徒歩での旅(後)

 町を出発して6日目の夜は4月のほぼ半ばだった。この夜は雲も少なく、夜空の星が薄くなるほど月明かりが大地を照らす。


 これほど明るいと地表も相当先まで見通せた。もちろん昼間ほどではないものの、木陰や岩陰がない平地なので月明かりでも充分なのだ。


 ユウとマウロはそんな夜に交代で見張り番をしていた。体の弱いマウロは時間を短くして、昼間への影響を最小限にするという工夫もしている。


 夜行性の獣に襲われないか怯えつつも2人は交互に周囲を見張った。今回の見張りでは座ったままだ。遠くを見渡せるということは、自分たちもまた遠くから見つけられてしまうということである。そのため、居眠りをしてしまう危険性はあるが座ることにしたのだ。


 何度目かのあくびをしたユウは何度見たかわからない周囲を改めて見る。月明かりに照らされた草原は雪とはまた違う白さに彩られていた。向こうに見える隊商の荷馬車の周囲には護衛が立っており、その隊商の奥には寝そべる人々がかすかに見えている。


「ふぁぁ。何にもなさ過ぎて暇だなぁ。でも、何かあったら大変だから何もない方がいいんだよね。あぁ眠い」


 寝落ちしそうな精神に鞭を振るい、考えていることをわざと口に出してユウは眠気と戦っていた。南方の夜は4月だと涼しいくらいなので気持ち良いが、その気持ち良さがまた眠気をさそうのだから油断できない。


 夢とうつつの境を行ったり来たりしつつあったユウだが、違和感があることに気付いた。最初に近場を見回して何もないことを確認すると、次いで遠方に目を向ける。すると、隊商の後方、徒歩の集団の更に向こう側に黒い豆粒のようなものを目にした。


 両手で頬を叩き、目をこすってユウはその遠方を凝視する。


「みんな馬に乗っている? 盗賊だ。来たんだ! マウロさん、起きて!」


 眠りかけていた頭が覚醒したユウは隣で眠っていたマウロの肩を揺すった。反応が鈍いことに気付くと更に強く揺する。


「ふぁ、どうしたんだい?」


「盗賊が来ました。隊商の後方からです。このままだと最初に歩いてた人たちとぶつかってしまいますよ」


「なんだって?」


 切迫したユウの声に目を覚ましたマウロが上半身を起こした。寝ぼけ眼半分ながらもユウの指差す先へと顔を向ける。それからゆっくりと目を見開いた。


 愕然とした様子のマウロがユウに問いかける。


「あ、あの馬に乗った人たちは一体?」


「盗賊ですよ。こんな夜中に馬に乗って平原からやって来る人なんて他にいるんですか?」


「いや、そうなんだけど、俺もこんなことは初めてでね。いや、そんなのんきなことを言ってる場合じゃない! ユウ、どうするんだ? 早くみんなに知らせないと!」


「ここからじゃ無理ですよ。声だってろくに届かないですって。それと、荷物を横倒しにして寝そべってください。できるだけ背を低くして見つからないようにするんです」


「いやしかし」


「早く!」


 なぜかぐずるマウロをユウは事前の取り決め通りに伏せさせた。周囲の草は背丈が低いので効果は薄いが、それでも立っているよりかはずっとましだと信じてのことである。


 遠目でユウが徒歩の集団を見守っていると、馬に乗った盗賊たちがかなり近づいてからようやく眠っている人のうち1人が上半身を起こした。反応が鈍いのは寝ぼけているからだろう。しかし、すぐに慌てて起き上がり、逃げ出そうとする。


 そこからは阿鼻叫喚の世界だった。ユウの元にまでかすかに悲鳴や怒声が聞こえてくる。逃げ惑う旅人や行商人は馬に跳ね飛ばされたり曲刀で斬り殺されたりした。更には荷物が略奪されていく。


 ひどい光景が繰り広げられていたが、その近くで野営している隊商の動きは今ひとつだ。最初こそ護衛や隊商関係者が動いていたが、急にその動きが鈍る。


「隊商はどうして荷馬車を動かして逃げないんだろう? いや、あれ? 盗賊が隊商を襲ってない? え、うそ!?」


 盗賊の襲撃をじっと見ていたユウは目の前の光景を見て愕然とした。旅人らしき男が隊商に助けを求めようと近寄ったところ、護衛に突き返されたのだ。その男はその場で呆然としてしまい、その間に馬に乗ってやって来た盗賊に曲刀で斬りつけられて倒れる。


 隊商の護衛は男が斬り倒されるまで何もせず、更に倒れるとそのまま踵を返して荷馬車に戻ったのだ。


 後から着いてくる集団は何があっても隊商には助けてもらえないという話はユウも聞いている。しかし、目の前で人が盗賊に襲われていても見殺しにするほどだとは想像以上だった。


 あまりの出来事にユウが絶句していると、誰かが叫びながら自分たちの方へと近づいて来ていることに気付く。そちらへと目を向けると、大きな荷物を背負ったオレステが全力で走っているのを認めた。厳密には方角は少しずれているが、馬上の盗賊ならユウたちを見つけられる範囲である。


「うあぁぁぁぁぁぁ!」


「あの馬鹿! せめて静かに走れよ!」


 目に涙を浮かべ、顔いっぱいに恐怖を浮かべたオレステを見てユウは舌打ちした。あれでは盗賊に見つかってしまうと思っていると、案の定2人の盗賊が馬に乗ったままオレステを追いかけ始める。その表情は実に楽しそうで完全に遊んでいた。


 次第に近づいて来たオレステには目もくれず、ユウは寝そべりながら盗賊2人を目で追い続ける。できれば気付かないまま去ってほしいと願っていたが、その願いは叶わなかった。2人のうち前を走っていた盗賊とユウは完全に目が合ってしまう。


「マウロさん、そのままじっとしていてください。こっちにやってくる盗賊を追い払ってきます」


 返答は聞かないままユウは立ち上がると馬に駆け寄った。右手にはいつもの槌矛メイスを握っている。


 急速に距離が縮まる中、ユウと目のあった盗賊は目標を切り替えた。馬の歩速を緩めて馬首をユウに向ける。馬上から盗賊が右手に持った曲刀を突き出した。その顔は完全にユウを小馬鹿にしている。


「あああ!」


 叫ぶユウは馬の足が緩んだのを機に馬の目の前で盗賊の左手側へと転がった。そして、起き上がりざまに槌矛メイスで馬の左前足を叩く。


 途端に馬が暴れ狂い、盗賊は振り落とされた。腰から地面に落ちて顔をゆがめる。


 動けない盗賊にユウは近づくと、その頭めがけて槌矛メイスを振るった。何度か鉄の塊をぶつけて動かなくする。


 次いでユウは後ろを振り返った。オレステを追いかけていた盗賊を探す。離れた場所でその男がちょうど馬首を反転させたところだった。こちらも目標をユウに切り替えたわけである。今度は全速力で馬を走らせてきた。


 顔をしかめたユウは槌矛メイスを左手に持ち替えると右手で腰の玉を取り出す。しばらく待って馬が脇を通り抜ける直前に右手の玉を馬の頭にぶつけ、振り下ろされた曲刀を槌矛メイスで受けた。しかし、その衝撃を吸収仕切れずに地面に転がる。


 左手の痺れを気にしながらもユウはすぐに立ち上がった。そして、馬の走り去った方へと顔を向ける。少し先の地面で馬が倒れて暴れており、近くで盗賊がぐったりと寝転がって呻いていた。


 相手がまだ生きていることを知ったユウは走り寄って槌矛メイスを振るう。


「あああ!」


 鈍い手応えと共に動かなくなった盗賊を見ながらユウは息を整えた。それから徒歩の集団のいた場所へと目を向ける。そこでは、盗賊が他人の荷物を漁っていた。




 翌朝、ユウとマウロが徒歩の集団が寝ていた場所に戻るとひどい有様だった。あちこちに死体と荒らされた荷物が散乱した状態である。さすがにこれには言葉もなかった。


 また、生き残ったのはユウとマウロを含めて5人である。他の3人のうち1人はオレステだ。余程遠くまで逃げたのか、明け方直前になってやっと姿を見せた。


 その3人は、地面に寝かされている2人を見る。1人は曲刀で背中を斬られて虫の息、もう1人は左腕を肩下から切り落とされ、患部を他の死者の服を剥ぎ取って縛っていた。


 少し離れた所では隊商が出発の準備を済ませ、先頭の荷馬車が銀竜の街道に向けて動き出す。2台目、3台目がそれに続いた。


 さすがに顔色が青いオレステが踵を返す。


「隊商も出発することだし、私はもう行きますね」


「この人たちは」


「助かりませんよ。どちらもね」


 歩き始めたオレステの背をしばらく見つめていたユウはマウロに目を向けた。表情を硬くしたまま先程から黙っている。


「マウロさん」


「行こうか。こうなることは覚悟の上だったんだ」


「はい」


「頼む、置いていかないでくれ。俺も連れて行ってくれ」


 隊商へと向いて歩き始めたユウの背中に寝かされた男の声がかけられた。一瞬止まりそうになるが両手を握りしめてそのまま歩く。やがて声は聞こえなくなった。


 前を進む荷馬車の姿をユウはじっと見る。しかし、助けを求めた声はしばらく脳裏から離れなかった。

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