初めての砂漠(後)

 動作が緩慢に見える駱駝らくだだが、人間よりも体が大きいので遅くはない。1歩ずつの歩幅では勝っているからだ。


 手綱によって結ばれた駱駝は一列縦隊で竜鱗の街道を進む。ほとんど雲のない晴天で日差しを直接受けているが堪えている様子はない。


 その脇を歩く人間4人も黙って歩いていた。最初は質問を繰り返していたユウも聞くことがなくなると静かになる。


 最初の3日間は乾燥しているとはいえ、平地を歩いているだけだったので平穏だった。毎日宿駅に宿泊できたというのもある意味快適に旅ができた一因である。


 しかし、4日目から周りの環境が急激に変化した。南東から南に向かって曲がる竜鱗の街道を進むと、短い草が生えていた草原は大小の石が転がる荒れ地へと変化する。それに伴い、街道もぼんやりとして頼りない見た目となった。


 迷いなく歩く一行の中で、ユウだけは落ち着きがない。そのうちアダーモに顔を向けて口を開ける。


「周りが荒れてきましたね。砂漠まで近いってことですか?」


「いや、もう砂漠に入っている」


「え? でもここってまだ砂の山はありませんよ?」


「細かい砂の山にこそなっていないが、ここも砂漠なんだ。ここにある石が長い年月をかけて細かく砕かれることで、ユウの言うような砂漠になるだけでな」


「へぇ、そうなんですか。道にも大きめの石があるから歩きにくいですね。もう少し整備してくれたらいいのに」


「やるだけムダだからやらないんだ。きれいに石を取り除いても、1ヵ月後には元通りになっている。だから、石を避けて人と駱駝が踏みしめたこの筋を頼りに進むしかない」


「厄介ですね」


「ここはまだいい方だ。ユウの言った細かい砂の山に入ると更に大変だぞ」


「うへぇ」


 冗談っけのない表情で教えられたことにユウは嫌そうな顔で反応した。


 この日はこの荒れ地で野営することになる。とはいっても、焚き火もおこさない野宿だ。日没直前、駱駝を一塊にしてからユウたちは集まり、干し肉で簡単な夕食を始めた。


 その食事中、アダーモがユウに今晩の予定について説明する。


「飯を食べ終わったら、俺、カルロ、ユウの3人で夜の番をする。2人が番をして1人が休む。そして、砂時計で鐘の音1回分の時間を計って、1人ずつ順番に交代していくんだ」


「はい」


「夜の番の役割は2つある。1つは外敵である獣や魔物から駱駝を守ることだ。この辺りだと野犬や黒妖犬ブラックドッグがたまに現れるから、こいつらを追い払う」


「こんなところに野犬や黒妖犬ブラックドッグがいるんですか。あ、平地にいた狼はいるんですか?」


「狼はこの辺りでは見かけないな。あいつらは羊の方が好みなんだろう。ただ、現れる獣や魔物の種類が違っても、危険であることには変わりない。引き続き注意するように」


「わかりました」


「それともう1つは、駱駝の世話だ。駱駝も夜は眠るが、たまに獣の気配や遠吠えに怯えることがある。そのときになだめてやるんだ」


「今までは宿駅で休ませていたから機会がありませんでしたけど、それ僕にもできるんですか?」


「駱駝に嫌われてなければなだめられるはずだ。ただ、これは実際にやってみないとわからん」


「噛んだり蹴られたりしなければいいんですけどね」


「まぁそのときはうまく避けてくれ」


 最後に何とも頼りない返事を聞いたユウは微妙な表情を浮かべた。


 夜の番が始まると、最初にカルロとユウが当番になる。真っ暗な荒れ地の中に2つの松明の明かりが揺れた。


 別れる前にカルロがユウに忠告する。


「松明を持ったまま駱駝に近づくと、たまに怯えるやつがいる。最悪暴れることもあるから近づくときは気を付けるように」


「不安がる駱駝を慰めるときはどうしたらいいんですか?」


「少し離れた地面に松明を置いて駱駝に近づくんだ。そうしたら刺激せずに済む」


「なるほど、わかりました。ところで、この真夜中に松明の明かりって目立ちませんか? 獣や魔物が寄ってきそうに思えるんですけど」


「確かにそれは頭痛の種だ。しかし、真っ暗だと何も見えないから仕方ない。満月の日が近いと月明かりが利用できるんだが」


「そうなると、新月辺りはどうしようもないわけですか」


「その通りだ。獣の気配にはよく気を付けるようにな」


 いささか硬い口調ではあるものの、カルロはユウの質問に対してすべて答えた。


 話が終わるといよいよ夜の番が始まるわけだが、暇に加えてもう1つの敵をユウは実感することになる。


「冷えるなぁ」


 来月は夏という時期にもかかわらず、日没後の体感気温は急に下がりつつあった。まるで晩秋である。


 そして、駱駝から少し離れたところでユウが見張っていると何かの気配を感じ取った。獣か魔物だとは思われたが、光源が自分の近くにあるため、暗闇の向こうにいる何かを目にすることができない。


「これ、篝火かがりびを置いた方がいいんじゃないかなぁ」


 近づいてくる何かを警戒しながらユウはつぶやいた。荷馬車よりも運べる荷物が少ない駱駝には余分な物を背負わせる余裕がない。そのため、優先順位の低い物は容赦なく切り捨てられてしまうのだ。自分の命の安全を天秤に乗せてしまうやり方だが、黒字を伸ばさないと生活できないのでこの辺りは痛し痒しである。


 獣や魔物を追い払い、駱駝に好かれたり嫌われたりしながら一夜を過ごすと朝になった。


 日の出前に起きてきたウーゴに朝食を食べるよう指示されると、ユウは干し肉を囓って水袋を口に含む。


「ユウ、飯を食べたら駱駝の点検をするんだ。終わったら報告しに来い」


「わかりました。えっと、それで、用を足すにはどこでしたらいいんですか?」


「その辺の好きなところでしたらいい。ただし、道の上ではするなよ?」


「あ、はい」


 食べながら次の指示を受けたユウはうなずいた。言われたとおり竜鱗の街道から外れた所でズボンを下ろす。


 今日も体の調子が良いことを確認したユウは松明の火を消して駱駝に近づいた。そして、先頭から順番に荷物の縄と駱駝の手綱の緩みを確認していく。4頭目が終わったところで、最後尾から確認していたカルロと出会った。


 2人でウーゴの元へ行って異常なしと報告する。


「わかった。それじゃ出発する。今日から砂漠の中を歩くことになるから気を付けるんだぞ、ユウ」


「はい!」


 元気よく返事をしたユウは踵を返してアダーモの元へと向かった。自分の背嚢を見つけて背負っている横で駱駝が立ち上がっていく。まだ薄暗い中にウーゴの出発という声が響くと駱駝が先頭から歩き始め、ユウたちも続いた。


 細かい砂の山の砂漠について想像しながらユウは歩いていたが、鐘の音1つ分も歩いた頃には周囲の風景が変化していることに気付く。荒れ地に細かい砂がまぶしたかのようになったのだ。もちろん竜鱗の街道である道も例外ではないため、かなり見分けにくい。


 更に変化したのは見た目だけではなかった。まだ朝の間だというのにやけに暑い。気温の上がり方が予想以上でユウは戸惑う。


 砂まみれの荒れ地を眺めながらユウが歩いていると、次は前方に丘のようなものが見えてきた。故郷で丘陵地帯を見たことがあるので最初は丘だと思い込む。ところが、近づくにつれてそうではないと知ると目を見開いた。あまりの光景に口も開けたままである。


「え? これ、全部、砂?」


「そうだ。見渡す限りの砂の丘、これが灼熱の砂漠だ。これからいくらでも暑くなるからな。水はこまめに飲んでおけよ。ただし、飲み過ぎるな」


「えぇ、そんな無茶な」


 相反する忠告をアダーモから受けたユウは困惑の表情を浮かべた。その間にも水袋の先を口に含む。そんな会話が交わされる間にも隊商は砂漠の中へと入っていった。


 最初にユウが苦労したのは歩くことだ。砂粒が細かいので踏むと足首辺りまで沈む。特に前へ進むために蹴り上げるときに平地以上の力が必要だった。駱駝はもちろん、仲間もそこまで苦労しているようには見えない。


「どうして僕だけこんなに苦しいんだろう」


「その重い荷物のせいじゃないか? 普通はそこまで背負って砂漠には入らないぞ。荷物が多いときは駱駝に載せるからな」


 隣を歩くアダーモに指摘されたユウは目を見開いた。気付けたのは良かったが、荷物を捨てるわけにもいかないので愕然とする。


 次いでユウを苦しめ始めたのは高い気温だ。ユウの知っている夏以上の気温に頭がぼんやりとする。また、その割に衣服が汗濡れにならないのが不思議だった。


 息が荒くなっていく中、ユウのつぶやきが漏れる。


「これが、砂漠、なんだ」


「1週間以上これが続くからな。覚悟しておくんだぞ」


「ひぃ」


 容赦ないアダーモの忠告にユウが小さな悲鳴を上げた。しかし、もう引き返すわけにはいかない。


 肩に食い込む背嚢のベルトと砂に沈む足に苦労しながらユウは前に進んだ。

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