人が生きていけない場所

 尻餅をついたままのユウは目の前に開いた大きな穴を呆然と見ていた。大きさは目測で3レテム程度である。四つん這いで松明たいまつをかざしながら穴を覗いたが底は見えない。下の方で何かが動いているようだがそれが何かはわからなかった。


 落ちたブレントに声をかけようとしたユウは対岸の奥から悲鳴が上がったのを耳にする。四つん這いのまま顔を上げると、更に戦士団の1人が盲目鰐ブラインドガビアルに飲み込まれつつあった。それで今何と対峙しているのか全員思い出す。


 既に最後の1人となった配下の戦士とリカルドは共に魔物を押さえようと前に出ていた。そして、顔を向けずに声を上げる。


「ホレス、前に出ろ! このままだとみんな食われてしまうぞ!」


「いやだ! オレはまだ死にたくねぇ!」


「ちっ、くそが! バレリアノ様、早く魔法を!」


「わ、わかっておるわい! 我が下に集いし魔力よ、速き風となり、鋭き、ぎゃっ!?」


 凍り付いていたバレリアノが慌てて呪文を唱え始めたが、天井から降りかかってきた液体を顔面に浴びて悶絶した。


 異変を察知したリカルドが振り向いて愕然とした表情を浮かべる。


「バレリアノ様!? 何が!? 毒守宮ポイゾナスゲッコウだと!?」


 天井に目を向けたリカルドはそこに張り付いているものに目を剥いた。大人の腕の長さほどの大きさで全身白っぽい小さな鱗に覆われた胴体の魔物だ。尻尾が長く手足の指先が丸く大きい。そんな魔物の体の割に大きな頭がバレリアノに向けられている。


 両手で顔をかきむしり、悲鳴を上げて転げ回るバレリアノにリカルドが駆け寄った。腰の水袋で魔術師の顔に付いた何かを洗い流そうとする。


「バレリアノ様、しばしのご辛抱を!」


「ああああ痛いいいぃぃぃ! 顔が焼けるぅぅぅ!」


「ホレス、盲目鰐ブラインドガビアル毒守宮ポイゾナスゲッコウを牽制しろ! このままだと本当に全滅するぞ!」


「ひぅ、ああ」


 リカルドが怒鳴るがホレスはもはや震えるばかりだった。荒い息を小刻みに繰り返す。


 その間にも状況は急速に悪化していった。最後の1人である戦士も盲目鰐ブラインドガビアルに咥えられて飲み込まれるのも時間の問題になる。


 水袋の水だけではとても足りないと察したリカルドは次第にもだえる力が弱くなるバレリアノを床に横たえ、剣を持って盲目鰐ブラインドガビアルに突撃した。その直後、毒守宮ポイゾナスゲッコウが素早く天井から壁、そして床に下りてきてバレリアノに喰らいつく。奇妙な声を出しながらバレリアノが痙攣した。


 対岸に戻る手段のないユウはその光景を眺めることしかできない。


 今まで獣の森で獣と、夜明けの森で魔物と、そして帰らずの森でその両方と戦ってきたユウだったが、この地下遺跡はそのいずれともまったく違った。ただひたすら圧倒的な力で人間に食らいつき、飲み込んでいく。それがひたすら恐ろしかった。


 四つん這いのまま震えていたユウだったが、自分に声をかけられていることに気付いてそちらへと顔を向ける。


「ユウ! た、助けてくれ! オレはまだ死にたくねぇんだ!」


「助けるってったって、この穴を飛び越えないと」


「おい、ユウ、早く! 早くしてくれよ!」


「ああもう。ホレス、この穴を飛び越えるんだ! もうそれしかないよ!」


「無理だ! こんなでっかい穴、飛び越えられるわけがねぇ!」


「でもそのままじゃ魔物に食べられちゃうよ!」


 叫びながらユウはホレスの背後に目を向けた。毒守宮ポイゾナスゲッコウはまだバレリアノの遺体を貪っているが、盲目鰐ブラインドガビアルはリカルドを飲み込みつつある。


 ユウの視線に気付いたホレスが振り向いた。状況が最悪であることを知って顔が蒼白になる。もう時間がない。


 背後から何かの足音が聞こえるのを無視してユウが更に声を上げる。


「ホレス、急いで!」


「ちくしょう! ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!」


 助走のために少し戻ったホレスが意を決して駆けた。3レテムを飛び越えるには明らかに助走距離が足りないがユウ共々気付いていない。


 走るホレスが穴の手前で床を蹴った。飛んで1レテムの所で頂点を迎えて落下を始める。


 必死の形相のホレスを見たユウは手を差し伸べようとした。立ち上がって穴に対して前のめりになる。


 そのとき、穴の底から何かがいきなり飛び出してきた。頭には目も耳もなく、熊のように毛皮に包まれ、突き出た鼻の下には鋭い牙を供えた口がある。そんな生き物が大口を開けてホレスを丸呑みし、すぐに穴へと消えた。


 手を差し伸べかけたままの姿勢で固まったユウは呆然と穴に目を向ける。もはや何がなんだかわからない。


「え? みんな?」


 数分もしないうちにユウを残して探検隊は全滅した。つい先程まで会話をしていた仲間も命令してくる雇い主ももういない。


 穴の奥では何かが動いているようだが何も見えず、穴の向こうでは魔物が人間の死体を喰っている。そして、ユウの背後からは岩人形ストーンゴーレムが現れた。


 あまりにもあっさりと仲間を失ってしまったユウはまだ立ち直っていなかったが、このままだと自分も襲われてしまうことに気付く。今目の前で繰り広げられた最悪の光景のようにはなりたくない一心で槌矛メイスと松明を拾った。


 ユウのすぐ隣、穴の手前までやって来た岩人形ストーンゴーレムはじっとしていたが、踵を返して元来た道を歩いてゆく。やはりユウを攻撃しようとはしない。しかし、その理由がわからなかった。


 もう1度ユウは穴の向こうへ目を向けた。床に転がった2つの松明が燃えている。何人かを丸呑みした大きな魔物は既にその姿が見えなかった。


 魔物には襲われるが岩人形ストーンゴーレムには襲われない。ならば、とりあえずその近くにいれば安全なのではとユウは思い至った。どのみち地図もなければ土地勘も皆無なのでせめて安全だけでも確保したいと切実に願う。


 この場から見えなくなりつつある岩の背中を松明の明かりで照らしながら、ユウはその後を追った。




 結論から言うと、岩人形ストーンゴーレムは同じ場所を周回していた。あの後ユウはずっと同じ1体を追い続けていたのだが、再びあの穴の場所に戻って来たのだ。


 もちろんこの結果にユウは徒労感を強くした。しかし、ユウを襲わないという以外にもいくつかわかったことがある。


 最も有効な情報なのが魔物を駆除するという事実だった。一定の範囲内に魔物が近寄ってくると攻撃を始めるのだ。大抵の場合は倒してしまうので、この地下遺跡ではかなり頼もしい。


 また、自分1体だけでは対処できない場合はどこからともなく応援がやって来た。地上で何体もの岩人形ストーンゴーレムが来襲したのはこのせいかもしれないとユウは考える。


 他にも、別の岩人形ストーンゴーレムとたまにすれ違うことがあった。別の場所に向かうのならば乗り換えることができそうである。


「問題なのは、どこに出口があるかなんだよなぁ」


 岩の巨人の後ろを歩きながらユウはつぶやいた。元の遺跡の入り口に戻れるのならば話は早いのだがそれはもうできない。しかし、他にあるかもしれない外に通じる道がどこにあるかは見当も付かなかった。


 周囲の風景は相変わらず変わらない。通路の両脇はたまに何かの部屋らしき構造になっている。


 何か変化を求めたユウはたまに遺跡の部屋などを覗き込んだ。しかし、既に朽ち果てて何のための部屋かわからない場所ばかりである。


 岩人形ストーンゴーレムに遅れないよう歩いていたユウだったが、今日は起きてからまだ休憩していないことに気付いた。いい加減足がつらくなってくる。


「そうだ、どうせこの岩人形ストーンゴーレムは周回しているんだから、戻って来るまで休憩しようかな」


 もはや自分1人だけなので誰にも遠慮する必要もない。ユウは適当な場所がないか周囲を見回した。あまり開放的すぎる場所は不安になるので、ある程度閉鎖的な部屋が望ましい。


 途中でユウは崩れた扉が横たわる出入り口を目にした。あまり大きくない出入り口で、それでいて中はちょっとした大きさだ。


 意を決して岩人形ストーンゴーレムと分かれたユウはこの部屋に入った。松明をかざして室内を見て回る。


 かなり風化しているが、それでも床の中央に何かがあることがわかった。円の中に模様や文字らしきものが描かれている。


「なんだこれ? 何かのお祭りにでも使っていたのかな?」


 壁際から床の何かを眺めていたユウは首を傾げた。初めて見るので見当もつかない。


 不思議がりながらもユウはゆっくりと円の中央に向かって歩く。真ん中に立って松明をかざすと室内全体がぼんやりと見えた。


「別に何もな、い?」


 松明の明かりのせいで気付くのが遅れた。円と内側の模様らしきものがうっすらと暗く輝く。それと同時に足が床から離れた。


 目を剥いたユウが慌てて円の外に出ようとするがその場から動けない。


「え? ちょっとちょっと、なに!?」


 円筒形の範囲内が次第に明るく輝いた。それは強くなる一方でやがて真っ白になる。


 その状態はわずかの間だけ続き、今度は急速にその輝きが失われていった。円の内側にユウの姿はない。


 室内は再び静かになった。

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