貧民の市場の店(後)

 後輩のために店巡りをするハリソンに付き合ったユウは貧民の市場を回っていた。貧民の工房街はもちろん、故郷の市場よりもたくましい店主たちに何度も驚く。


 今までは市場の東側にある小さくぼろい店を巡っていたが、五の刻の鐘が鳴る頃にはハリソンが西側へと足を向けた。店舗街を抜けると荷車を改造した屋台や敷物を地面に直敷きした露天商が路上にひしめくようになる。


 その間を通り抜けてハリソンが市場の奥へと仲間を先導した。やがて異臭のする屋台や露天商が連なる路地へと入り、小さい荷馬車を利用した露店の前で足が止まる。荷馬車は棚になるように改造されており、各種薬品や薬草などが並べられていた。


 店主が無表情のままハリソンへと顔を向ける。


「久しぶりじゃないか。なんか買ってくかい?」


「オレは間に合ってる。コリー、この前治療で使った分を補充しておいたらどうだ?」


「もちろんさ。それにしても、ハリソンから紹介されたのが俺の行きつけの店とは」


「そうなのか?」


「そうなのさ。傷薬の軟膏1回分と包帯1本をくれ」


「銅貨1枚と鉄貨50枚だ。面倒だったら包帯をもう1本買って銅貨2枚ちょうどにしてもいいぞ」


「面倒じゃないからいいさ」


 革袋から必要な分だけ貨幣を取り出したコリーが肩をすくめた。


 ちなみに、ユウが後で聞いたところ、この薬屋は『生い茂る草木』という店名で、一部の客には劇薬や毒草も売っているらしい。慎重な店主の方針で懇意にしている客にしか売らないそうだ。


 アントンたち4人に色々と話をしながら市場を巡ったハリソンは薬屋から離れてから振り返る。


「店や品物の選び方は大体こんなところだな。迷ったら参考にしてくれたらいい。後は好きにしていいぞ」


「ハリソン、今っていつもの稽古の時間くらいだから模擬戦しようぜ!」


「ぼくは何か食べてる方がいいかなぁ」


「バイロン、お前今から食ったら晩飯食えなくなるぜ?」


「おやつは別腹なのは常識だよねぇ」


「そんな常識は知らねぇし、お前の腹はいくつあるんだ」


 当然という顔で言い切ったバイロンにアントンが呆れていた。その様子を見たコリーが首を横に振って肩をすくめ、ドルーが半笑いをしている。


 いつものように騒ぎ始めた4人を尻目にユウがハリソンに顔を向けた。少し迷うそぶりを見せてから相談する。


「ハリソン、市場に布を扱っているお店ってあるかな?」


「布? そりゃ古着屋なら扱ってるだろうが、どうしたんだ?」


「僕が毎朝走り込みと鍛錬をしているの知ってるでしょ。そのときに松明たいまつの明かりが必要なんだけど、火を灯すのにぼろ布を使っているんだ」


「で、そのぼろ布を買いたいわけか。何とも贅沢な使い方だな」


「前に裁縫工房のおばさんにも同じことを言われたよ。今まではそこでぼろ布をたまに買っていたんだけど、最近は収入がほとんどないから」


「あー、そうだな。そうだった。わかった、古着屋を1つ紹介しよう。店主はちょいと厄介だが、品物は確かなんだ」


 やや引きつった笑顔を見せたハリソンはユウの要望を請け負った。それからアントンたち4人に向き直る。


「オレはこれからユウを別の店に案内する。それが終わったら模擬戦をしてもいい。希望者はいるか?」


「はーい、オレはやるぜ!」


「ぼくはいいかなぁ。」


「俺もアントンに付き合ってやるさ」


「ボクは、うーん、今回はやめておくね」


 4人がそれぞれ自分の意見を出した。それを見ていたハリソンがうなずく。


「わかった。なら、アントンとコリーは木の棒を持っていつもの場所で待っていてくれ。こっちの用が済んだらオレも行く」


「ハリソン、早く来てくれよな!」


「それまではアントンと2人で模擬戦でもしておくさ。ちょうど試したいこともあるしね」


「お、新技か? いいぜ、受けて立ってやろうじゃないか!」


「ふっ、前みたいに翻弄してやるさ」


「言ったな! それじゃ今すぐ模擬戦しようぜ!」


 一層うるさく騒ぎながらアントンとコリーが南に向かって歩き始めた。一方、バイロンとドルーは反対の北側へと足を向ける。


 後輩たち4人の姿を見送ったハリソンに促されたユウはその背中に続いた。最初は南へと少し歩き、東側に伸びる路地へと入る。薬屋の異臭が徐々に遠ざかった。


 しばらく進むと、棚になるように改造された荷台に傷んだ古着などを積み重ねた荷馬車が目立つようになる。立ち止まったのは、その中の1つで壊れそうな荷馬車を使った露店だった。


 振り返ったハリソンがユウに話しかける。


「ここだ。『庶民の染め物』っていう古着屋なんだが、店主がちょっと疑い深くてな」


「だぁれが疑い深いじゃ、手癖の悪いクソガキが」


 店の前でハリソンが堂々と話していたこともあってすぐに老店主に聞きとがめられた。猜疑心が強そうな面構えをしており、ユウも一緒に睨んでくる。


「せっかく客を連れてきたってのにそりゃないだろ、爺さん」


「人のことを先にバカにしておいて、なぁにを言っとるんだバカもんが」


 どうにも態度の悪い老店主にユウはやりにくさを感じた。古着屋は他にもあるがハリソンが連れてきたということはこれでましな部類なのだろうと強引に納得する。


「あの、このお店でぼろ布は扱っていますか?」


「ぼろ布? ああ、あるぞ。欲しいのか?」


「はい、見せてください」


「見せてもいいが、盗るんじゃないぞ。ワシの見える所に立って見るんだ」


 睨みながら言いつけてきた老店主にうなずくとユウは1枚のぼろ布を手渡された。それを広げあるいは裏返して状態を見る。貧民の工房街の物より質は悪い。しかし、松明の明かりとして燃やすのならばこれでも充分に思えた。あとは値段である。


「このぼろ布はいくらですか?」


「銅貨2枚だ。鉄貨1枚もまけんからな。その値段で判断しろ」


「わかりました。銅貨2枚ですね。はい、どうぞ」


「持っていくといい」


「どうだ爺さん、いい客だろう?」


「ふん、悪かぁないな。珍しくまっとうなヤツを連れてきたじゃないか」


 にやにやしながら話しかけてきたハリソンから老店主が目を逸らした。


 買い物を済ませたユウはハリソンと共に古着屋から離れる。これから向かうのは貧民街の南端だ。アントンとコリーが待っている。


「随分と癖の強い店主だったね。でも、ハリソンの言う通り商売はまともそうだった」


「そうだろう。あんな態度だからかなり損をしてると思うんだが直す気はないらしい」


「接し方さえわかれば聞き流していれば良いんだろうけど、残念だね。ん?」


 話ながら歩いていたユウは周囲の風景が変わっていることに気付いた。まだ市場の範囲内で荷馬車を使った露店が並んでいるのだが雰囲気が暗い。質屋が並ぶ路地も静かだったが、この辺りは静かというよりも沈んでいると表した方が正確だろう。


 隣でハリソンが眉をひそめるのを尻目にユウは周囲に頭を巡らせた。すると、薄汚れた荷馬車を利用した露店に見たことのある少年たちがいることに気付く。禿げ頭の厳つい顔をした巨体の男と話をしているのは鋭い目つきをしたエディーだ。


 少し目を見開いたユウがハリソンへと目を向けると小声で話しかけられる。


「気付かれると面倒だからそのまま通り過ぎるぞ」


 あまり良くない状況らしいことを知ったユウは無言でうなずいた。それでも目だけでエディーたちを見る。改造されていない幌付きの荷馬車の前で店主らしい巨体の男がしゃべっており、その隣に傷だらけの顔をした巨漢が黙って立っていた。エディーたち6人の足下には武具や大きめの道具が置いてあり、それを指差すなどして値段交渉をしている。


 耳にする断片的な会話を聞くに交渉はエディーたちにとって不利なようだ。どうやら後ろ暗い品ばかりなので強きに出られないらしい。


 交渉に必死のエディーたちは背後を通るユウとハリソンには気付かなかった。少ないとはいえ路地にも往来はあるので足音を気にすることもない。


 2人が通り過ぎると視界からエディーは消え、会話もほとんど聞こえなくなった。しばらく歩いてからユウが大きく息を吐き出す。


「なんか緊張したな。ハリソン、さっきのってアントンたちと仲が悪かったパーティだよね。あそこも質屋なの?」


「いや、あの辺りは買取屋が集まってる場所だ。エディーたちが話をしてたヤツもその1人、『生者の善意』の店主ランドンってヤツだ」


「どんな人なの?」


「かなりタチが悪い」


 端的な言い方にユウは顔を引きつらせた。できれば近づきたくない人種なのはすぐにわかる。質屋以上に縁のない商売の人で良かったと心の底から思った。


 歩き続けて貧民の市場から貧民街へと入る。すると、耳に入る喧騒と鼻につく臭いが変わった。ユウは何となく安心する。


 まだまだ日差しが強い中、ユウとハリソンは心持ち先を急いだ。

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