灰色のローブの信者

 二の刻の鐘が鳴るとユウは目が覚めた。近頃は日の出と共に起きていたが今日は事情があって早めに起きたのだ。


 まだ日の出前だが開いた窓の先はうっすらと明るい。何となく安心するのはこれから明るくなるのがわかっているからだろう。


 部屋にハリソンの姿は見えない。装備や荷物はまだある。


 扉の外から階段を登る足音が聞こえてきた。それが近くなってきて、やがて扉を開ける音に繋がる。


「なんだ、起きてたのか。今日は早いな」


「おはよう、ハリソン。それじゃ僕も行ってくるね」


 ハリソンと交代でユウは部屋の外に出た。1階まで降りて宿の裏手に回る。何人かの先人が臭う桶の上で気張っていた。空いている1つの前でズボンを下ろし、先人に倣う。


 用を済ませて部屋に戻ったユウは寝台に座ったハリソンが干し肉を囓っているのを目にした。顔を向けてきたハリソンに声をかけられる。


「ユウも今から朝飯か?」


「そうだよ。ちょっとだけやることがあるから、それを済ませてからだけどね」


 言い終えたユウは机の下に置いていた背嚢はいのうや麻袋を取り出した。順番に机の上に置いていく。それから昨晩買っておいた干し肉を手にしてハリソンの隣に座った。


 手にした干し肉を囓って噛み始めたユウにハリソンが声をかける。


「これを食い終わって日が出たら部屋を出て行く」


「わかった。なら、僕はその後に部屋を移るよ」


「この宿の個室か? それとも別の宿に変えるのか?」


「ここの個室だよ。僕の方は宿を変える理由はないからね。まだここだよ」


「そうか。いつから泊まってるんだった?」


「この春からだから、6ヵ月目かな。あのときはケネスたちと一緒に4人でここに来たじゃない。ハリソンの紹介で」


「ああ、そうだったな! 自分で紹介したことをすっかり忘れてたよ。あれから半年か」


「僕、この町に来てからほとんどここで過ごしているよ」


「まるで家みたいだな」


「そうだね」


 特に面白いやり取りではなかったが、2人は何となく笑い合った。


 朝食が終わっても2人は日の出まで雑談を続ける。その間に2人は支度を済ませた。


 やがて日が昇るとハリソンが立ち上がる。


「それじゃ行くよ。世話になった。原っぱで拾ってくれて本当に助かった」


「あれ、誘ったのはケネスだから、お礼ならケネスに言って」


「そうだったな。ともかく、どうせ同じ街にいるからどこかであうだろう。出会ったら、1杯付き合ってくれ」


「うん、わかった」


 言い終えたハリソンが軽く手を上げると扉を開けて部屋を出ていった。階段を降りていく足音が遠ざかっていく。


 その足音を聞きながらユウも部屋を出る準備を始めた。背嚢を背負って麻袋を手に持つ。室内を振り返って忘れ物がないことを確認してから鍵を持って外に出た。1階の受付カウンターの前に立つと鍵を差し出す。


「アラーナさん、2人部屋の鍵を返します。それと、これは個室の代金です。」


「銅貨5枚と鉄貨60枚、確かにもらったよ。それじゃ、これが個室の鍵さね。部屋はこの通路の突き当たりにあるよ」


「1階なんだ」


「階段を使わなくて結構なことだろう? きれいに使っておくれ」


 新しい鍵を受け取ったユウは教えられた個室の鍵を開けて中に入った。狭く、1人用の木製寝台が1台、採光用の窓の脇に木製の机と丸椅子が1つずつと簡素である。部屋と寝台の大きさ以外は2人部屋と変わらない。


「いや、ちょっと違うかな。そうか、日当たりが悪いんだ。1階だもんね」


 室内に頭を巡らせてからユウは首を横に振った。手にした麻袋と背負っていた背嚢を机の下に置く。


 代行役人への報告までにはまだ少し時間があった。その間、ユウは何をしようか考える。とりあえず寝台に横になってごろごろとした。




 修練場での報告を終えたユウは日当をもらうと冒険者の道を南へと向かった。やることは今までと同じで指示に変化はない。貧民の工房街、貧民の市場、貧民の歓楽街、旅人の宿屋街と順番に見て回り、その足で貧民街へと入る。


 実際にすべての場所へと足を運んだわけではないが、ユウはアディの町の貧民街が次第にわかってきた。何度か歩き回ることでおぼろげながらにもその全体像が掴めてきたのである。


 そんなユウは今日も砂糖菓子を持って貧民街を歩いた。今いるのは南部の旅人の宿屋街に近い場所だ。貧民の子供たちに少し見せびらかすとみんな寄ってくる。最初は当たり障りのない質問をして次第に重要な問いかけを混ぜていった。


 この辺りでも幸福薬の利用者はいるらしく、実際にそれらしい人物がいる場所にまで案内もしてもらう。どこで手に入れているのかという問いかけに対しては貧民の市場という返答があるのみだった。そのため、実際に幸福薬を見たことがあるかという質問にも否という回答しか返ってこない。


 あまり幸福薬関係の話ばかりでは怪しまれると考えたユウはふと思い付いたことを子供たちに問いかけてみる。


「そうだ、城外神殿の信者さんがここに来ることがあるよね。その中で、フードで顔を隠した人って見かけたことがあるかな?」


「えー、信者さんはみんな顔を見せてるよー」


「なんで顔を隠すんだ?」


「お前そんな信者さまって見たことあるか?」


「ねぇな。顔を隠したらなんかイイことでもあるのかな?」


 ユウの何の脈絡もなく尋ねた質問に子供たちは一斉に首を横に振った。一様に不思議そうな顔をしている。


 この反応を見たユウは自分が見聞きしたことを思い返した。初めて知ったのは裁縫工房の洗濯をしていたときだ。洗濯仲間の女の旦那が買取屋と会っていたところを目撃したという話である。次は自分の目で見て町の西門まで追いかけたことだ。どちらも貧民街の西部であって南部ではない。


 気になったユウは砂糖菓子をすべて配り終えると、再び貧民の市場の菓子屋台で砂糖菓子を買い求めた。そのまま貧民街の西部へと向かう。


 見当を付けたのは貧民の工房街と城外神殿に近い一帯だ。貧民街ならば子供はどこにでもいるので探す必要はない。そこで砂糖菓子をちらつかせて子供たちを集めた。


 ここでも最初は当たり障りのない質問をして次第に重要な問いかけを混ぜていく。幸福薬に関する質問をいくらかした後、先程と同じ質問を問いかける。


「そうだ、城外神殿の信者さんがここに来ることがあるよね。その中で、フードで顔を隠した人って見かけたことがあるかな?」


「顔を隠した信者さま? オレはねーなー」


「ボクは見たことあるよ! 前にあっちで歩いているのを見たんだ!」


「なんで顔を隠してんだ? 怪我でもしてんのか?」


「あたし、お話したことあるー!」


 ちらほらとフードを被った灰色のローブの信者を見かけたことがあるという返答があった。しかも、中には話をしたことがあるという子すらいることにユウは驚く。


「その信者さんとは、どんなお話をしたのかな?」


「えっとね、どうしてお顔を隠してるのって聞いたら、顔にひどい傷があるからって言ってたよー!」


「顔にひどい傷? そんなのがあるんだ」


「そうなのー。でも、ちょっとだけ信者さまのお顔が見えたんだけど、そんなのなかったように見えたんだけどなー」


「顔を見たの!? どんな顔だった?」


「んー、もう覚えてないかなー」


 欲を言えば是非覚えていて欲しかったと思ったユウだが贅沢は言えなかった。南部には来ていない例の信者は西部にのみやって来ているらしいことを知る。他にも、顔に傷があるという嘘をついたことも重要だ。歩き回っている割に余程顔を見られたくないらしい。


 割と重要な話を聞けたことにユウは満足した。翌朝、修練場での報告で代行役人であるティモシーにこの件を伝える。


「例のフードを被った信者は貧民街の西部には出向いているようですが、南部には足を運んでいないようです。それと、西部の子供の中にその信者と話をした子がいました。それによると、顔を隠す理由として、実際には顔に怪我をしていないのにひどい怪我をしたと嘘をついたようです」


「悪くない報告だな。奴が西部にしか行っていないというのは我々も気付いていたが、顔に怪我をしたという嘘をついていたとは」


「何かに使えそうですか?」


「今すぐにとはいかないが、何かしら動くときにはきっかけにできるかもしれん」


「なんだかもどかしいですね」


「こういう捜査はひたすら地味だからな。焦って大きく動くなよ。すべてがご破算になりかねん」


「さすがにそのくらいはわかっていますよ。そのフードを被った信者に会っても放っておきます」


「それでいい。捜査は地道に進めるしかないんだ。慎重にな」


 捜査について慎重にと念を押されたユウは真面目な顔つきでうなずいた。報告を評価されたことを喜びつつも気を引き締める。


 日当を受け取ったユウは城外神殿に向かった。

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