしたらしばらくして随分と幸せそうな顔つきになったんです」


 話を聞いているイアンの表情がかすかに変わった。不審一辺倒だったものに興味が加わる。ただ、今はまだ何もしゃべらないままだ。


 窺うような顔を見せるユウが更にしゃべる。


「それ以来あの粉薬のことが気になっていたんですけど、昨日酒場で仲良くなった人からここでも売っているって聞いたんですよ」


「へぇ、そいつぁ誰なんだい?」


「たまたまカウンターで隣に座っただけの人だったんでお互い名前は聞いていないんですよ。ただ、ここで買えるんなら買いたいなぁと思って」


「なんでまたそんなのが欲しいんだい?」


「実は最近、所属していたパーティが解散して1人になったんですよ。それで別のパーティに入ろうと色々手を尽くしたんですけどうまくいかなくて、その気晴らしができたらいいなって思ったんです」


「酒でも飲んでりゃいいじゃないか、昨日みたいに」


「そのお酒よりもいいものがあるって聞いたらやってみたくなるでしょう。どうしてもないっていうのなら、別の店に行きますけど」


「別の店?」


「買取屋のランドンっていう人のところでも売っているって聞いていますよ」


「他の当てがあるのかい。ということは、別にここで買わなくてもいいんじゃないか?」


「どこでも良いっていうのは確かにそうなんですけど、ここって悪い噂を聞かないですから。ほら、変な物を混ぜたり売るときに脅したりなんかね?」


 別の売人の名前をユウが告げるとイアンの顔から警戒心が急速に消えていった。それまで興味なさげな態度だったのが前のめりになる。


 その様子を見たユウはいけると思った。ジェフから聞いたことや貧民街で見聞きしたことを交えながら色々とぼかして話を作ったが、それが功を奏したようである。


「まぁ、売る方も下手なことをすると客からの信用がなくなるからな。どんな商売でも信用が1番さ」


「僕もそう思います」


「で、どのくらい欲しいんだ?」


「1番少ないのをお願いします。最初はそれでも充分だからって聞きましたから」


「銅貨5枚だよ」


 言われた通りユウはカウンターに銅貨5枚を置いた。手を滑らせるようにそれをたぐり寄せたイアンが羊皮紙を小さく折り畳んだ物を代わりに置くのを見る。それを手に取ると不思議そうに眺めた。


 その様子をじっと見ていたイアンがユウに話しかける。


「それをするのは初めてかい?」


「ええ。口に入れて水と一緒に飲めばいいんですよね?」


「水なしで飲むと更に効きがいいぞ。ま、最初のうちは水で飲む方がいいだろうけどな。飲みやすいし」


「そうですね。そうします。ところでジェフって人を知っていますか?」


「なんでまた?」


「実は前にそのジェフって人の配下だっていう人にお金を貸しているんです。でもなかなか返してくれなくて。しかも最近じゃ会えないんですよ。そこでジェフって人に居場所を尋ねようと思っているんですけど、この人も最近見かけないんで居場所を知りたいんです」


「ジェフか。あの野郎も最近は苦しくなってるって聞いてるが、いいザマだな」


「何かあったんですか?」


「ちょっとな。まぁ、教えてやってもいいが、な?」


「それじゃ、もう1つください」


 推し量るような目を向けられたユウはカウンターに銅貨5枚を置いた。それはすぐに消えてなくなり、小さく折り畳まれた羊皮紙が現れる。


「あいつの行きつけの酒場は冒険者の歓楽街の方だ。酒場の名前は確か『安眠の森亭』だったな。クランの連中も大体そこにいる。が、最近は調子が悪いようだから今も通ってるかはわからんな」


「寝泊まりしている場所はどこなんですか?」


「貧民街だ。ここから南側にあるところさ」


魔窟ダンジョンの2階で活動しているって聞きましたけど、貧民街で生活しているんですか、あの人」


「クランの都合上そうしてるらしい。詳しいことは知らん。貧民街のねぐらを教えてやってもいいが、お前、あそこの土地勘はあるか?」


「土地勘はないですけど、最近お金を返さない人を捜し回るために貧民街へよく行きます」


「ならわかるか。良く聞けよ」


 前置きをしたイアンの説明を聞いたユウは頭の中の地図で確認した。一部見かけたことのある建物があり、推測できる場所もある。すべてを聞き終えると大体の位置は理解した。


 手にした2つ目の小さな羊皮紙を懐にしまったユウがイアンに話しかける。


「ありがとう。これなら会えそうです」


「そりゃ良かった。これからも贔屓にしてくれよ」


「ええ、もちろん。それにしても、最近これが出回ってきているって聞きますから、結構儲かっているんじゃないですか?」


「バカ言っちゃいけないね。誰にでも売れるわけじゃないからそうでもないのさ。間抜けを見極めて追い返さないとこっちが破滅しちまうからね」


「なるほど、かなり苦労しているんですね」


「そうなんだよ。あんたが上得意になってくれたらこっちは嬉しいがね」


「他のお客を連れてきても大歓迎っと」


「間抜けは勘弁してくれよ? 代行役人にしょっ引かれるのはゴメンだからな」


「それは僕も同じですよ」


 ユウがうっすらと笑うとイアンもにやりと笑い返した。話が終わると店内から路地へと出る。その瞬間、全身に疲労が一気に襲いかかって来た。まるで目眩に襲われたかのようにふらつく。


「はぁ、緊張したなぁ」


 ぼんやりとした頭を抱えたユウが路地をのろのろと歩き始めた。もう宿に帰って眠りたい気分である。しかし、まだ鐘1回分も働いていない。


 話の流れからエディーの話は聞けなかったが、代わりにジェフのねぐらの場所について知ることができた。直接エディーの行方を追えない場合の手がかりと貧民街の隠れ家に関する情報があることを期待する。


 質屋が軒を連ねる路地を出たユウはそこで立ち止まった。次いでどうするのか考える。


「エディーの情報を知っていそうなランドンを先に当たるか、それとも今知ったジェフのねぐらを先に調べるか」


 どちらも重要な件なのでユウは迷った。しかし、自分の受けた指示はエディーの追跡であることを思い出す。ジェフについては今のところ何も指示されていない。


「うーん、そうなるとやっぱりランドンの方が先かな。ここでエディーの話が聞き出せら良いんだけど」


 やるべきことの優先順位を再確認したユウは再び歩き始めた。その足先は買取屋の集まる場所へと向いている。その足取りに迷いはない。


 どのように話をしようかと考えるユウの姿が雑踏の中に消えた。

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