殺人現場の隣で

 冒険者にとって徹夜とは珍しいことではない。酒盛りで一晩中というのは除いても、仕事でやむを得ず一夜を明かすことはある。しかし、眠いものは眠い。


 殺人現場の保全を命じられたユウは横たわるジェフたちと共に裏路地で朝を迎えた。死体の傷みやすい時期だが日陰なのが幸いしたらしく、死臭はまだ感じ取れない。歓楽街特有の嫌な臭いの方が圧倒的に鼻についた。


 この一晩の間に死体に興味を持つ者の姿をユウはいくつか見かける。通りがけに顔を向ける者や物陰からじっと目を向ける者など様々だった。しかし、ユウの姿を認めるといずれも姿を消す。


 立ったり座ったりを繰り返していたユウはどうにか二の刻の鐘が鳴る頃まで起きることができた。一の刻の鐘が鳴る頃までの眠気が最も厳しかったが、それからは体を動かすことでどうにかやり過ごす。


「仮眠が取れたらもっと楽だったんだけどな、ふぁ」


 どうにも生あくびが絶えないユウは独りごちた。最初は死体のそばで過ごすことに嫌悪感があったが、眠気が強くなると共にそういった感情が消え失せる。


 路地が急速に明るくなってきた。それに釣られて裏路地もぼんやりと周囲が見えるようになる。たまに遠くで人の声が聞こえた。


 三の刻の鐘が鳴る頃にはどこもすっかり明るくなる。裏路地も日陰ながら遠くまで見通せるようになった。人の動きが遠くで感じられるようになる。


「いつになったら来るのかなぁ、あれ?」


 あくびに混じってぼやきも増えてきたユウは近づいてくる複数の足音に気付いた。そちらへと顔を向けているとティモシーを先頭にした集団がやって来る。


「ちゃんと見張っていたようだな。結構なことだ」


「あれから死体には誰も触れていません。僕も含めて」


「よろしい。ではお前ら、現場検証を始めろ。ユウは俺と一緒に来い」


 ようやく見張り役から解放されたユウは大きく息を吐き出してからティモシーに続いた。この後の話が終わったらとりあえず眠ることを心に決める。


「昨晩はよく連絡してくれた。おかげでこちらも現場を捜査しやすい。あの死体を調べてどのくらいのことがわかるのかはこれから次第だが、まずはもう1度昨晩の報告をしてくれ。落ち着いてから思い出したことや言い忘れていたことなども含めてだ」


「はい」


 返事をしたユウはしかし、言葉は違っても昨日の夜と同じ報告を繰り返した。裏路地から聞こえる音を頼りに現場に駆けつけると殺し合いの直後であり、逃げるエディーたちをそのままにジェフから幸福薬の隠れ家についての証言を得る。ただし、話の途中でジェフが死亡して具体的な情報は聞けなかった。要約するとこうなる。


 同じ内容の報告を聞いたティモシーはユウの話が終わってもしばらく黙っていた。現場検証をする代行役人とその配下をちらりと見てからユウに顔を戻す。


「昨日の報告は過不足なしか。まぁいい」


「今後は隠れ家の捜索が中心になるんですか?」


「そうなるな。ただ、いきなり貧民街を探し回っても見つからんだろう」


「僕はどうしたら良いですか?」


「エディーの行方を追え。幸福薬について嗅ぎ回っていたジェフが誰かに利用されていると死の直前に言っていたのなら、その操っている者を探し出す必要がある」


「今は子供を中心にあちこちでそれとなく聞き回っていますけど、今のところ突っ込んだ話は聞いたことがないですよ」


「どうしたいんだ?」


「質屋と買取屋に接触しても良いですか? 僕は質屋とは面識がありませんし、買取屋も道を歩いていただけで今まで話しかけたことはありません。ですから、1度や2度話をしても大丈夫だと思うんですけど」


「だったら構わん、か」


「それと、場合によって幸福薬を買う許可をください」


「客を装うわけか。薬は使うなよ?」


「はい。もし手に入れたら、一部を知り合いの製薬工房に渡して調べてもらいます。幸福薬の材料がわかれば、その材料を扱っている人を追いかけて作っている人を見つけられるかもしれませんから」


「お前頭いいな。よし、それも許可する。その結果はギルドの上に報告して町の中の連中に動いてもらおう」


 ユウの提案に感心したティモシーがそれを採用した。その場でユウに日当を渡すと踵を返して現場へと向かう。


 ようやく解放されたユウは鈍い頭を軽く振って宿に戻った。部屋に入るなり身につけていたものを机の上に置いて寝台に倒れ込む。


「あ~、やっと寝られるぅ」


 絞り出すように声を出したユウは薄暗い部屋の中ですぐに意識を手放した。




 四の刻の鐘が遠くで鳴っているのをユウは耳にした。ぼんやりと意識が覚醒していく。目開けると天井が見えた。まだ眠気が頭の底にじんわりと残っている。それでも時間をかけて体を起こした。寝台から起き上がって背伸びをする。


「ん~、こんなものかなぁ」


 背伸びを終えると大きなあくびを1つした。まだ寝たりないがとりあえず眠気は払拭できた感じだ。今晩はいつも通り眠れるのならば問題はない。


 用を足すために部屋を出る。宿の裏手に回って1人で力んだ。すっきりしてから部屋に戻り、干し肉を囓る。朝食は抜く形になったから朝昼兼用だ。


 昼食をとりながらユウは昼からどうするか考えた。昨日までなら貧民街で子供に砂糖菓子を与えて話を聞いていたが今日は違う。相手は面倒な大人たちだ。


 質屋も買取屋も一筋縄ではいかないことは承知しているが、それとは別に話がこじれたときが問題である。特に後ろ暗いことをしている連中を相手取るのだから身を守る手段はできるだけ用意しておきたい。


 今は護身用に武器を持っているので喧嘩ならばこれで充分だ。問題は相手が複数人いた場合である。


「うーん、そのときは悪臭玉を使って逃げようかな」


 万が一エディーたちに見つかって襲われた場合のことをユウは考えた。その時点で仕事はほぼ失敗なのだが可能性としてはある。ただ、さすがに命を賭けてまでやる気はないので逃亡は立派な選択肢だ。


 寝台に座ったユウは干し肉をゆっくり噛んでは飲み込み、水を口に含む事を繰り返す。他に考えるべきことがないか知恵を絞った。


 今回、ユウが接触しようとしているのは質屋のイアンと買取屋のランドンである。理由はジェフがそう言い残したからだ。恐らく正しいのだろうが、それを確認しなければならないのも確かである。


「砂糖菓子をあげたら喜んで話してくれるってことはないよなぁ」


 馬鹿なことだとは思いつつもユウは思っていることを口にした。いきなり店に行って幸福薬をくださいと言っても売ってもらえないのは明白だ。何かしらそれらしい理由を伝えてからでないと幸福薬を売っていること自体否定するだろう。ティモシーに許可をもらったものの、その辺りを解決しなければ質屋にも買取屋にも近づけない。


 何か良い方法はないかとユウは考える。ジェフが言っていたことを思い返してみた。イアンとランドンが幸福薬を売っていること、エディーが薬に手を出したこと、そして貧民街に隠れ家があることだ。そこで気付く。


「ああそうか、確かエディーは幸福薬を使ったんだっけ」


 自分の手下が薬に手を出したことをジェフは怒っていた。最初に詰め寄ったのがランドンだと言っていたから、恐らくエディーはそこから薬を手に入れたのだろう。


「これ、使えないかな?」


 幸福薬を手に入れるのに中毒患者からの紹介というのは説得力があるように思えた。いきなり行くよりも相手が信用してくれる可能性は高い。ただ、追跡する相手の名前を出したときに幸福薬の売人がどんな反応を示すのかがわからなかった。それに、エディーがその売人と接触したときに名前を使ったことがばれるだろう。


「うーん、調査はしないといけないけど、エディーたちに警戒されたくないんだよなぁ」


 良い案だと思えただけにユウはその問題点にため息をついた。その後もいくらか考えたが、結局何も思い付かないまま時間が過ぎてゆく。


「駄目だ、まったく思い付かない! ちょっと外に出よう!」


 煮詰まったユウは立ち上がると部屋を出た。鍵を宿の受付カウンターに返すと外へと出向く。冒険者の宿屋街の路地から冒険者の道へと出ると南に向かった。


 城外神殿が見えてくる。そこでユウはオーウェンのことを思い出した。ジェフのことはまだ話していない。どうするべきか少し考えて夕方に会うことにした。今あちらが欲しがっている情報はフードを被った灰色のローブの信者の方だ。幸福薬の方も無視できないだろうが優先順位を付けるとそちらなのはわかる。なので急ぐ必要はない。


 そう結論づけたユウはそのまま城外神殿を通り過ぎた。今は質屋と買取屋に接触する方法に集中する。


 西側に傾き始めた太陽から降り注ぐ日差しを浴びながらユウは貧民の道へと入った。

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