やりたいこと、やるべきこと

 製薬工房でのやり取りで憔悴したユウは新しい拠点である宿屋『大鷲の宿り木亭』に戻った。石造りの3階建ての建物に入ると受付カウンターの奥で座る女宿主に声をかける。


「あの、えーっと、あれ? まだ名前を聞いていませんでしたよね?」


「アラーナだよ。あんたは大きな手ビッグハンズのユウだったね。何の用だい?」


「僕たちの部屋の鍵をください。それとも誰か部屋にいますか?」


「みんな出払ってるね。はい、これがあんたの部屋の鍵だよ」


「ありがとうございます」


「きれいに使っておくれよ。汚されると後が面倒なんでね」


 女宿主の声を背中に受けながらユウは階段を登った。


 3階の自室にたどり着いたユウは鍵で錠前を開けると中に入る。まだ契約を結んだ直後なのでまったく汚れていない。しかし、他のメンバーの荷物は置いてあった。


 その様子を見てユウは目を見開く。


「そうか、これからは荷物を全部持って魔窟ダンジョンに入らなくてもいいんだ」


 今までは安宿の大部屋で泊まっていたのでどこに行くにも所持品はすべて持っていく必要があった。でないと盗られてしまうからだ。しかし、この4人部屋は違う。扉に錠前があるので他人が入ることはできないのだ。


 仲間まで疑い始めるときりがなくなってしまうのでそこは信じるが、そうなるとこの部屋というのは単なる宿泊施設というだけでない。荷物の保管庫という側面もあることにユウは気付いた。


「ああ、そう考えると、1泊の料金もそこまで高いわけじゃないのか」


 荷物の保管にだって費用がかかるのは常識だ。となると、実はここに移って大正解なのではとさえ思えてくる。


 気持ちが上向きになったユウは備え付けの机の隣に背嚢はいのうを置くと丸椅子に座った。まずは魔窟ダンジョンでの活動で不要な道具を机に並べてゆく。


「万華鏡、冒険者の証明板、あいやこれは持っていないと駄目か。人身売買契約書、ああこんなのもあったなぁ。刃物研ぎ道具一式、裁縫道具、料理道具はいらないっと。火口箱と松明たいまつ関係の道具もいらないな」


 1つずつ道具を手に取って確認しながら、ユウは必要な物と不要な物をより分けていった。使わないがかさばる物が机の上に増えていく。それから3つの麻袋に分けて入れた。料理道具、松明関係の道具、そしてその他の道具である。


 すっかり軽くなった背嚢をユウは持ち上げた。かさばる物がなくなったので更に小さい。背負ってみるとかなり動きやすくなっていた。すっかり機嫌が良くなる。


「うわぁ、これはいいな。戦うときも楽に動き回れそう。あ、でも麻袋がなくなっちゃったな。買わないと」


 新たに不足した道具のことを考えながらユウはしばらく使わない物を入れた麻袋を机の脇に置いた。そこでふと麻袋から突き出た松明の先端部分に目が向く。


 何か思い出しそうで思い出せない。もどかしい思いが胸中をかき混ぜる。そのままじっと松明の棒を眺めているとやがてユウは声を上げる。


「そうだ、長らく朝の走り込みをしていなかったんだ! 最近は落ち着いてきたんだし、再開してもいいかな。ああでも、ぼろ布がなかったんだっけ」


 最後の1切れを手拭いの製作に使ったことをユウは思いだした。そして、この街だとぼろ布の値段でも高いことを思い出す。貧民の市場で買うにしても1レテム四方で銅貨2枚はするのだ。分割して使うにしても毎日使うとなるとその費用も馬鹿にならない。


 しばらく考えても結論が出なかったユウは店で相談することに決めた。丸椅子から立ち上がると背嚢を背負って扉を施錠し、鍵をアラーナに返して宿を出る。


 最初に向かったのは細工工房『器用な小人』だ。アディの町に来た当初はよく出入りしていたが最近は遠ざかっていた工房である。


 何となく寂れた石造りの平屋に入ったユウは室内を見て変わっていないことを知った。それから奥の作業場で仕事をしているやや禿げかかった小太りの親方に声をかける。


「オリヴァーさん、麻袋をくださーい!」


「誰かと思ったらユウじゃないか。久しぶりだな。で、麻袋が欲しいって?」


「3袋ください。足りなくなったんです」


「たくさん買ってくれる分には文句はないよ。銅貨1枚と鉄貨80枚だ。羊皮紙はいらないのか?」


「あれはまだあるんでいいです。前にたくさん買いすぎましたから」


「はは、今度もたくさん買いすぎてくれよ!」


 貨幣を手渡したユウはオリヴァーから麻袋を3袋受け取った。それを背嚢に入れながら別のことを問いかける。


「そういえば、あの下敷きって売れているんですか?」


「じわりじわりと売れてきてるぞ。知り合いから便利だって聞いた奴も買いに来るんだ」


「へぇ、いい感じじゃないですか」


「そうなんだ! このまま更に広がってくれたら言うことはないね」


 手応えを感じている様子のオリヴァーが嬉しそうに語った。発案したユウとしても幸せな気持ちになる。


 しばらく雑談をしてから機嫌良く工房を出たユウは次の場所に向かった。しばらく歩いてぱっとしない裁縫工房『母の手縫い』へと入る。工房内には棚に衣服が置いてあり、壁に外套などが掛けられていた。そして、子供が縦横無尽に走り回っている。


「おかーちゃーん、おきゃくさんがきたよー!」


「あっちいって遊んでな! はい、いらっしゃい! あら、以前見かけた顔だね」


「ユウです。ベリンダさんでしたよね」


「覚えていてくれたのかい。嬉しいじゃないか」


 恰幅の良い体にチュニックワンピースとエプロンを身につけた女が椅子から立ち上がってユウの前にやって来た。灰色の頭巾から覗くやや丸い顔が笑顔を浮かべている。


「で、何の用だい?」


「ぼろ布の値段っていくらでしたっけ?」


「あれなら1レテム四方あたり銅貨5枚だね。買っていくのかい?」


「買いたいんですけど、これってもっと安くなりません?」


「うーん、うちは安売りはしてないんだよねぇ」


「ぼろ布だって使い道はあるでしょうけど、あんまり必要とされる物じゃないだろうから倉庫にたくさん余っていませんか?」


「使い道って、例えばどんなことを考えているのさ?」


「服の綻びに裏当てしたり、手拭いや雑巾にしたり、何かの汚れを拭き取ったり、くらいですか。他にはぱっと思い付かないですけど」


「他にも詰め物に使ったり、日差しを遮るのに使ったり、敷物に使ったりもしてるんだよ。確かに服の布としては使えないけど、他にも色々と使い道はあるもんさ。だから、在庫はいくらあっても困らないんだよ」


 自分の知っている知識で交渉してみたユウはさすがに専門の職人には敵わなかった。浅はかだったと言えばそれまでだが、値引き交渉の挑戦は失敗しつつある。


「あんたはそんなに貧乏そうに見えないからぼろ布を買うくらいのお金は持っていそうなんだけどねぇ。それとも、大量に買うのかい? だったら多少は値引いてもいいけど」


「実は、松明の火を点ける部分に使うんです。それで、大体毎日使うから割とたくさん必要なんですよ。ただ、1度に大量に買うわけでもないのでどうしたものかと思って」


「ぼろ布を燃やすのかい。そりゃまた贅沢な使い方をするじゃないか。でもそれなら使い捨ての松明を買った方がいいんじゃないかい? この辺の工房街で買っても銅貨1枚だったはずだよ」


「あんまりたくさん宿に松明ばかり置くわけにはいかないですし、以前いた所だと1レテム四方で鉄貨60枚だったんで、そのくらいで買えたらなって思ったんです」


「布が余って仕方ない町だったのかい、そこは。さすがにそこまで値下げはできないねぇ。ああそうだ、1度にどのくらい買ってくれるんだい?」


「月に7枚か8枚くらいのつもりでいますから、1度に2枚くらいになるのかな?」


「また困った数だねぇ。ああそうだ! だったらこうしようじゃないか。古着も取り扱ってるんだけど、引き取った古着の洗濯をしてほしいんだ。これがまた結構手間でね。いつも誰かが代わりにしてくれないもんかって思っていたんだよ。毎回来る度にこの洗濯をしてくれたらぼろ布を2枚お駄賃代わりにあげようじゃないか」


「洗濯物ってそんなに多いんですか?」


「結構あるよ。それに、そもそも洗濯自体が重労働だからね」


「わかりました、やります」


 まだ貧乏癖が抜けないユウは即答した。かつては自分の服を洗濯したことがあったので何とかなると思っていたのである。更にはこれも鍛錬の一環だと思うと悪くない案に感じられたのだ。


 しかし、実際に洗い場に案内されたユウはその服の数に目を剥き、実際の作業の大変さに目を回した。さすがに1度に全部の服は洗いきれなかったが残りは後日ということになる。洗い方の筋が良いとベリンダに褒められたのが唯一の慰めだ。


 六の刻の鐘が鳴る頃、約束のぼろ布を手にしたユウはふらつきながら工房を後にした。

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