探索の合間の日常(前)

 終わりなき魔窟エンドレスダンジョンは稼げる魔窟ダンジョンだ。そのため、多くの冒険者が熱心に探索をする。それは冒険者自身にとっても町にとっても良いことだ。しかし、延々と活動することはできない。


 大きな手ビッグハンズの面々もそれは理解しているので適度に休養日を設けていた。特に2階で安定して稼げるようになってからはしっかりと休むようにしている。


 今日はその休養日だ。宿屋『大鷲の宿り木亭』で借りている部屋の寝台で4人は寝ていた。寝台は2人用なのでケネスとジュード、ユウとハリソンに分かれて眠っている。


 一の刻の鐘の音が町中から漏れてきた。それと同時に城外神殿からも鐘の音が響く。真夜中に鳴らす意味は一見ないように思えるが、一部の早朝から仕事に就く人々にとっては重要な目覚ましの鐘なのだ。


 この鐘の音で最近のユウは毎日目を覚ましている。暗闇の中で寝台から離れると定位置にある麻袋を持って部屋を出た。階段のある場所にある燭台の蝋燭ろうそくはまだ灯されていない。


 1階に降りたユウは裏手に回って用を足す場所に出る。ここの蝋燭は小さな明かりで周りを照らしていた。その誰もいないその場で麻袋の口を広げる。中から取り出した槌矛メイス短剣ショートソードを腰に付け、松明たいまつ用の棒にぼろ布を巻き付けて油をひたし、蝋燭の火で灯した。後は麻袋も腰に付けて準備完了である。


「よし、行こう」


 用を足す場所を通り過ぎ、勝手口を開けて裏路地に出たユウは北に向かって走り始めた。


 松明を用意する目処が立って以来、ユウは早朝の走り込みを再開している。生活が安定したので体を鍛えることにしたのだ。


 宿屋『大鷲の宿り木亭』を出発したユウは冒険者の宿屋街の北側に出た後、その街の縁に沿って西から南に走る。冒険者の歓楽街をそのまま通り過ぎると貧民街に出くわすが、これもやはりその縁に沿って更に西へ進み、やがて南へと向かう。ここからは初めてアディの町に来たときと同じだ。そのまま貧民街に沿って東へと向きを変え、宝物の街道に出ると北上して貧民の道に入り、そうして冒険者ギルド城外支所まで進んで西へ曲がって少し走れば1周である。体感で3オリックといったところだ。これを2周する。


 走り込みから戻って来ると、ユウは宿の裏路地に松明を立てかけ、麻袋を地面に置いた。それから槌矛メイス、次いで短剣ショートソードの鍛錬を始め、これを2つ合わせて砂時計1回分こなす。


 これらの鍛錬をユウは毎日こなしていた。魔窟ダンジョンに入る日は緩めの鍛錬にしているが、それでも欠かすことはない。


 終わると部屋に戻るわけだが、この頃になると1階の受付カウンターには女宿主のアラーナが座っている。


「おはようございます」


「あんたは毎日まじめだねぇ。他の連中でそんな修行してる奴なんて見たことないよ」


「はは。それでも敵わない人は多いですけれどね」


「ま、そうやってまじめにしてりゃ、いつか何とかなるもんさ。はい、これが桶だよ」


「ありがとうございます」


 銅貨1枚を受付カウンターに置いたユウは水の入った桶を受け取った。体を拭くためのものだ。休養日のみこれをもらい、用を足す場所に戻ってぼろい手拭いを濡らして体を拭く。部屋はまだ仲間が眠っており、更に真っ暗なのでここしか場所がないのだ。


 すっきりとして部屋に戻ったユウは道具を机の上に置いて寝台で横になる。魔窟ダンジョンに入る日ならば二の刻の鐘が鳴る頃まで、休養日なら三の刻の鐘までだ。


 いつものユウなら二度寝の後に起きて準備を済ませ、魔窟ダンジョンに行くなり冒険者ギルドへ行くなりするのだがこの日は少し違った。


 朝食を食べ終わったユウはジュードに呼ばれる。


「ユウ、そろそろ行こうか」


「他のみんなは?」


「頼むぜ! できるだけ安くしてくれよ!」


「カネの交渉は任せた」


 仲間の返事を聞いたユウはジュードに続いて部屋を出た。そのまま1階まで降りて受付カウンターの女宿主へと近づく。


 魔窟ダンジョンへ入る冒険者たちの出発は一段落ついていたので周囲は静かだった。喧騒は宿の外の路地から聞こえるのみだ。


 受付カウンターの前に立ったユウとジュードはアラーナから声をかけられる。


「おはよう。珍しい2人組だね。何の用だい?」


「部屋の契約が今日で切れるから更新したいんだ」


 ジュードが用件を伝えるとアラーナの雰囲気が微妙に変化した。ユウはそれを知っている。商売人が交渉するときの気配だ。もう何年も前のことなので懐かしく思う。


「毎度。また10日間かい? だったら前と同じになるけど」


「いや、1ヵ月借りたいんだ」


「へぇ、本気で気に入ってくれたのかい。嬉しいねぇ。そうなると、4人部屋だったから1ヵ月だと銅貨84枚だね。稼いでるあんたらには銀貨4枚と銅貨4枚と言った方がいいかしら?」


「別にどちらでもいい。それで、それを少し安くしてもらえないか?」


「そりゃまたどうして? ボッタクってない普通の値段だよ」


「それはわかってるが、こういうのは長く使うと安くなるものだろう?」


「そういうところもあるかもねぇ」


 女宿主は余裕の態度ではぐらかした。笑顔で言い返してくる。


 一方、ジュードは何とか安くならないかと頑張るが交渉の突破口を見つけられない。後でユウが聞いた話によると、こういう商売人との交渉はケネス共々うまくないそうだ。冒険者との交渉ならできるのだそうだが。


 ともかく、ユウから見てうまいやり方だとは思わなかった。あまりにも真正面過ぎるのだ。あるいは具体的な事例を出さないと相手は応じてくれない。


 その後もジュードは頑張ったが値下げできないで終わった。大きくうなだれてため息をつく。


「ユウ、やっぱり俺には無理だった。後は頼む」


「わかった」


「へぇ、今度はあんたが話をするのかい? いいわよ」


「アラーナさん、今朝は水をありがとうございます。おかげで今日もさっぱりしました」


「そりゃ良かったね。きれいになることはいいことさ」


「はい、本当は毎日体を拭きたいくらいですけどね」


「あたしは別に構わないよ。代金さえしっかり払ってくれるんなら毎日用意するとも」


「あはは、ありがとうございます。で、いつも裏の場所に行って体を拭くんですけれども、たまに他の人に会うんですよね」


「そりゃそうさ。あそこは毎日必ず1度は使う裏の社交場だからね。ちょいと臭いがきついけどさ」


「ええまったく。それで、やって来た人と話をすることがあるんです。魔窟ダンジョンのこと、魔物のこと、酒場のこと、他にも宿屋のことも話しましたよ」


「おや、そいつは気になるねぇ」


「とはいっても世間話程度ですよ。魔窟ダンジョンのどこで苦労したとか、魔物との戦い方とか、どこの酒場のお酒が薄いとか、あとはどこの宿屋の寝台が寝やすかったかとかですね」


「へぇ、そうなのかい。うちの宿のことも何か言ってたのなら知りたいね」


「何人かの人が言っていましたよ。部屋がきれいだとか、魔窟ダンジョンから割と近くて便利だとか、相談したら割と融通を利かせてくれるとか」


「他にも何かあるかい?」


「うーん、あ、そうだ! 部屋を長く借りたら少し安くしてくれるって聞きましたよ!」


 わざとらしく目を輝かせたユウを見たアラーナが苦笑いした。隣でジュードが半ば呆然としている。


「あんた、本当に冒険者かい? まるであたしらみたいじゃないか」


「もう何年も前になりますけど、町の中の商店で働いていたことがあるんですよ」


「なぁんだ、そうだったのかい。どうりで商売人くさいわけさね」


 理由を聞いたアラーナが大きくため息をついた。同時にすっきりした表情を見せる。


「さて、それじゃ値段交渉に入ろうじゃないか」


「ああそれなんですけど、1ヵ月で銅貨80枚にしてください」


「おや、交渉はしないのかい?」


「正直に言うと、交渉のための札がこちらには乏しいんですよ。それに、契約するのは1ヵ月ですから、また機会はあるでしょう?」


「なんだか商売人みたいで、そうでもないじゃないか。よくわからなくなったよ」


「僕は今、冒険者ですから」


「そうかい。それじゃ、1ヵ月銅貨80枚で交渉成立でいいんだね」


「はい。ジュードもいいよね」


「本音を言うともうちょっと安くなればと思うんだが、ユウがそれでいいんなら構わない」


「なら決まりだね。払っておくれ」


 女宿主の催促に従ってユウが全額を支払った。その直後にジュードがユウに自分の分を渡す。残りは部屋に戻ってから回収だ。


 用を済ませた2人は部屋に戻るため階段を登った。その途中でユウがジュードに声をかける。


「さっきみたいにやったら値下げ交渉はできるけど、今度やってみる?」


「いや、今後は全部ユウに任せる。俺では話にならない」


「そうかなぁ」


 言われたユウは首を傾げた。2年程度勤めただけで身につく話術だと説明したが、ジュードは聞く耳を持ってくれない。


 2人のそのやり取りは部屋に着くまで続いた。

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