酒場での喧嘩(前)

 魔窟ダンジョンで活動する冒険者はその身を危険に曝すため、心身共に疲れ果てるものだ。このような者たちが癒やしとして求めるものは昔から酒と女と博打と相場が決まっている。そのため、冒険者の歓楽街にはそのすべてが揃っていた。


 大きな手ビッグハンズの面々もそれらを適度に使っている。賭博場こそかつてハリソンが何度か使った程度だが、娼館はケネスとジュードがたまに使っているし、酒場は全員が毎日通っていた。


 この日もユウたち4人は魔窟ダンジョンから帰還すると酒場で1日の疲れを癒やす。ただし、この日は行きつけの店ではなく、以前ハリソンが利用していた酒場だ。


 酒と料理を注文すると、ハリソン以外の3人が店内で顔を巡らせる。


「なかなか渋い店じゃねぇか。いい所に通ってたんだな、ハリソン」


「そうだろう。この店は2階で活動する冒険者でも、貧民街出身の奴らがよく集まるところなんだ。だからオレみたいなのには居心地がいいんだよ」


「なるほどねぇ。ということは、いつも行ってる店はそれほどでもねぇってわけか」


「あそこはあそこでいいんだが、やっぱり周りに似たような連中がいると落ち着くからな」


 給仕女が運んできた木製のジョッキを手にしたハリソンが口を付けた。それに続いて喋っていたケネスも木製のジョッキを傾ける。うまそうに喉を鳴らした。


 同じくエールを飲んだジュードがハリソンに話しかける。


「ケネスが行きたいってせがむから悪いなとは思っていたが、これは来て正解だったな」


「そう言ってもらえるのは嬉しいね」


「たまにこっちの店に寄るのもありじゃないか?」


 運ばれてきた肉料理に手を出したジュードが機嫌良くそれにかぶりついた。溢れる肉汁で唇を濡らしながらうまそうに噛む。


 その隣でユウも酒と料理を楽しんでいた。いつもの店よりもやや味が薄いが気になるほどではない。


 良い店を紹介してもらえたとユウたちが喜んでいると、灰色がかった金髪の目つきの悪い青年が近づいて来た。一目見て柄が悪いその男はハリソンの横に立つ。


「よぉ、ハリソンじゃねぇか。最近見かけねぇと思ってたが、もう新しい仲間ツレを見つけて魔窟ダンジョンに入ってんのかよ」


「ガスか。ああそうだよ。オレだって稼がないといけないからな」


「そりゃそうだ! しかし、見ない顔の連中とツルんでんだな。前の生き残りはどうしたんだ?」


「みんなばらばらに他のパーティに入ったよ。それがどうしたんだ?」


「あーそだった! 他の連中は知り合いに誘われたんだったよな。まぁ、あいつらなかなか頼りになるからなぁ。他の連中が誘うのもわかるってもんだ。で、てめぇは知り合いに誘ってもらえたのか?」


 ガスと呼ばれた男がにやにやと笑いながらハリソンに問いかけた。明らかに答えを知っている顔だ。一方のハリソンは渋い顔をしている。


 大きな手ビッグハンズの他の3人は完全に置いてけぼりだ。そもそもガスという男はハリソンにだけ用があるらしく、ユウたち3人には目もくれていない。


 それでも、ハリソンに嫌味を言っていることは誰の目にも明らかだった。ユウたち3人は急に不快な思いをさせられて不機嫌になる。


 更にそこへガスの仲間が1人やって来た。卑屈そうな表情を浮かべた顔の青年だ。ガスと同じ雰囲気の不良少年がそのまま大人になったような男である。


「ガス、何やってんだよ? あれ、ハリソンじゃん! 久しぶりに見たなぁ。ちゃんとパーティに入れてもらえたんだ。余ってたもんなぁ、お前だけ。ははは!」


「入れたんだからもういいだろう」


「ああそうだとも! よそモンに拾ってもらえただけでもマシってもんだ。だからあんまり言ってやるな、アダム」


「えー? あーうん。まぁしょうがねぇなぁ」


 更に何か言いかけていたアダムと呼ばれた男は気勢を削がれたように答えた。その隣でガスがにやにやと笑っている。一方的に言われているハリソンは黙ったままだ。


 そんな中に木製のジョッキをテーブルに置いたケネスが口を挟む。


「ガスって言ったか? あんたのテーブルはここじゃねぇだろ、早く戻れよ」


「よそモンは黙ってろ」


「鬱陶しいから消えろっつってんだよ。わかんねぇのか、バカが」


「あ?」


 直接的な挑発にガスがケネスへと顔を向けた。先程までの笑顔はなく、眉をひそめて睨む。悪い目つきも相まって迫力があった。


 しかし、その眼光にまったく怯むことなくケネスは相手に目を向ける。


「酔っ払って自分が何をしてんのかわかんなくなるときはオレにだってある。だから、今さっきてめぇが言ったことは見逃してやるから自分のテーブルに戻れよ」


「てめぇ、よそモンのくせにさっきからナメたこと言うじゃねぇか」


「冒険者になってもまだそんなこと言ってんのか? 地元の店ならまだしも、あっちこっちに流れるのが珍しくねぇ冒険者によそモンも何もねぇだろ。それとも何か? てめぇはパーティ以外でも群れなきゃなんにもできねぇのか?」


 呆れた顔のケネスに言い放たれたガスは目を剥いた。全身を震わせて睨み返す。


 いつの間にか店内は静かになっていた。誰もがケネスとガスのやり取りを見ている。その顔は不審そうなものだったり興味深そうなものだったりと様々だ。


 ケネスの隣に座っているジュードは小さくため息をついた。ユウもその気持ちは少しだけ理解できる。ハリソンは目を見開いてケネスを見ていた。


 店内にほとんど音がしなくなってしばらく後、ガスの口から怒りが漏れる。


「表に出ろ。ブッ殺してやる!」


「言い返せねぇから殴って解決ってか。はは、まぁいいや。受けて立ってやるよ」


 楽しそうに笑いながらケネスが立ち上がった。すると、一斉に周囲が沸き立つ。ケネスとガスはその中を通って店の外へ出た。


 ユウたち3人は放っておくわけにもいかず、ケネスたちの後をついて店を出る。ガスのパーティメンバーらしいアダムたち5人も同様だ。


 店内の他の客も次々に外へと出てきた。更には周辺の通行人も集まりだしたので、店の表である路地はほとんど通れなくなる。


 大きな手ビッグハンズの面々は宿を変えてからは、魔窟ダンジョンから出ると一旦宿の部屋に戻って装備を外してから酒場へと繰り出していた。できるだけ身軽でいたいのと帰ったらすぐに眠れるようにである。そのため、今のケネスは鎧を身につけておらず、わずかにダガーとナイフを腰に吊すのみだ。


 一方のガスも同じく鎧は身につけておらず、腰にナイフがあるのみだった。


 周囲が囃し立てる中、ガスが地面につばを吐いて口を開く。


「前からてめぇ見たいなよそモンにゃむかついてたんだ。ここらで叩きのめして、この街ででかいツラができるのはオレたち地元の男だってはっきりと示してやる!」


「パーティメンバーをバカにされて黙ってちゃリーダーなんてやってられねぇんだ。よそだ地元だって田舎根性丸出しのバカはきっちりと躾けてやるぜ」


 お互いに口上を述べると拳を構えた。周りの野次馬が一層盛り上がる。


 ケネスの背後から対峙している2人を見るユウは不安でいっぱいだった。勝っても負けても良いことがないようにしか見えない。思わずジュードに顔を向ける。


「ねぇ、これ止めなくてもいいの?」


「止めるんだったら店内のうちだったな。ケネスも最初からやる気だったみたいだし、恐らく止められなかっただろうが」


「ハリソン、なんであのガスって人はわざわざあんなことを言いに来たの?」


「昔からあいつはあんなヤツだったんだ。人よりも優位でないと気が済まない性格でな、いつも周りを見下していたんだよ」


「そんな人がよくパーティなんて組めたね」


「腕っ節は強かったからな。それでついていくヤツも割といたんだ。結局似たようなどうしようもないヤツらと組んで冒険者になったのさ」


 話をしている間に殴り合いが始まった。先に殴りかかったのはケネスだ。様子見の軽い一撃を左拳で放つ。それを躱したガスが懐に潜り混んで殴ろうとした。


 ここからは拳の応酬だ。お互い至近距離で拳を何度も打ち、そのすべてを躱していく。


 野次馬たちは大喜びだ。一部では賭けも行われているようで、声援の送り方が他よりも熱心な者たちもいる。


 両者の実力は伯仲しているようでなかなか1発が当たらない。たまに離れて様子を見ては再び殴り合う。


 端から見るといつまでも続きそうな殴り合いだったが終わりはあっけなかった。ケネスの横殴りした右拳がガスの顎に当たったのだ。それで一瞬にしてガスが地面に倒れる。


 周りの野次馬たちから悲鳴と雄叫びが上がった。歓声と罵声が飛び交う。ケネスが両腕を上げると一層大きくなった。


 その様子を見ていたユウはケネスが無事でとりあえず安心する。ところが、相手側のパーティメンバーを見て雲行きが怪しいことを知った。引き下がる気配がないのだ。


 この先何があるのかとユウは表情を曇らせた。

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