最初の仕事(後)

 アディの町は終わりなき魔窟エンドレスダンジョンからもたらされる魔石と魔法の道具を輸出することで成り立っている町だ。そのため、魔窟ダンジョンの中に入って活動する冒険者は産業の主役であり、それを支える仕事は数多くある。


 そのおかげでアディの町は常に好景気に沸き、その景気をもたらす冒険者は常に求められていた。一方、その冒険者を支える仕事は数多くあったものの、それ以上に人々が集まると仕事にあぶれる者たちが現れてくる。貧民街はそんな人々で成り立っていた。


 それでも金の巡りが良ければその辺りの問題は表面上何とかなる。安い賃金であっても糊口をしのげるのであれば少なくとも飢え死にはしない。例えその危険が真隣に横たわっているとしてもだ。


 町民からすると町の外はすべて貧民街なのだが、そこにはやはり差異がある。最も豊かなのは冒険者が直接金を落とす冒険者の宿屋街と冒険者の歓楽街だ。次いで貧民の工房街、ここも冒険者が大金を落としてくれるがその頻度が少ないので前記2ヵ所よりもやや落ちる。その次が貧民の市場と貧民の歓楽街だ。ここには駆け出しや底辺の冒険者が金を落としてくれる。そして最後が旅人の宿屋街、冒険者と縁がないためにこの地位だ。


 しかし、それよりも更に下がある。それがこれらの街を除いた狭義の貧民街だ。冒険者の歓楽街の南側から旅人の宿屋街の西側にまで広がる一帯である。ここには身元の不確かな部外者や入場料が支払えない者たちも住み着いていた。身分や素性が怪しい者たちであるが、安い賃金で働く労働力としては実に使い勝手が良いのだ。


 そんな貧民が暮らす貧民街は町の防衛上の観点から石造りの建物は縦に伸ばせない。そのため、狭い道の両脇には詰め込まれたかのような家屋が密集していて隣家との間に隙間はほぼなかった。


 これで衛生面が良いはずがない。町の中も良くはないが貧民街の環境は更に劣悪で、糞尿、吐瀉物、ごみなどが狭い道に散乱し、強烈な臭いを発している。


 貧民の市場を南に向かって歩いたユウはそんな場所に足を踏み入れた。かつてハリソンに案内されて通った路地を歩く。喧噪がひどく、子供の声がやたらと多い。


 似ているがどれも違うそれらの家屋が延々と連なり、たまに枝道や裏路地が分かれている。各町の貧民街で臭いの質や雰囲気は多少違うものの、雑多、猥雑、不潔、不穏、喧騒などは共通していた。油断はできないが、まったく知らないわけではない場所である。


「うーん、この辺りが1番ひどいところか」


 前にハリソンから聞いた話をユウは思い返した。


 大きく湾曲して広がる貧民街だが、その貧民街でもまだ貧富の差というものがある。どちらも町の中の汚れ仕事をさせてもらえる点は同じなのだが、冒険者関連の仕事に直接関われる貧民街西部の方がやや豊かで関われない南部が最も貧しい。だからこそ、冒険者になりたがる若者が多いのだ。


 つまり、ユウが今いる場所こそがアディの町で最も貧しい地域なのである。


 南に向かって歩きながら半ば辺りまで達すると、ユウは少し迷いつつも通ったことのない路地に曲がった。相変わらず両側には狭い家が林立している。


 こういう隙間もないような路地があちこちに続く貧民街であるが、たまに小さいながらも広場のように開けている場所があった。理由は近所の住民に聞いても大抵はわからないという返事ばかりだ。


 そんな小さな広場で子供たちが遊んでいる。路地でも走り回っている子供はいたが広場でももちろん全力で駆けていた。周囲に大人の姿は見当たらない。


 路地の隣に広がる壁にユウはもたれた。数少ない日陰となっている場所だ。そこでしばらく動き回る子供たちを見る。まだ暑い日差しを真っ向から受けても平気な姿は呆れもするが感心もした。


 やがてユウはやや麻袋を腰から取り出す。その袋の口を開けて貧民の市場で買った豆のような形をした砂糖菓子を取り出した。多少歪な形をしたそれを口に入れる。確かにほんのり甘い。それをゆっくりと舐め続ける。


 正直なところ、ユウはあまりおいしいとは思わなかった。どんな材料を使っているかわからないという不安もあって楽しめないというのもある。


 広場で遊んでいた子供たちの中でめざとい子が最初にユウへ目を向けた。1人が違うことをしていると、別の子がそれに気付く。そうしてそれほど時間を経ずに子供たちが遠巻きにユウを眺めるようになった。


 何人もの子供に見つめられながらユウはまた麻袋から豆のような形をした砂糖菓子を取り出す。子供たちの視線が一斉にそれへと注がれた。羨ましそうなそれらの視線を浴びながら再び砂糖菓子を口に入れる。何人かの子供が生唾を飲み込むのが見えた。


 口の中の砂糖菓子を噛み砕いて飲み込んだユウは子供たちに声をかける。


「これが欲しいのかな?」


「ほしい!」


「くれ!」


「1コだけ!」


「ちょうだいよ!」


 一斉に周りの子供たちが口を開いた。同時に距離を一気に詰めてくる。


「はい待って! いい子にしないとあげないよ!」


「オレいい子!」


「あたしも!」


「僕も!」


「ウソつけ! お前悪い子だろ! この前とーちゃんのカネ盗んだって言ってたじゃん」


「うるせー!」


「静かにしている子から順番に配るよ」


 一気に騒がしくなった子供たちをユウは一言でおとなしくさせた。やはり物があるというのは強い。


 20人近くいる子供たちにまず1つずつ砂糖菓子を配ると、ユウはもう1周全員に1つずつ与えた。途中、すぐに食べて他の子よりも多くもらおうとする子が何人かいたが、すべて見破って諦めさせている。


 こうして、ユウはおとなしく良い子にしていれば砂糖菓子がもらえることを理解させた。それから話を始める。


「僕はまだここに来たばかりで知らないことがたくさんあるんだ。だからみんなに色々と教えてほしいことがあるんだよ」


「教えたらお菓子くれるのか?」


「あげるよ。そのためにたくさん持ってきたからね」


「それじゃ、答えるぞ! 何でも聞いてくれ!」


「オレも!」


「あたしも! あたしのおとーさん、おかーさんとは別の女の人と会ってたのー!」


「その話は聞かされてもちょっと困るかな。僕が質問するからそれに答えてほしい」


 いきなり強烈な家庭内事情を聞かされたユウの顔が引きつった。ある意味効果覿面てきめんだということが立証できたわけだが、余計なことを聞かされても困るので子供たちの発言をある程度制御しようとする。


 最初は貧民街での常識的なことから尋ねた。ユウがハリソンから教えてもらったことをあえて聞き、子供たちが正しく答えているかを確認する。嘘をついていないとしても、あまりにも非常識だったり受け答えが頓珍漢だったりする子の言うことを信用しないためだ。


 そうして答えてくれた子には砂糖菓子を1つずつ与えていく。この場合、答えてくれた子全員に渡すのだ。子供同士で足の引っ張り合いや喧嘩をされるのを避けるためである。また、全然話せない子のために時々全員に1つずつ配ることもした。


 何度も繰り返すことで、ユウは子供たちに話しやすい環境を整える。その場所のことをよく知るのはその場所に住む者だが、子供なら遠慮なしに話をしてくれる可能性が高い。しかも、たまに大人以上に知っていることもあるのだ。これが意外に侮れない。


 麻袋の中身が3分の1程度になったところでユウは本題を切り出すことにした。よく知っている子と知らない子、信用できる子とできない子などの峻別はおおよそできている。


「それじゃ次なんだけど、最近この辺りで、ほっぺたが凹んでて、顔色が悪くて、それなのに目つきが悪いっていう人を見かけなかった?」


「オレ見たぜ! 階段に座ってなんかブツブツずっとつぶやいてたヤツ」


「あーいたいた! ジャックんちの近くだったよな。すっげー気持ち悪かった」


「なんか変な薬ばっか飲んでたからだってとーちゃんが言ってたっけ」


「幸福薬ってヤツだろ? ぜんぜん幸せそーに見えねーよなぁ」


「あんなのよりこのにーちゃんがくれる菓子の方がいいのになー」


 思った以上に具体的な話が次々と出てきてユウは内心驚いた。更に突っ込んで聞くとおかしくなった人の数は1人や2人ではないと子供たちは答えてくれる。


 試しにそのおかしくなった人を見たいとユウが望むと近くにいるからとその場所まで連れて行ってくれた。物陰からこっそり覗くと、確かに階段に座ってぼんやりとしている男がいる。


 幸福薬の被害者の姿を見たユウは顔をしかめた。頬はこけ、顔に生気はなく、それでいて目は血走っており、しかも寒いのか震えていた。どうなればあのような姿になるのかさっぱりわからないが、見た目からして危ない。


 充分な成果を得たユウは残りの砂糖菓子を子供に分け与えて今日はその場を去った。

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