初めての砂漠(前)
よく晴れた空の下、ユウは原っぱでつばあり帽子と全身を覆える外套を身に付けたまま拳を構えていた。若干息が乱れ、いくらか汗をかいている。
相対しているのは浅黒い肌の表情の乏しい青年アダーモだ。こちらも帽子と外套を身にまとって拳を構えているが、息も乱れず汗もかいていない。
「よし、もういい。お前ができるというのはわかった。とりあえず合格でいいだろう。後はお前次第だ、ウーゴ」
「護衛として使えるというのなら俺も問題ない。ということで、採用だ」
「ありがとうございます」
ようやく結果が出たユウは大きく息を吐き出して構えを解いた。顔に滲む汗を袖で拭う。
ウーゴと呼ばれた生真面目そうな商売人は草を食んでいる
「カルロ、護衛の経験はあるが砂漠は初めてだそうだ。上リヴァンクの村まで一緒に護衛してくれ」
「魔物と戦った経験は?」
「人型が多かったですけど、四つ足の動物系や昆虫系とも戦ったことはありますよ」
「ならいい。足場が悪いことに気を付けて、後はアダーモの指示に従って戦うんだ」
問われたユウは即座に返事をし、それを受けてカルロが忠告をした。
会話が途切れるとウーゴがユウに顔を向ける。
「取り引きが終わって出発の準備が整うのは2日後だ。その日の二の鐘の音が鳴る頃にここへ来てくれ。全員が揃って日が昇ったら出発する」
「二の刻ですか。随分と早いですね」
「砂漠の昼間は暑くてあまり動けない。だから、朝方と夕方にできるだけ移動する。エントラサートの町からしばらくは平地だが、砂漠のときと同じように行動する」
「わかりました」
「では、解散だ。2日後、遅れるなよ」
うなずいたユウは踵を返した。そして、歩きながら今度の砂漠越えは厳しいに違いないと思う。まだ足の裏などにじんわりと疲れが残っていることから、集合のときまで何もしないと固く誓った。
かつて一の刻に起きて走り込みをしていたユウならば二の刻に集合するなど簡単に思えた。しかし、特に旅が始まってからは三の刻に近い時刻に起きることが当たり前になっていたため、起きる時間を調整するのは意外に難しい。
そこでユウは、護衛に採用されたその日から七の刻に寝て一の刻に起きることにした。走り込みをしていたときの習慣であり、鐘の音を利用して起きようというわけである。
この目論見は一応成功した。一応というのは、集合当日の早朝にまさかの二度寝をしてしまい、遅刻をしかけたのだ。この日は月初めの新月直後でもあったので、暗くて周りがよく見えなかったという事情もある。息を切らせて集合場所に到着したのは二の鐘の音が鳴り終わってすぐだった。
「間に合ったからいいだろう。ユウ、出発の準備をアダーモと一緒にやってくれ」
「はい」
「ユウ、こっちだ」
アダーモの後に続いたユウは駱駝の前で立ち止まった。松明の明かりでぼんやりと照らされる駱駝は膝を折って座っている。その背と横腹には荷物がくくり付けられていた。
振り向いたアダーモがユウに顔を向ける。
「今から荷物がしっかりとくくり付けられているか確認する。1頭目はやり方を見せるから覚えるんだ。2頭目は俺が後ろで見るからやって見せろ。3頭目から先は個別に作業する」
「わかりました」
「それでは始めるぞ」
目の前の駱駝に近づいたアダーモの後からユウは駱駝の荷物を覗き込んだ。結構な数の荷物が縛られており、駱駝が本当に担げるのかと疑問に思う。
そんなユウの内心とは関係なくアダーモが作業の説明を始めた。結び目を見て、更に軽く引っぱって緩んでいないか確認する。作業そのものは簡単だった。1頭目が終わると2頭目はユウが実際に作業をする。何度か指摘を受けて修正した後は何も言われなくなった。
8頭の荷物の点検が終わると、アダーモがユウに振り返る。
「次は駱駝の手綱の連結をする。気付いたと思うが、駱駝は1列に並んでいるだろう。後ろの駱駝の手綱を前の駱駝の器具にくくり付けるんだ」
「どうしてそんなことをするんですか?」
「駱駝の手綱を全部くくり付けると、先頭の1頭を動かすだけで残りの駱駝も動かせるからだ」
「ああ、なるほど」
説明されたユウは感心した。人間はユウを含めても4人しかいないのに駱駝は8頭もいるのだ。いちいち1頭ずつ引っぱっていくわけにはいかないと指摘されて気付く。
この作業も簡単だった。結び方と結びつける場所さえわかってしまえばすぐにできる。
その後も、ユウはアダーモから駱駝の世話などをいくつか教えてもらい、実際に作業をした。今後はユウも護衛中はこの作業を1人でこなすことになる。
作業が終わっても日はまだ出ていなかった。松明をいつ消そうか考えていたユウだったが、ふと気になったことをアダーモに尋ねる。
「あの、自分の荷物はどうするんですか?」
「どうする? 自分で背負うに決まってる」
「え? 駱駝で運んでもらえないんですか?」
「当然だろう。駱駝は売り物と全員に必要な物を載せるためにあるんだ。だから、自分の物は自分で背負わないといけない」
「ということは、アダーモさんの荷物が少ないように見えますけど、それで全部なんですか?」
「そうだ。水と保存食はウーゴからもらえるから持つ必要はない。だから、それ以外に必要な物となるから大してないぞ。逆に聞くが、お前の方こそどうしてそんなに荷物を背負っているんだ?」
「長旅に必要な物を揃えると、最低限でもこれくらいになるんですよ」
「なるほど、それは大変だな」
何度かうなずいたアダーモはそれきり黙った。
それ以上何も言ってもらえなかったユウは困惑の表情を浮かべる。荷馬車で移動するわけではないことは理解していたが、まさか駱駝に荷物を載せてもらえないとは予想外だった。砂漠は足場が悪いと聞いただけに、この背嚢の重さがどのくらい厄介になるのか不安に思う。
松明を掲げながらユウが漫然と周囲を見ていると、周囲の暗闇がわずかに薄らいできていることに気付いた。少しずつ暗さが和らいでいき、風景全体が青みがかる。
「出発するぞ、みんな準備しろ!」
声を上げたウーゴに反応してカルロが最後尾の駱駝の所へと向かった。アダーモも5頭目の駱駝へと近づく。そして、次々と座っていた駱駝を立ち上がらせた。
ユウも松明の火を消して背嚢にくくり付けると背中に背負う。それからアダーモの後に続いた。
夜明け前、駱駝の手綱を引っぱるウーゴが先頭を歩き始める。先を歩く駱駝に後を歩く駱駝の手綱が結びつけられているので、前の駱駝が歩くと後続の駱駝も歩き始めた。駱駝の背に積み上げられた荷物がゆらりと揺れる。
一列に並ぶ駱駝の脇に人間が並んだ。列の前にウーゴ、真ん中にアダーモとユウ、最後尾にカルロである。
徐々に明るくなっていく中、ユウは前を見て歩いていた。すると、アダーモが話しかけてくる。
「ユウ、砂漠は暑くて寒いところだと知っているか?」
「昼はむちゃくちゃ暑くなって、夜はむちゃくちゃ冷えるんでしたよね」
「そうだ。毎日夏と冬が交互にやって来るんだ」
「え? 夏と冬ですか? 例え話じゃなくて?」
「ああ。砂漠は暑いところだということは割と知られているが、夜についてはほとんど知られていない。だから、初めてやって来た奴らはみんな夜寒くて震えるんだ」
「どうして今そんなことを話すんですか?」
「すまない、本題はここからなんだ。夜の寒さをしのぐ準備はできているかと聞きたかったんだ。冬を越せるものだと尚いい」
「えぇ、初めて聞きましたよ。そんな今更。今被っている帽子にこの外套と、あ、もう1つ外套を持っています」
「外套を2枚も持っているのか」
「元々この南方に来る前に使っていたやつなんです。こっちでは今身に付けている方でないと火傷するって言われたから、今は背嚢にくくり付けてありますけど」
「だったら、そのもう1つ外套も使って寝るといい。俺たちも毛布を持ってきてる」
「そういうことは出発前に教えてほしかったですよ。今回はたまたま何とかなりましたけど、これ持っていなかったら僕凍えていましたよね?」
目を細めたユウがアダーモを見ると、アダーモは決まり悪そうに目を逸らした。
こうなると何が今不足しているのかわからないのでユウは不安になる。もはや手遅れだが、この機にアダーモに色々と問いかけて答えを引き出した。その回答を元に代用できる物は何か考え、どうにもならない物は借りられるか相談する。
白み始めていた空に太陽が顔を出した。一気に周囲が明るくなる。真正面なので非常に眩しい。
朝日の輝きを手で防ぐユウの砂漠越えが始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます