予定と割り込みの用事
6月も半ばになるといよいよ夏の影が強くなってくる。朝晩の冷え込みはすっかり緩やかとなり、昼間はほんのりと暑い。これから夜が寝苦しくなるのは憂鬱なことの1つだ。
そんな春の終わりを感じながらユウは日々を過ごしている。普段は
しかし、最近のユウはその休養日が忙しい。いつの間にか何かしらの予定が次々と入って今やすっかり予定が詰まっているのだ。具体的には、一の刻の鐘が鳴ると起きて走り込み、その後柔軟体操と体術の鍛錬をする。三の刻の鐘からはウィンストンの下で稽古、四の刻の鐘からは昼食後にベリンダの裁縫工房で洗濯労働、五の刻の鐘からは冒険者ギルド城外支所の資料室で地図の模写と続くのだ。
近頃はきつくなってきたのでユウは洗濯を止めようかと真剣に考えている。ぼろ布を常時買える収入はあり、体を鍛えるという目的はウィンストンとの稽古で解決しているからだ。きっかけがあれば止めることになるだろう。
ともかく、休養日とはいえ今のユウは忙しい。なので、予定外の用事が入ると困る。
この休養日がそうだった。二度寝した後に二の刻の鐘で起きたユウが干し肉を囓っているとジュードから声をかけられる。
「ユウ、今日で部屋の契約が切れるから更新しておいてくれないか」
「今日だったんだ。早いね。いつ行くの?」
「ユウの好きにしてくれたらいい。俺はもう少ししたら出て行く」
「えぇ、一緒にアラーナさんのところに行くんじゃないの?」
「ああいう商売人との交渉はユウに任せるよ。俺じゃダメだからな」
「先月は一緒に行ったのに」
「今日は約束があるから行かなきゃいけないんだ。悪いな。それと、できれば6人部屋に移りたい。空いてる部屋があったらそっちを取ってくれ」
「あーうん、わかったよ」
噛んでいた干し肉を飲み込んだユウがジュードの要求にうなずいた。
実は今のユウたちは、まだ元の4人で4人部屋を借り、キャロルとボビーは2人部屋を借りている。これは6人部屋が空いていなかったからだ。臨時で2つのパーティが組んでいるので形式としてはおかしくはないが何かと不便である。その問題を解消したいのだ。
朝食を食べ終わったユウは部屋を出た。階段を降りて1階の受付カウンターへと向かう。
まっすぐ受付カウンターに近づいたユウはアラーナに声をかける。
「アラーナさん、僕たちが借りている部屋の契約について話しに来ました」
「今日が期限だからね。そろそろそっちに行こうと思ってたところだよ。また1ヵ月借りるっていうのでいいかい?」
「あのですね、6人部屋が空いていたらそちらを借りたいんですけど空いてますか?」
「先月も言ってたねぇ。けど、今のところ空いてないよ。うちは人気があるからね」
本気か冗談かわからない言い方にユウは曖昧な笑みを返した。冒険者の宿屋街は慢性的な部屋不足なのだ。そういう意味ではどこも人気店ではある。
「もしどこかの6人部屋が空いたらすぐに教えてもらえますか? そちらに移りたいんで」
「そりゃ構わないけど、4人部屋の契約が終わるまで空けておけっていうのはなしだよ。空いてる間の料金を支払ってくれるっていうのなら話は別だけどさ」
「途中で4人部屋を解約できないんですか?」
「先に支払った料金は返金しないよ。そっちの一方的な都合なんだから。そういう条件なら途中解約してもいいさ。解約を見込んで10日ごとの支払いに戻してもいいけど、そのときは値引き分はなしになるよ」
思ったほど融通を利かせてくれないアラーナにユウは微妙な表情を浮かべた。今も空き部屋がないか聞きにやって来る冒険者はいるので強気である。
「そうですか。わかりました。でしたら4人部屋を引き続き1ヵ月借りますね」
「それじゃ銅貨80枚だね。銀貨4枚でもいいよ」
「うーん、もうちょっと安くなりませんか? 僕たち、いいお客でしょ」
「いいお客ねぇ。料金を支払ってくれるお客はみんないいお客だよ」
「そうですか? お代を渋らず、部屋をきれいに使ってくれるお客の方がもっといいお客だと思いますけど。定期的に中を見に来たときに褒めてくれましたよね」
「嫌な客はすぐに追い出すさ」
「次に来るお客がどんな人かは泊めてみないとわからないでしょう?」
「で、いくらなんだい?」
「銅貨76枚でどうですか。1人頭銅貨1枚ずつ安くしてもらえると嬉しいです」
「あたしの宿も赤字は困るからね。今後、これ以上は値下げしないよ」
「ありがとうございます」
礼を述べながらユウは宿泊料金をカウンターの上に置いた。それを1つずつ数えたアラーナが引き取っていく。
「あんたは話がうまいね。冒険者を辞めて商売人に戻ったらどうなんだい?」
「こっちでやりたいことをやったらそうしますよ」
支払いを終えたユウは笑顔でそのまま宿を出た。
三の刻の鐘が鳴る頃に冒険者ギルド城外支所の裏側にある修練場へと着いたユウはウィンストンに稽古を付けてもらう。初回ほど体は痛まなくなったが、まだまだ悲鳴を上げては怒鳴られることが多い。
四の刻の鐘が鳴るとユウは稽古から解放されて昼食を口にした。1日で最も開放感溢れるときでもある。干し肉と薄いエールが旨く感じるときでもあった。
昼食を終えると貧民の工房街にある裁縫工房『母の手縫い』へと向かう。いつものように裏手に回ると洗濯待ちの衣類と洗濯たらいを抱えて井戸で洗った。家庭内の愚痴や街の噂などを色々と話す。
五の刻の鐘が鳴り終わってしばらくするとユウはぼろ布をもらって裁縫工房を出た。いつもならここから再び城外支所に戻るのだが、今日は製薬工房『泉の秘薬』へと寄る。
怪しい臭いが漂う工房内にユウが入ると先客がいた。先客の用が済むまで待ってからニコラスに声をかける。
「こんにちは。
「その瓶を寄越せ。入れてやる。他には何かあるか?」
「痛み止めの水薬っていくらでしたっけ?」
「3回分で銅貨5枚じゃな」
「2回分だけ欲しいんですけど、そんなことできます?」
「面倒じゃからそんなことはしとらん。あと1回分使ってからまた来い」
「他の所でもあったんですけど、微妙に不便ですよね、その価格設定。どうして1回いくらじゃないんですか?」
「材料費などその他諸々の理由からじゃよ。別にこれでも儂は困らんからな」
「松明の油は分けてくれるのに」
「あれは割り切れるからじゃ。しかし、痛み止めの水薬は割り切れんじゃろう?」
「そんな理由で」
松明の油を瓶に入れながらニコラスが静かに笑った。
一方、ユウはとても困ったという表情を浮かべる。売り手が強いとこんなものだ。
仕方がないので、ユウは渋い表情をしつつも松明の油の瓶詰めが終わるまでじっと待つ。
「よし、終わったぞ。持っていけ」
「ありがとうございます」
「にしても、最近の
「ニコラスさんの耳にも入っているんですか」
「冒険者関係の仕事をしとる奴は大抵知っとるじゃろ。噂じゃと町の中の方がこの話題で持ちきりじゃぞ」
「町の中ですか?」
「そうじゃ。何しろ3階で活動する連中はみんな町の中に拠点を移しておるしの。カネになる商売相手が突然何人も消えれば騒ぐのは当然じゃな」
「ああ、冒険者ってお金がかかるときは本当にかかりますからね。武器や防具の買い換えとか道具を買い揃えるとか」
「そこをケチって死ぬのも冒険者にはよくあることじゃがな。ともかく、3階の連中は今ピリピリしとるらしい。知らんか?」
「いえ、3階で活動する人とはほとんど接点はないので」
「何にせよ、今は近づかん方がいい。それと、2階の方は大丈夫なのか?」
「それがですね、その3階の殺人と関連するようなことが2階でも発見されたんで、無関係とは言い切れなくなったんですよ」
「なんと! 詳しく話せ!」
目を見開いたニコラスがユウに迫った。俗世からは1歩も2歩も引いているように見えるが、このような話には食いつきが良い。
とりあえず個人名は出さずにある程度ぼかしてユウは事の次第を話した。まだ推測でしかないことも多いことを添えておく。
「興味深い話を聞けた。礼として、痛み止めの水薬2回分を銅貨3枚で売ってやろう」
「ええ、本当ですか!?」
「ああ、今後もこういう話を聞かせてくれるなら、融通を利かせてやっても良い」
「ありがとうございます!」
突然の申し出にユウは喜んで小瓶2本と銅貨3枚を差し出した。それらを受け取ったニコラスが奥に向かうのを嬉しそうに眺める。
時間がなくても世間話に付き合って良かったとユウは心の底から思った。
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