待つか、進むか

 安宿で一夜を明かしたユウは三の刻の鐘の音で目を覚ました。日の出で起きないのは珍しい。


「ううっ、なんだこれ? 体がやたらと重い」


 全身の倦怠感と疲労感にユウは呻いた。自分の体ではないかのように手足が重いのだ。まるで体を起こす気になれない。


 昨日のことを思い出したユウは二日酔いではないことを確認した。飲んだのは木製のジョッキでワインを2杯、これではさすがに大して酔わないことを知っている。


 そうなると旅の疲れということになるが、まさかここまで体が疲れているとはユウにとって意外だった。特に膝から下の脚がひどい。まるで熱を持って腫れ上がっているかのように感じられ、足の裏はひたすら熱い。


「ううっ、昨日まではそんなにひどくなかったのに。気が抜けたのかなぁ」


 ぼんやりとする頭でユウは考えられる原因を探った。気が張っているときは平気でも抜くと途端に体が動かなくなることはユウも経験したことがある。恐らくそれだろうと当たりを付けた。


 しかし、当たりを付けたからといって倦怠感と疲労感がなくなってくれるわけではない。寝返りを打つのさえ億劫になる状態だ。考えがまとまらない。


「うっ、こんなときでもか!」


 顔をゆがめたユウはしばらくじっとしていたが、やがて諦めてのろのろと上半身を起こした。それからゆっくりと立ち上がり、鎧を身につけてから背嚢はいのうを引きずるようにして大部屋の裏に回る。そこにはいくつもの桶があり臭気を放っていた。


 どんなに体がきつくても、生理現象には勝てないのである。




 泊まっていた安宿の前でユウはぼんやりと立っていた。明るい日差しが降り注ぐ。とりあえず準備を済ませてはいるが、今日は疲労のために何もする気が起きない。ただ、金銭的な面でそんなに余裕があるわけではないので焦燥感から動いている。


「できれば何日か寝たいけど、さすがにそんなことはしていられないなぁ。となると、まずは冒険者ギルドからかな」


 最も気になる事柄を最初に片付けることにしたユウは、道すがら冒険者ギルドのある場所を通行人に尋ね回って進んだ。少し右往左往したがグレンペースの町の北側の郊外にあることを突き止める。


 町の北東部分をかすめて流れる竜涙の川に対して寄り添うように建っている冒険者ギルド城外支所は古めかしい石造りの建物だった。


 雰囲気が前の町の冒険者ギルドと似ているのでユウの気も滅入る。


「今度は話のできる職員だといいなぁ」


 10日ほど前のことを思い出して気を重くさせながらもユウは建物の中に入った。がらんとした様子の室内だが冒険者も職員も何人かいる。それだけでかなり気が楽になった。


 受付カウンターに近づいてユウは手持ち無沙汰な受付係の男に声をかける。


「あの、荷馬車を1台か2台持っている商売人が出している護衛の依頼はありませんか?」


「今はないね。エントラサートの町へ行く隊商や荷馬車はあるけど、ここに護衛の依頼を出してくる商売人は最近見かけないな」


「ということは、これから先も護衛の依頼が入ってくるとは限らないんですか?」


「そうだな。どうしても隊商の護衛をしたいっていうんなら、エントラサートの町に行くといい。あそこなら砂漠越えをする隊商の護衛がいつもあるだろうから」


「いつも? ここにはめったにないのに?」


「知らないのか? 灼熱の砂漠で犠牲になる冒険者は平地よりもずっと多いんだ。だから、常に新しい冒険者を募集しているんだよ」


「それは物騒ですね」


「安全な仕事なんて冒険者に回ってくるわけないだろう?」


 そっけない態度だった受付係が小馬鹿にした笑みを浮かべた。返答すると黙ってユウを見つめる。


 受付係に気を悪くしながらも、ユウはまともな返事をしてくれたので我慢した。最後にもう1つだけ尋ねる。


「それじゃ、エントラサートの町へ行く荷馬車持ちの商売人と直接交渉して護衛の仕事をしてもいいですか?」


「やめとけ。傭兵にぶん殴られるぞ。平地じゃ隊商と荷馬車の護衛は傭兵の仕事なんだ」


 今度は呆れた表情を浮かべた受付係がユウを止めた。その態度には先程とは違って真剣さが混じっている。


 個人で仕事を探すと面倒なことになることを知ったユウはうなずいた。そうして、踵を返して建物から出る。


「うーん、ここでも駄目かぁ。本当にないんだなぁ」


 淡い希望を抱いていたユウはそれを打ち砕かれて失望した。リーアランド王国にやって来てからというもの、何かと思うようにいかない。今のところ、銀竜の高原を越える前の方が楽で楽しかったとユウは感じている。


 次はどこに行こうかと考えていたユウは、冒険者ギルド城外支所の東隣に河原が広がっていることに気付いた。その先には竜涙の川が悠然と流れているのが見える。


「とりあえずやることもないし、服でも洗うか」


 大きなため息をついたユウは河原に出ると北に向かって進んだ。素っ裸になるので人目のないところまで歩かねばならない。


 建物がなくなり、麦畑が広がる辺りまでユウはやって来た。周囲を見て誰もいないことを確認すると河原に背嚢を下ろし、防具と服を脱ぐ。南方の4月の日差しは温かい。


 川の浅瀬まで入ったユウは服を川底に沈めると足でゆっくりと踏み始めた。素っ裸で川に入って足踏みをしている姿は間抜けだが、誰も見ていないのならば気にすることはない。


 その間に、ユウは今後どうしようかと考える。エントラサートの町へ向かう荷馬車の護衛があれば一番良かったが、それは期待できそうにない。しかも、個人で交渉することも難しそうだ。そうなると、また歩いて向かうことになるが、徒歩での旅は思いの外危険だった。必ず盗賊に襲われるわけではないものの、襲われたときは致命的である。


「受付係の人は最近護衛の依頼が来ないって言ったっけ。そうなると、次はいつ来るかなんてわからないな。ああでも、徒歩の旅は避けたいなぁ」


 以前盗賊に襲われたことを思い出したユウは足踏みしながら身震いした。誰かと助け合って戦うことは期待できないので、1度に複数人の盗賊を相手にしたときがきつい。


 服を洗い終わったユウは川底から取り出して丁寧に絞った。それから河原に広げて干す。天気が良くて温かいと乾くのも早い。


 次いでユウは川に飛び込んだ。少し冷たいが、足踏みで動かした体にはちょうど良かった。しばらく頭まで川の中に入っていたがやがて顔を出す。


「ぷはぁ。気持ちいい!」


 立ち上がったユウは手で体をこすった。すると、大量の垢が浮き上がってくる。それをその都度川で洗って流した。


 少しずつ体をきれいにしながら、ユウは先程迷っていたことを改めて考える。今持っているリーアランド通貨での蓄えのみで考えると、待てるのは最大で1ヵ月半だ。問題はその間に護衛の仕事が舞い込んでくる保証があるのかである。


「ないな。そんな保証はない」


 あの受付係の発言からは希望を見いだせるところが何もなかった。そうなると、無理をしてでも先に進むしかない。


 方針は決まった。そうなると次は旅の準備をしなければいけない。


「干し肉はもうほとんどないから買わないといけないな。水袋も半分は空だから入れておかないといけないし。他の道具なんかも点検しておかないと不安かな」


 川に首までつかりながらユウはつぶやいた。河原に置いてある背嚢へとときおり目を向ける。色々と詰め込んでいるので膨れ上がっているが、その実必要な物ばかりだ。その中身を頭の中に思い浮かべる。


 いつの間にかぼんやりとしていたユウは顔を上に向けた。ほぼ南天の頂上まで太陽は上っている。それで自分が空腹であることに気付いた。


 立ち上がったユウは川から上がると河原に水しぶきを派手に撒く。手拭いを背嚢から出して頭から拭き、ときおり吸い込んだ水を絞り出してまた拭いた。


 使い終わった手拭いを洗って服の隣に広げると、ユウは次いで干し肉を取り出す。水袋も手に取ると裸のまま昼食を取り始めた。周りには相変わらず誰もおらず、河原と川と平地と麦畑しか見えない。


 座った河原の石のごつさをきにしつつも、ユウはゆっくりと干し肉を囓る。


「あー旅の間もずっとこんな感じで穏やかだったらいいのにな」


 それが無理な話であることはわかっていてもユウは独りごちた。盗賊や獣に襲われることは今までもあったが、1人で旅をするとなるとその大変さは更に大きくのしかかってくる。今のユウにはそれが重い。


 人々が群れて集まる理由を改めて噛みしめているユウだったが、1人は自由であることも実感していた。束縛されないという気楽さは知ってしまうと手放せない。


 結局のところはこれらの天秤をどう釣り合わせるかだ。今のユウはそれに苦労しているが、続けていればそのうち折り合いを付けられるだろう。

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