探索の合間の日常(後)

 宿の部屋の契約を更新したユウはその後外に出た。いつもならば地図を描き写すために冒険者ギルド城外支所へと向かうが、この日は所用のために貧民の工房街へと足を向ける。


 最初に向かったのは皮革工房『獣の守り』だ。工房街の奥まった所にある独特な臭いのする石造りの平屋に入る。


 一層強くなった臭いに眉をひそめつつもユウは出入口近辺にある棚の革製品に目を向けた。いずれも使い古した感じがするので再生品か中古品なのがわかる。


「いらっしゃい。ここは皮革工房『獣の守り』です。あんたは、見たことがありますね」


「ユウです。ここの親方さんですよね。確かミッチェルさん」


「そうですよ。用件は何ですか?」


 ぼさぼさの茶髪で不健康そうな白い顔の男がぼそぼそと返答した。


 その窺うような態度を気にすることなくユウは用件を伝える。


「実は、今使っている革のベルトが傷んできたので、新しいのを買おうと思っているんですよ。途中で切れちゃうと困りますから」


「それは確かに。中古の品で良ければここの棚の中から選んでもらえばいいですよ。新調するなら少し時間はかかりますが」


 説明を受けたユウは今まで見ていた棚に並べられている革のベルトを1つ手に取った。傷んでいる箇所はなく、つやもある。他のも同様だ。一言断ってから試着もしてみる。試した中から1本の革のベルトを手に取った。


 改めてミッチェルに顔を向けたユウが声をかける。


「ミッチェルさん、これをください」


「ありがとう。銀貨1枚です」


 革袋から取り出した硬貨をミッチェルに手渡すと、ユウはすぐにその革のベルトを身につけた。代わりに古い革のベルトを差し出す。


「これできれば買い取ってもらいたいんですけど」


「ふむ、これはうちじゃ値を付けられませんね。貧民の市場で売ったらどうですか。捨て値になりますけど」


「うーん、だったら引き取ってもらえます?」


「それなら構わないですよ」


 安心した表情を浮かべたユウはすっかり傷んだ品質の低い革のベルトをミッチェルに手渡した。その後、少し雑談をしてから工房を出る。


 次いでユウは貧民街に近い所にある怪しい臭いのする製薬工房『泉の秘薬』に入った。いくつもの小瓶が並べられている棚は無視して声を上げる。


「ニコラスさん、松明たいまつの油を買いに来ました!」


「なんじゃ騒々しい。ユウか。松明の油じゃと?」


 奥の作業場から焦げ茶色のローブをまとった老人がユウに近づいて来た。頬のこけた顔をわずかにしかめている。


「はい。20回分ください。最近よく使うようになったんでなくなったんですよ」


「松明をそんなに使うのか。魔窟ダンジョンではなかろう。夜に何かしておるのか」


「早朝ですね。走り込みとか剣の鍛錬をしているんです」


「真面目じゃな。そこいらの冒険者など飲んで食って寝るばかりじゃというのに」


「そんな人たちの中に僕じゃ敵わない人がたくさんいるんで、やれることはやっておかないといけないんですよ」


「感心なことじゃな。瓶はあるのか?」


「はい」


「よかろう。少し待っておれ」


 大瓶2つを背嚢はいのうから取り出したユウは代金と共にニコラスへそれを手渡した。後は待つだけだ。それから棚の小瓶を眺める。


 奥の作業場でニコラスが渡された大瓶に松明の油を注いだ。ねっとりとした液体である。


「お前さん、この間傷薬の軟膏を買ってったが、今日は買い足さんで良いのか?」


「あれからは使っていないんで大丈夫です。2日前に喧嘩して仲間が殴られましたけど、薬を使うほどではなかったですし」


「冒険者なんぞやっておれば生傷は絶えんのは知っとるが、喧嘩とはな。酒場でか?」


「はい。仲間が前の知り合いに馬鹿にされたのをリーダーが黙っていられなくて」


「舐められたら誰からも馬鹿にされてしまうからのう。で、勝ったのか?」


「勝ちました。僕がというよりも、他の仲間が強かったので」


「それは良かった」


「でも、相手のパーティは根に持っていそうで不安なんですよね」


「また来たのなら返り討ちにしてやればよい。そうやって何度か痛い目を見させておけば、そのうち諦めておとなしくするじゃろう。ん、終わったの」


 松明の油を入れ終わったニコラスは大瓶2つを手にしてユウの元へやって来た。それを手渡すと問いかける。


「さて、他に用件はあるか?」


「えーっと、ない、いや、もう1つありました! 動物系の解毒の水薬をください! 前に使ったんですよ。小瓶はあります。」


「まとめて言わんか。馬鹿もんが。年寄りに余計な動きをさせるな」


 背嚢から小瓶を取り出すユウを見てニコラスは小さくため息をついた。




 買い物を済ませたユウは冒険者ギルド城外支所に向かった。中に入って2階に上がり、資料室で地図を写す。小用を済ませたのでいつもより時間は短いが最低1枚は仕上げた。


 昼食の干し肉を食べたユウは昼下がりに貧民街に近い所にあるぱっとしない平屋へと入る。裁縫工房『母の手縫い』だ。工房内には棚に衣服が置いてあり、壁に外套などが掛けられていた。そして、子供が縦横無尽に走り回っている。


「おかーちゃーん、ユウがきたよー!」


「はいはい暴れるんじゃないよ。あっちいって遊んでな! 待ってたよ。また服が溜まってるからね。きれいにしておくれ」


「ベリンダさん、僕の服も一緒に洗っていいですか? 最近汚れが気になってきたんです」


「別にいいけど、自分のばっかりきれいにするんじゃないよ」


「他の洗濯物と一緒に洗うんですから、そんなことできないですって」


 灰色の頭巾にチュニックワンピースとエプロンを身につけたベリンダが椅子に座ったまま笑った。落ち着くと再び仕事に戻る。


 ユウはそのまま工房の裏手に回って背嚢を置いた。次いで、服を脱いで洗濯待ちの古着からましなのを取り出して着る。自分のウール製チュニックと白麻のズボンは古着と一緒に洗濯たらいの中に入れた。


 工房の裏にある勝手口から裏路地に出たユウは洗濯物の入った洗濯たらいを持って井戸に向かう。そこには常に何人かの女たちが洗濯をしていた。大体同じ時間に行くと同じ面子と会うのですぐに知り合いとなる。


 まだ何回も洗濯をしていないユウもそれは同じで、井戸で洗濯する女たちと顔見知りになっていた。定位置に洗濯たらいを置くと挨拶を交わす。


「こんにちは」


「ユウじゃないか。今日は洗濯の日かい」


「ぼろ布のために頑張るわねぇ。働いてもらえるならそれに越したことはないしね」


「ぼろ布だって貴重だよ。使い道なんていくらでもあるんだから」


「今日はいつもの服じゃないねぇ。どうしたんだい?」


 まるで水面に小石をいくつか落としてできた水紋のように女たちの話が飛び散った。いずれもユウが話題の起点だが、話の内容はばらばらで更にそれが別の話題へと混ざっていく。しかもその速度が速い。


 最初はいきなりやって来た若い男を怪しんでいた女たちも、ベリンダから事情を聞いて今やユウを仲間扱いしている。ユウの方も話し相手になりながら洗濯に勤しんだ。


 かつてユウが故郷の川で見た洗濯の風景では石の上に服を置いて踏みつけるというものだった。一方、この井戸では石で擦り付ける方式だ。洗濯たらいに井戸から汲んだ水を入れて灰汁を混ぜ、古着を入れてよく揉み洗いしてからやや平らな石で擦り付ける。そして、汚れが取れたら水で洗い流してよく絞って干すのだ。


 これを1人で延々とこなすのだからかなりの重労働である。ユウとしては足で踏む方が楽に思えるが、この辺りに川はないのでそれはできない。


 ユウが最初に洗ったのは自分の服だ。自分の服を優先したというより、洗った後にできるだけ乾かすためである。同じ生乾きでもましにしたいのだ。自分の服を洗って近くにある洗濯紐で広げる。後は同じ要領で延々と古着を洗濯していけば良い。


「けど、この洗濯って、いつやっても、きついですね」


「まぁね。けど、いつもやってりゃ、そのうち、慣れるさ」


「そうそう! 洗濯、するときは、ここに、来られるから、おしゃべりも、できるし」


「まったく。体は、きついけど、心は軽く、なるのよ」


「でも最近、腰が痛く、なってきた、のよねぇ」


 ユウが声を上げると女たちは話を合わせてきた。洗濯をしながらなので言葉が不自然に切れることもあるが、みんな同じなので誰も気にしない。他愛ない雑談をして重労働の気を紛らわせるのだ。


 こうしてユウは井戸端で古着を1着ずつ洗っていった。特にこなす古着の数は定められていないが、入れ替わる女たちの顔ぶれから五の刻の鐘が鳴り終わってしばらくくらいまで続ける。


 洗濯が終わるとユウは洗い終わった古着を洗濯たらいに入れて持って帰った。生乾きの服に着替えると微妙に不快だ。しかしそれでも、暖かくなった最近はかなりましだった。

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