貧民の市場の店(前)

 次の休養日がやって来た。ユウにとっては魔窟ダンジョンに入る日も起きる時間は同じだが、やはり身に危険のない日というのは気が休まる。


 いつもなら三の刻の鐘からはウィンストンの稽古、四の刻の鐘からは裁縫工房の洗濯労働、五の刻の鐘からはアントンたちとの模擬戦をすることになるが、この日は違った。


 朝、起きて外に出る準備が整うとハリソンが寝台から立ち上がる。これからアントンたちの稽古をつけに行くのだ。扉まで進んだところで振り返ってユウを見る。


「ユウ、それじゃ行ってくる。四の刻の鐘が鳴る頃に城外神殿の端で待ち合わせるぞ」


「わかった。たぶん少し遅れるけど」


「そうか。だったらこっちも昼飯を済ませてからにしようか」


「だったら僕もそうする」


 簡単に打合せを終えるとハリソンが部屋を出て行った。


 この日は昼からハリソンがアントンたちを連れて店を巡ることになっている。まだ充分な蓄えがない4人だが、今から品物の選び方などを教えるためだ。


 ユウはこれに誘われたのでついていくことにしたのだった。先日の治療の件で思うところがあったのでアントンたちの様子を窺うことにしたのである。


 朝の用事を済ませたユウは昼食を食べてから城外神殿へと向かった。四の刻の鐘は既に鳴り終わっている。


 待ち合わせ場所の近辺に着いたユウは周囲を見回したがハリソンたちはまだ来ていなかった。貧民の市場に近い城外神殿の端で立つ。もちろんできるだけ日陰になる場所を選んでいるがそれでも暑い。


 じりじりと汗が噴き出てくる中、更に待っているとようやくハリソンたちがやって来た。5人とも楽しそうに近づいてくる。


「ユウ、先に来てたのか」


「食べるのにそこまで時間はかからなかったからね。それより、今から店に行くんだよね」


「ああ。オレが駆け出しのときに通っていた店に連れて行くんだ。ついてきてくれ」


 踵を返したハリソンが歩き出すとユウはそれに続いた。アントンたち4人はそのハリソンの周りで騒ぐ。


 最初に向かったのは貧民の道に面した市場の東側にある傷んだ石造りの平屋だった。『敵を切り裂く剣』という武器屋だとハリソンが紹介する。そして、その店を見てユウは目を見開いた。かつてふらりと寄った店だったからだ。


 店内には武器が所狭しと乱雑に置かれている。まともそうなのから錆びているっぽいものまでどれも質の怪しそうな武器ばかりだ。


 6人がかりで店内に入ると結構騒がしくなる。店の奥に座っている脂ぎった見た目の店主が目を向けてきた。


 店内に入って最も熱心に武器を眺めていたのはアントンとコリーだ。色々な武器を手に取っては眺める。それに対してハリソンが横から解説を加えた。大抵は否定的な意見だ。


 様子を見ていた店主が立ち上がってハリソンに近づく。


「お前、久しぶりに顔を見せたと思ったら、商売の邪魔をしに来やがったのか?」


「こんな大人数を連れて来てやったのに邪魔とはひどいな」


「ふん、どうせお前は買わんのだろう」


「いい物があったら買うぞ」


「どれもいいものだ!」


「こんな錆びてる物がか?」


 手近にあったダガーを手に取って店主に見せたハリソンが尋ねた。顔を歪ませた店主はそれを奪い取ると乱雑に棚へと放り入れる。


 結局、色々と見て回るだけ見て回って外に出た。当然店主は不機嫌である。


 次いで向かったのは武器屋の近くにある少し傾いた石造りの平屋だ。『刃を止める盾』という防具屋である。店内には防具が雑然と置かれており、どこかしら傷んでいる防具ばかりだ。


 この店で熱心に防具を眺めていたのはドルーである。怪我をしたばかりなので何とかしたいと周りにこぼしていた。ハリソンに意見を求めながら見て回るが、低い評価ばかりなので次第に興味を失っていく。


 苦虫を噛み潰したような顔をした店主がハリソンに近づいた。腹立たしそうに口を開く。


「おい、なに商売の邪魔をしてくれるんだ」


「品揃えが前よりも悪くなってないか?」


「いい商品は片っ端から売れちまうんだよ」


「だったらこの店にはもういい商品はないのか? あるなら見せてくれ」


「誰がケチをつけるだけのヤツなんかに見せるかよ。出て行け!」


 癇癪を起こした店主が声を上げた。肩をすくめたハリソンが仲間を促して出て行く。


 表通りの貧民の道に出たところでユウがハリソンに並んだ。顔を向けて尋ねる。


「さっきのお店、物は確かに悪かったけど、あんな風に言って良かったの?」


「あのおっさんは去年この店を継いだと聞いてたが、思った以上にダメだったな。前の爺さんはもっとましだったのに。結構世話になったからみんなを連れてきたが失敗だったな」


 首を横に振りながらハリソンが返答した。その表情は少し寂しそうだ。


 貧民の道を少し歩くとハリソンは路地へと分け入った。そのまま南に向かって歩き続け、貧民街に近い市場の東側にある崩れそうな石造りの平屋に入る。『かすかな幸運』という雑貨屋だ。


 店内は採光の窓が小さいため薄暗く、品物が乱雑に並べられている。埃が積もっているせいもあってどの品物も怪しく見えた。


 連れてきたアントンたち4人が店内を見回る中、ハリソンが奥のカウンターに座る女店主に声をかける。


「婆さん、小瓶を1つ買いたい。割れてないやつだぞ」


「生意気いうヤツにゃ底の抜けたやつを売りつけたいね」


 面白くなさそうな顔をした老女店主が脇の棚から小瓶を2つ取り出してカウンターに置いた。


 それをじっと見ていたハリソンは小瓶を1つずつ手に取ってあちこちよく眺める。しばらく見てから最初に手に取った方を掴んだ。それから銅貨2枚をカウンターに置く。


「もう1つは買わないのかい?」


「そっちはかすかにヒビが入ってるだろう。割れてないやつを寄越せって言ったはずだぞ」


「ちっ、最近は目が良くなってきたようだね。結構なことさ」


 老女店主が舌打ちしながらもう1本を棚に片付けるのを無視してハリソンが戻って来た。


 それを見ていたユウがハリソンに顔を近づけて小声で話しかける。


「あんなことしてくるの?」


「あっさりと引き下がるだけ良心的だ。それに、1本まともなのを用意するだけ善良とも言える。この辺りではな。ユウ、お前の故郷は違うのか?」


「実はそこまで市場で物を買わなかったんだ。働いてその報酬として色々ともうらうっていう形で結構何とかなっていたし」


「あーそいうやり方か。それで冒険者の装備も買ったのか?」


「さすがにそれはお金を払って買ったよ。先輩の紹介でお店を紹介してもらったんだ」


「なるほど、それは確実だ」


 事情を聞いたハリソンが納得してうなずいた。物のやり取りは何も金銭だけでするものではない。労働力の提供など他の手段もあるのだ。


 雑貨屋を出たユウたちはハリソンに先導されて今度は西側に向かって歩いた。話ながら6人が歩いていると途中から物静かな雰囲気の路地に入る。


 ユウは不思議そうに周囲へと顔を巡らせた。それからハリソンに声をかける。


「ここだけ静かだね?」


「質屋が並ぶ場所だからな。みんな来るときも帰るときもこっそり通るんだ」


 理由がわかったユウは微妙は表情を浮かべた。今のところ縁がない店であるが、冒険者稼業をしているといつ世話になるかわからない商売でもある。


 そんなひっそりとした場所だが人の出入りはたまにあった。大抵は赤の他人であるが、中には見知った顔を見ることがある。


 ちょうど角を曲がろうとしたときだ。ハリソンが急に立ち止まる。いきなりのことだったのでユウはそのまま歩いて角の陰から出てから立ち止まった。とある目立たない石造りの平屋から出てきた男が反対側へと歩き去って行くのを見ながら口を開く。


「ハリソン、どうしたの?」


「あーいや、ちょっとイヤなヤツの顔を見たんでな」


「ハリソン、今のってジェフだったよな!?」


「確かにそうだった。あの束ねた髪は間違いないさ」


 ユウより背後にいたはずのアントンとコリーが続けて断言した。バイロンとドルーは気付かなかったようで顔を見合わせるばかりだ。


 何となく嫌そうな表情のハリソンが頭を掻く。


「何か機嫌が良さそうだったな」


「きっと盗んだ物を売りさばいたんだぜ! あいつ漁り屋スカベンジャーだから!」


「アントンが言うならぼくもそう思うなぁ」


「イヤなものを見たね」


 アントンに続いてバイロンとドルーも同調した。黙っているコリーもうなずいている。


 言葉の響きから良い印象がないのはユウも同じだが、それにしても随分と嫌われているものだと思った。それとも、ジェフという男に何かあるのだろうかと内心で首を傾げる。


 ともかく、ジェフらしき男の姿はもうない。何をしていたのか確認したいのならば男の出てきた質屋の店主に尋ねるしかないだろう。


 結局、何もしないままユウたちはその場を離れた。

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