安かろう悪かろうにも限度はある

 貧民の工房街の中を歩き回ったユウはかなり疲れていた。工房にも良し悪しがあるという忠告を胸に色々と中を覗いていたのだ。


 確かに工房にも色々とあった。誠実に対応してくれる所に尊大な対応をしてくる所、よく手入れされている品物や状態の良くない品物、そして値段の差といくつも見比べて良さそうな工房を見極めていく。その結果、通っても良さそうな工房を一通り見繕えた。


 しかし、品物はあまり買わなかった。とりあえず必須の消耗品などをいくつか手に入れただけである。主な原因は値段だ。どうしても故郷の値段と比べてしまう。良くない傾向だとは理解していてもまだ感情が追いつかない。


 朱に染まる空の下、冒険者の道を北に向かって歩きながらユウは独りごちる。


「それに、魔窟ダンジョンにまだ入ったことないからなぁ」


 先日まで入っていた遺跡とはまた違う場所なので何を揃えるべきなのかはっきりわからないのだ。一応ウィンストンから助言は受けているが、とりあえず魔窟ダンジョンに入って浅い場所を回ってから買おうと思っている道具もいくつかある。


 冷たい風に曝されたユウは寒そうに手をこすって冒険者の歓楽街の路地に入った。空腹を満たし、体を温められる場所を探す。


 ふらふらと歩いていたユウは武具などの装備があまり調っていない冒険者の姿を目で追った。たまに路地から店の中を覗いてそういった者たちがいるか確認する。


「ここがいいかな」


 自分の懐事情に合った店を探していたユウはとある安酒場に入った。どこにでもあるような石造りの平屋だ。中は活気があり、同時に温かい。


 背嚢はいのうを背から下ろしてカウンター席に座ると給仕女が寄ってくる。


「いらっしゃい、何にする?」


「エールと黒パン2つと肉入りスープで」


「残念、肉入りスープはうちにないわ。スープと肉の盛り合わせならあるけど」


「それじゃ、黒パン3つにスープで」


「ありがと。鉄貨115枚よ。銅貨1枚に鉄貨15枚でもいいけど?」


 この忙しいときに大量の硬貨を持つのは嫌だと給仕女は言ってきた。


 気持ちはわかるユウは疲れた笑いを顔に浮かべながらその要望に応えて支払う。機嫌良く去る給仕女を見送ると大きなあくびを1つした。


 日没前なので空きテーブルが目立つがそれでも半分以上の席が埋まっていると騒がしい。何も考えずにぼんやりと待っているユウの耳に周りの声が自然と入ってくる。まだ若い冒険者たちばかりなので威勢が良かった。これからの夢を語っている者もいる。


「はいおまたせ。おいしいわよ」


 すました顔の給仕女が注文の品を持ってきた。エールの入った木製のジョッキ、黒パン3つが乗せられた平皿、それにスープの入った深皿だ。


 昨日の夕飯を思い出したユウは今度こそと期待して木製のジョッキを傾けた。口の中に広がり、舌で感じる液体に頬が緩む。


「そうそう、これだよ。こういうのが飲みたかったんだ」


 ようやく待ち望んだものを口にできたユウが喜んだ。


 確かに高い物ほど質は良くなるし、安い物ほど質は悪くなる。そういう意味では貧民の歓楽街のあの味は妥当なのかもしれない。しかし、いくらユウでも限度はあるのだ。


 エールが期待通りだったことに気を良くしたユウは黒パンを手に取る。昨日の店よりも大きい。これが普通なのだ。ちぎって口に入れる。


「うん、こんなものだね。なるほど、この味が僕にとっての限界なんだ」


 自分にとっての下限が見えたユウはそう結論づけた。そのまま木の匙を手に取ってスープを掬う。口にして何度もうなずいた。


 安心したユウは料理を目の前にして本格的に食べ始める。水と干し肉とは違い、食事を楽しめた。


 店内のテーブルがほぼ埋まった頃、ユウは食事を終えた。久しぶりに満足な食事ができてすっかりご満悦だ。


 そんなユウの席へ先程の給仕女がやって来る。


「ねぇ、食器を片付けていいかしら?」


「いいですよ。あ、そうだ。10食分の干し肉と4日分の水をください」


「いいわよ。全部で銅貨6枚と鉄貨20枚ね。水袋はあるの?」


「ありますよ。はい、これです」


「ありがと。後で持ってくるから少し待ってて。今他の注文が集中しちゃってるのよ」


 返事を待たずに給仕女はカウンター席から離れた。食器を持って店の奥へと姿を消す。


 やることもないユウはしばらくその様子を目で追いかけた。店の奥から出てきた給仕女は料理の皿と木製のジョッキをいくつも持ってあちこちのテーブルを回っている。忙しいのは本当らしいことを知った。


 給仕女は単に注文の品を運ぶだけではない。新たに客の注文を受け、開いてる皿やジョッキを回収して回っている。そうして店の奥に戻ってはまた料理を運ぶのだ。それを延々と繰り返している。


 すっかり他の客たちにかかりきりとなっている給仕女の様子にユウは時間がかかることを覚悟した。幸い、この後に予定はない。腹が落ち着くまで待つことに問題はなかった。


 そう思って悠長に構えていたユウだったが、次に店の奥から出てきた給仕女が自分へと向かってきたことに目を見開いた。呆然としていると声をかけられる。


「はいお待たせ。どうしたの?」


「え、いや、ありがとう。もっと時間がかかるかと思ってたんですよ」


「品物さえ用意できていたらすぐに持ってきてあげるわよ。それじゃ」


 水袋と干し肉をユウの前のカウンターに置いた給仕女はすぐに別のテーブルへと向かった。かき入れ時に入っているので忙しいことこの上ない様子だ。


 受け取った水袋と干し肉を背嚢にしまったユウはそのまま担いで店を出る。路地の風は冬らしく寒い。


 身を震わせながらユウは一旦冒険者の道に出てから北に向かう。そのまま路地を北に向かっても冒険者の宿屋街にたどり着くが、昨日の出来事を思い出して遠回りしたのだ。意味もなく恥ずかしい思いはしたくないのである。


 町の西門に続く枝分かれの道を通り過ぎると冒険者の道沿いの西側は宿屋街に変わった。歓楽街とは違ってかなり落ち着いた雰囲気だ。


 しばらく北に歩いていたユウは適当な所で曲がって路地に入る。今夜の宿を決めなければいけない。


「う~ん、どうしようかな。あ、ここにしようか」


 壁に掲げられた松明たいまつと軒下からぶら下げられた角灯ランタンの明かりで照らされた路地からユウは1軒の安宿に目を向けた。特徴のない石造りの平屋だ。しかし、傷んでいないだけ好感が持てる。


 中には真面目そうな男がカウンターの奥にある席に座っていた。ユウを見かけると声をかけてくる。


「いらっしゃい。泊まりますか?」


「はい。1泊いくらですか?」


「鉄貨40枚です。毛布はそっちから1枚取ってください。明日、出るときに向こうへ置いてくれたらいいですから」


「わかりました。それと、ここって体を拭く水と手拭いはありますか?」


「ないですね。必要でしたら他を当たってください」


「そうですか。はい、お代です」


 いささか気落ちしたユウは真面目そうな男に料金を支払った。そのまま毛布を1枚取ると大部屋に入る。中は角灯ランタンの明かりで薄暗い。


 3人乗りの寝台は既にどこも誰かが腰をかけたり横たわったりしていた。空きのある寝台はあまりない。


 1人だけしかまだ人がいない寝台を見つけるとユウはそこに腰掛けた。背中から下ろした背嚢を床に置く。


「はぁ、やっと落ち着けた」


 ようやく腰を落ち着けたユウは大きく息を吐き出した。しばらくぼんやりとしていたが周囲がうるさい。顔を巡らせると誰もが誰かと話をしていた。恐らく仲間とだろう。今日の出来事や知り合いの噂などいくつもの話が折り重なって耳に入ってきた。


 この日はもうやることのないユウだったが大部屋内がこれでは眠れそうになかった。横になっているだけでも構わなかったが、できれば暇つぶしでもしていたいと考える。


 どうしたものかと首を傾げていたユウは1つやることを思い出した。背嚢の中から松明の棒に取り付ける布と裁縫道具を取り出す。


「そうだ、手拭いもなくなったんだっけ。1つ作っておかないとね」


 数日前に遺跡で失った物の1つだ。そのときのことを思い出したユウは少し顔をしかめるが首を横に振って息を整える。


 手拭いのようなちょっとした物は使えなくなった古着を切り取るなどして作れた。布自体が貴重なのでこうやって作られることが多い。なので、ユウも手持ちのぼろ布で作ることにしたのだ。


 多少歪な長方形のぼろ布を折り畳んで大きさを調整し、ユウはその端を針と糸で縫い始める。大部屋内は薄暗いので見づらいができないことはない。


 集中するほどに周囲の喧騒が聞こえなくなったユウはひたすらぼろ布を縫っていった。時間はかかったものの、丁寧に仕上げたそれは一応手拭いらしく見える。かなりぼろいが。


 それでもユウはできあがった手拭いを見て満面の笑みを浮かべた。

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