雑事の中で

 仲間2人の門出を見送ったユウはしばらく宿の部屋でしんみりとしていた。しかし、時間の経過と共に強くなる日差しが室内を容赦なく暖めて暑苦しくしていく。


 徐々に息苦しくなってきたことを自覚したユウは立ち上がった。三の刻の鐘まではまだ間がある。先日ハリソンと相談した件を片付けておくのにちょうど良い空き時間だ。


 階下に降りて受付カウンターへと向かった。灰色の頭巾を被った少々やつれた中年の女が席に座っている。


「アラーナさん、おはようございます」


「どうしたんだい? あんたのお仲間はさっき出て行ったみたいだけど」


「相談があるんです。今4人部屋を借りていますけど、次の更新のときに2人部屋に変えたいんですよ」


「2人部屋? 今の4人組がばらばらになっちまうのかい」


「そうなんです。2人はここを出て行って、僕ともう1人が残るつもりです」


 話を聞いたアラーナは目を丸くした。気だるそうに座っていた体を前のめりにさせる。


「喧嘩でもしたのかい? 怒鳴り声を聞いた覚えはないけどさ」


「いえ、そんなことはないですよ。仲間2人、もう元仲間かな、とにかく2人は3階で活動するパーティに入ったんで町の中に移ったんですよ」


「なんだい、それじゃあんたともう1人は置いていかれたってわけかい」


「いえ、そうでもないですよ。もう1人は貧民街の後輩の面倒を見るために残ったんです。僕はその手伝いをするために」


「あんたたちもやることがあったのかい。それじゃ仕方ないねぇ。ただ、町の中に移った冒険者たちとの縁は薄くなるって言うから、その後の付き合いはどうなるか怪しいじゃないか。あんたたち4人はうまくやってるように見えただけにちょっと残念だよ」


「まぁそこは、次に会ったときの態度を見て考えます。どのみち3階に上がるとなると町の中に移ることを考えないといけないみたいなので」


「こっちとしちゃ、上客を取られるみたいだから面白くないけどね。で、2人部屋に移りたいんだったかい」


 肩をすくめてため息をついたアラーナが話を元に戻した。ユウも本題の件についてうなずく。


「そうです。15日で今の4人部屋の契約が切れますから、その次の日から入りたいですけど。空いている2人部屋はありますか?」


「ああ、あるよ。またまとめて何日か借りてくれるのかい?」


「はい。1ヵ月でお願いしたいです」


「だったら銅貨42枚だね。4人部屋のちょうど半分さ」


「あ、そうなんですか。わかりやすいですね」


「だろう? 今払ってくれるのかい?」


「いえ、部屋を移る当日に支払います。ところで、酒場なんかで知り合いから聞いたことなんですけど、宿屋街は全体的に部屋がいつもいっぱいらしいですが、2人部屋は割と空いているらしいですね?」


「まぁ、店によるんじゃないのかい?」


「だとは思うんですけど、この宿はどうなんですか?」


「何とかやっていっているさ。引きもきらないくらいにね」


「2人部屋も?」


「随分と食いつくじゃないか。何か心当たりでもあるのかい?」


「先月まで6人部屋に空きがないかって相談していましたけど、そのときは契約期限がきれるまでの数日間も部屋を空けておけないって言っていましたよね。けど、今回の2人部屋だと数日間の空きは認めてくれたのが心当たりです。つまり、その間にその2人部屋を借りてくれる人が現れる可能性は低いって思ったからですよね」


 アラーナの経営する宿屋『大鷲の宿り木亭』に泊まる冒険者たちは2階で活動する者たちが中心だ。そんな冒険者たちのパーティは通常4人から6人が一般的である。また、3人以下のパーティは1階で活動する者たちが中心で、そう言った冒険者たちは安宿の大部屋を利用する傾向が強い。つまるところ、アラーナの宿くらいになると微妙に2人部屋の需要がないのだ。


 そのことにユウが気付いたのは先月である。魔窟ダンジョンでの活動、酒場での雑談、工房での会話などから知ったのだ。


 最後にユウは金額を提示する。


「代金は銅貨38枚でどうですか? これなら1人頭の金額が銅貨19枚なので僕たちにとっては今まで通りなんですけど」


「めざといじゃないか。もうちょっと出し惜しみしとくんだったねぇ」


「で、実際のところはどうなんですか? そんなに2人部屋の借り手っていないものなんです?」


「4人部屋や6人部屋みたいに長期間借りるってのは少ないね。短期間が大体さ。それでもうちは2人部屋の数が少ないからましだけどね」


「それじゃ1人部屋はもっと借り手がいない?」


「1人部屋は2人部屋よりかお客はいるんだよ。確かに短期間なんだけどさ、割とひっきりなしに泊まってくれるんだよね」


 値段交渉が終わるとユウはアラーナと宿泊事情について雑談を交わした。最後は2人客がいたら紹介するという約束を交わして部屋に戻る。


 三の刻の鐘が鳴るとユウは宿を出て目的地へと向かった。




 朝の間はウィンストンの稽古、昼下がりは裁縫工房での洗濯労働をこなしたユウは冒険者の道を南に向かって歩いていた。時刻は五の刻の鐘が鳴ってしばらく経った後だ。日差しはまだ強く暑い。湿っていた服は乾いていき、体からは汗がにじみ出ていた。


 城外神殿に差しかかったユウはそこから東に曲がって貧民の道へと差しかかる。そこからすぐに南に折れて貧民の市場へと入ろうとした。そのとき、背後から声をかけられる。


「あの、よろしいですか?」


「はい?」


 振り向いたユウは少し先に灰色のローブを身につけた簡素な人物2人を目にした。城外神殿に出入りする人々に交じっているその姿をよく見かける。パオメラ教の信者であり、官位持ちだ。


 まったく接点のないユウは声をかけられたことに困惑した。どちらも初めて見る顔である。いや、そこまで考えて1人の人物の顔を凝視した。白っぽい金髪、爽やかな顔、細い体、どこかで会ったような気がする。


 自分の記憶の中をさまよっているユウは首をかしげた。その間にも目の前のローブを身につけた男は話しかけてくる。


「もしかして、半年ほど前にお目にかかった方ですか? この町の名前や通貨のことを私に問いかけられましたよね」


「え? あ!」


 そこまで言われてユウは思い出した。アディの町に初めて入ったときに町のことを尋ねた人物だ。貧民を救済するためにパオメラ教の有志が城外で活動をしていることを延々と聞かされたことも記憶の奥底から蘇る。


 苦手な部類に入る人物だったことからユウは曖昧な笑みを浮かべてうなずいた。先を急いでいると言って去ることもできずに立ちすくむ。


「私はネイサンと申します。あちらのパオメラ教城外神殿で祭官さいかんを勤めている者です。隣にいるのはオーウェン、助祭官じょさいかんで私を助けてくれている者です」


「初めまして、オーウェンです」


「あ、初めまして、冒険者のユウです」


 声をかけられた意図がわからないままユウは挨拶を交わした。祭官と助祭官ということはやはりパオメラ教の官位持ちである。下から数えた方が早い官位ではあるが、冒険者よりはるかに社会的信用がある人物たちだ。


 しかしそうなると、尚更声をかけらる理由がわからない。半年前に出会った人物など、忘れるか無視するかが一般的である。冒険者から信者ならまだしも、逆はあまりない。


「僕に何か用でしょうか?」


「いえ、別に用があるわけではありません。以前お目にかかったときは不思議なくらい色々とご存じなかったようですので、その後どうされているのかと心配していたのです。そこへあなたのお姿を目にしたものですから、ついお声がけしてしまいました」


「ああ、そうだったんですね。僕はもう平気です。魔窟ダンジョンで稼げるようになりましたから。半年前のように路頭の迷ってはいませんよ」


「それは良かった。もし、余裕がございましたら、困っている者たちをお助けください。特に貧民街にはそういう者たちが多いですから」


「あ、はい」


 今やっているアントンたち4人の指導は弱者救済に入るのかなとユウは考えた。自立する手助けをしているという意味では救済と言えないこともないが、魔窟ダンジョンで魔物討伐をさせる手助けをしているのだから穏やかではないだろう。


 余計なことを考えていたユウの反応が鈍くなった。それに合わせてネイサンが一礼する。


「お忙しいところお引き留めして申し訳ありません」


「あ、いえ、いいです。ネイサンさんはこれからどちらへ向かわれるんですか?」


「貧民街でやる炊き出しの準備をしに向かうところです。六の刻の鐘には間に合わせたいので」


「そうですか。頑張ってください。それでは」


 お互いに一礼するとユウはネイサンとオーウェンの2人から離れた。そのまま貧民の市場へと入る。


 強い日差しの中、苦手な人との会話を終えて体の力を抜いたユウは先を急いだ。

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