湖に寄り添う村
環境そのものが脅威ということがある。砂漠のように生き物の存在を拒絶しているかのような場所では、立っているだけで体力を消耗し、生命の危機に陥る。
そんな場所を9日間もユウは歩き続けた。砂地が足から体力を奪い、乾燥した大気が体から水分を取り上げる。更には昼と夜の寒暖差が容赦なくユウを鞭打った。どこまで行っても同じ景色というのは別の場所にもあるが、それが気力体力を同時に削るのは砂漠ならではだろう。
こんな体たらくでは普通だと護衛の役目など果たせないが、今回は12日間の旅程で獣や魔物に1度も襲われなかったので問題は表面化しなかった。襲われていれば、恐らくユウは役目を果たせなかっただろう。
「1度も襲われなかったなんて珍しいな。こんなことがあったのはいつぶりだろう?」
隣で歩くアダーモは嬉しそうに首を傾げるが、ユウはそれどころではなかった。
想定以上の環境に苦しめられつつ、それでも予想外の幸運に助けられたユウは、夕刻頃に次の拠点であるデソアの村にたどり着く。
デソアの村は灼熱の砂漠の中にある潤いの湖に寄り添うようにある村だ。L字型の湖のくぼみの部分にあり、古くから砂漠越えの中継地点として栄えている。
リーアランド王国側からやって来たウーゴの隊商は村の北側から中に入った。一面砂の世界にあって唯一青と緑に色づく場所だ。
村に入ってもしらばく歩き続けた一行だが、石造りの家屋の前でウーゴが
「今回は幸い何にも襲われなかった。これも神のお導きだろう。ここでは明日1日休憩して明後日に出発する。それまで英気を養っていてくれ。以上だ。ところで、ユウ、お前大丈夫か? すっかりしおれた草みたいになっているぞ」
「思っていた以上に砂漠が厳しかったですが、とりあえず1日休んで体力を回復します」
「そうか。若いから1日休めば大丈夫だろう。次の上リヴァンクの村までの道のりは更に厳しいから、覚悟しておいてくれ」
疲れ切ったユウの表情に絶望が加わった。
そんなユウから目を離したウーゴが解散を宣言する。真っ先にカルロがその場を離れた。一方、わずかに心配そうな表情を浮かべたアダーモがユウの肩を叩く。
「ユウ、動けるのか?」
「大丈夫、動けるよ。それより宿屋はどこにあるのかな?」
「目の前だ。デソアに宿はここしかない」
アダーモが指差した先にユウがゆっくりと顔を向けると石造りの家屋がすぐそこにあった。それから再びアダーモへと顔を向ける。
「僕、今日はもう寝ますね。ご飯は明日たくさん食べます」
「その方がいいだろう。水はしっかり飲んでおくんだぞ」
助言してくれたアダーモにうなずくと、ユウは足を引きずるようにして石造りの家屋へと入った。まだ日没前なので暑いが、湖から流れ込んでくるそよ風がその暑さを和らげてくれる。カウンターで店番をしている皺の多い老店主がユウへを目を向けた。
老店主の前で立ち止まったユウが声をかける。
「1泊させてください」
「銅貨1枚だよ」
「銅貨?」
「そう。リーアランド銅貨1枚だ」
「鉄貨じゃないんですね」
「砂漠の中じゃ鉄貨なんて使わないよ。銅貨か銀貨のどちらかだ。持ってないのか?」
「いえ、持っていますよ。今までみんな鉄貨だったんで驚いたんです」
「あんた、町の中に入ったことはないのか? 儂が若い頃はちょっと砂漠の外に出て町の中の宿に泊まったことがあったが銅貨で料金を支払ったぞ。酒場でも古着屋でも雑貨屋でもな。鉄貨しか使ったことがないってことは、貧民街の安宿を使ってここまで来たのか?」
「え、ええ」
「なるほどな。それなら知らないのも無理はない。町だと城壁があって中に入るにはそれなりの入場料を支払う必要があるが、村には誰でも入れるからな。しかし、村の中というのは町の中と同じなんだ。そりゃ規模は全然違うが、同じというのは特別な場所という意味だよ。みんなが苦労して作った場所で」
それから老店主の話が続いた。内容はあちこち飛ぶのでとりとめがない。
早く横になりたいのになれない腹立たしさがユウの内心を席巻する。しかし、村唯一の宿屋の店主を怒らせて追い出されると困るのはユウだ。砂漠での野宿は何としても避けたい。
せめて他の宿泊希望の客が来てくれたらそれを理由に中断できるのだが、不運なことに誰も来る気配がなかった。なので、ユウは疲労で震える体を支えてひたすら老店主の話を聞き続ける。
ようやく話が終わったのは日が没してからだ。老店主の息子が諫めてくれたので話が中断する。
「まぁともかくだ、たまには無理をしてでも町の中に入ってみるといい。見識が広がるぞ」
「はぁ、わかりました。これが銅貨です」
「毎度。奥の大部屋の好きな寝台を使うといい」
最後の説明を聞いたユウはふらふらと舞い散る埃のように歩き、奥のまだ誰も使っていない寝台の前に立った。そこで
肩も痛むが膝から下の疲労感が一番きつい。しばらくぼんやりとしていたユウだったが、いつの間にか意識を失っていた。
翌日、日の出と共にユウは起きた。全身にはまだ倦怠感が残っており、膝から下の疲労感もある。しかし、昨日よりかはましだった。
何とか起き上がって外に出る支度を済ませると、ユウはカウンターの奥に座っている老店主の息子に酒場のある場所を尋ねる。すると、すぐ近くだと教えてもらえた。更に、村人や旅人に朝食を提供するため朝から開いているとも聞く。
用を足したことで空腹感が強くなっていたユウは背嚢を背負って酒場に向かった。まだ日が出てから間もないため辺りは涼しい。
酒場は宿屋と同じく石造りの店舗だった。汚れた白い壁が古びた感じを印象づけている。店内に入ってもその印象は変わらず、いくら掃除をしても無駄なのか床には砂が目立った。
いくつかある丸テーブルの間を通ってユウはカウンター席の横に背嚢を下ろす。自分も席に座ると給仕を探すが見当たらない。カウンターの奥には浅黒く彫りの深い顔をした店主が何やら作業をしていた。
しばらく待っていても何の反応もなかったので、ユウは店主に声をかける。
「あの、何か食べたいんですけど、何がありますか?」
「ワイン、黒パン、スープ」
「他には?」
「ない」
「いくらするんですか?」
「どれも銅貨1枚。ただし、黒パンは3つだ」
非常に簡潔な回答だった。そして、内容も質素だった。今までは各地域の料理などを楽しむことができたが、砂漠ではそれもできないことを知る。更に高い。宿屋の老店主から話は聞いていたので驚きはないが違和感は大きかった。
ともかく、何か食べないといけないのでユウは注文する。
「でしたら、ワイン、黒パン、スープをください」
「銅貨3枚だよ」
言われるままにユウはリーアランド銅貨3枚をカウンターの上に置いた。すると、店主はすぐに銅貨を手に取り、代わりに陶器製のジョッキと黒パンが3つ載った皿が差し出される。
空腹感が更に強くなったユウは最初に陶器製のジョッキを口に付けた。そのまま傾けて違和感に気付く。
「なんだこれ? 薄い?」
いつも水袋から飲んでいる薄いワインと同じ味がしたことにユウは眉をひそめた。陶器製のジョッキの中を見るが、店内が明るくないのでよくわからない。もう1度陶器製のジョッキに口を付ける。やはり薄いワインだ。
今のユウならば飲めるなら何でも良いのだが、ワインを期待していただけに失望は大きかった。ここではこれをワインと言うのかもしれないが、何となく騙されたように感じる。
次いで大きめの陶器の皿に入ったスープが差し出された。具材はほとんど溶けているらしく、木の匙でかき回してもほぼ見つからない。ただ、いくらかどろりとしたスープの量は多かった。ユウは木の匙ですくって一口食べてみる。味は悪くなかった。
いくらか気分が良くなったユウは黒パンを1つ手にしてちぎろうとする。ところが、固くてちぎれない。目を剥いて黒パンを見たが結構古そうだった。仕方なくスープによくひたして柔らかくする。これでようやくまともに食べられた。
こうしてユウはようやくまともに食事を始める。かなり微妙な内容だ。食事は楽しむためのものではなく、生命を維持するためのものという感じが強い。砂漠の真ん中で生きるためにはこうなっても仕方ないのかもしれないが、ユウとしては遠慮したかった。
日が昇るにつれて気温が上がっていく。それは店内も同じだ。朝食で気力を削がれたユウは上がる気温にもやる気を削がれていく。すっかり無気力になったユウは、今日一日は絶対に何もしないことを内心で固く誓った。
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