徒歩での旅(前)

 商売人が使う一般的な荷馬車の速度は人の歩く速度と大差ない。これは積載量や馬の力なども大いに関係するのだが、荷馬車の破損を防ぐためという理由もある。比較的整備されている街道であっても凹凸は当たり前のようにあるので、車体に強い衝撃が伝わりやすいためだ。


 そのため、実のところ健常者であれば隊商の後をついていくことは難しくない。普通に歩いていれば離されることはまずないからだ。隊商の後を徒歩の集団がついていけるのはそんな単純な理由からである。


 ユウが飛び込んだ集団も1日目と2日目は全員が隊商の後を歩けていた。ところが、3日目の朝、隊商が出発するときになっても2人ほどが宿駅の前に姿を現さない。


 不思議に思ったユウがマウロに尋ねる。


「マウロさん、2人ほど人数が少ないように思えるんですけど、その人たちはどこに?」


「足のまめが潰れたらしくてね、痛くて動けないそうなんだ」


「それじゃどうするんですか?」


「ある程度治るまで待って、後からやって来る集団と一緒に進むんだと思うよ。みんなよくやっていることだからね」


 説明を受けたユウは対策を聞いて感心した。何が何でも今の集団に遅れてはならないと思っていたのだ。


 隊商が動き始めるとユウたちも歩き始める。置いていく2人とは何の関係もなかったが、旅を続ける方法があるのなら別れても気楽だ。


 何か別のことを話そうとユウはマウロに顔を向けたが、あまり冴えない顔をしているのを見て不思議に思う。


「どうしたんです? 置いていく2人に何か問題でもあるんですか?」


「いや、そうじゃないんだ。ここから先はしばらく宿駅がないって聞いたからね。俺たちにとっては厳しい旅になるかもしれないと思ったんだよ」


「厳しい、ですか?」


「病気や体調不良で動けなくなったらその場に置いて行かれるんだよ」


「前を歩いている人たちで危ない人はいるんですか?」


「わからない。みんな乗り切れるといいんだが」


 安心していたところに突然不安なことを教えられたユウは表情を暗くした。治療できるわけでもないのに聞いて回ることはしないようにと注意されて小さくうなずく。


 リーアの町を出発して3日目の夕方、ユウたちは野営することになった。地平線の彼方まで平地の場所でだ。隊商から離れたところで野宿するのだが、大きく2つ問題があることにユウは気付く。


 1つは、10人以上いる集団だが協力して何かをするわけではないということだ。隊商の後を歩くためにたまたま集まった人々なのでお互い名前すら知らない。そのため、一夜を明かす準備は個人個人でまちまちだ。ほとんどが原っぱにそのまま寝そべるだけだが。


 もう1つは、夜の見張り番をする人がいない点である。1つ目に含まれる事柄であるが、致命的であるので特に強調した。隊商が徒歩の集団に関わらない以上、夜に獣や盗賊に襲われないよう自分たちで見張りを立てるのは本来必須だ。しかし、誰もしない。


 不安になったユウは声をかけようとするが、逆に荷物をほどきながらマウロに声をかけられる。


「ユウ、今夜は一緒に食べよう。俺はこう見えても色々と用意しててね、調理道具も一式持ってきてるんだよ。ほら」


 言いながらマウロが、かなり年季の入った鉄製鍋に古びた木製おたまなどを背嚢はいのうから取り出した。横にはまとめられた薪もある。


 それを見たユウは顔を引きつらせた。初日にふらついた様子を思い出す。


「そのたくさんある薪って売り物じゃなかったんですか。あんまり人の荷物にあれこれ言うべきじゃないんでしょうけど、マウロさんって体があんまり強くないんですから荷物は少ない方がいいんじゃないですか?」


「まぁね。でも、やっぱりたまには温かい物が食べたいじゃないか」


「気持ちは痛いほどよくわかりますけどね。さすがに毎日干し肉は飽きますし」


「そうだろう! だから今日は一緒に食べようじゃないか」


「はい。でも、僕は干し肉くらいしか持っていないですよ?」


「充分だよ」


 喜ぶマウロに強く言えないユウは夕飯の支度を手伝った。炊事の準備は慣れたもので手際よく進めていく。


「へぇ、すごいね。随分と手慣れてるじゃないか」


「よくやっていますからね。鍋に入れる水はありますか?」


「今入れるよ。ちょっと待って」


 感心しながら見ていたマウロが背嚢の中から水袋を取り出した。口を開けて用意された鍋へと薄いワインを注ぐ。


 それを見ていたユウは並行して火を点ける準備に入った。火口箱を用意して鍋の下の薪に火を点けようとする。ところが、薪が濡れていることに気付いて驚いた。原因を目で追うと鍋の底からわずかに漏れている。


「うわ!? マウロさん、ちょっと待った! 漏れてる、水が漏れてますよ!」


「え、何だって? ありゃ、本当だ!」


 ユウと同じように薪の部分へと顔を向けたマウロが目を剥いた。慌てて水袋を手放して鍋底を手でふさぐ。


「どうしよう。まさか鍋の底に穴が空いていたなんて!」


「前に使ったときは平気だったんですか?」


「何ともなかったよ。でもかなり古いからなぁ。また修理してもらわないと」


「それより、鍋に入ってる水をどうします? マウロさんが飲み干しますか?」


「さすがにこの量はちょっときついかな。お腹が水袋になっちゃうよ」


「だったら、こちらの鍋に移し替えてはどうですか? お買い上げいただいて」


 どうしたものかと2人で悩んでいると、横から声をかけられた。2人が同時に顔を向けると、大きな荷物を背負った浅黒い肌にやる気の満ちた顔をした青年が笑顔を向けてきている。


 正確にはラウロに目を向けている青年は、手にした鉄製鍋をよく見えるように両手で持っていた。そして、更に一歩前に進んで口を開く。


「私はオレステという行商人です。お困りのようでしたので声をおかけしました。旅の途中で道具が壊れてしまうなんて大変ですよね。しかし、私のような行商人がそばにいたあなたは幸運だ。旅の道具でしたら一通り取りそろえておりますので、お手頃な価格でお譲りしますよ」


「お手頃って、いくらだい?」


「そうですね。本来ですとこのような何もない場所ではリーアランド銀貨5枚が適切なのですが、特別に銀貨3枚でいかがでしょう」


「銀貨3枚!?」


 値段を聞いたマウロが絶句した。その顔を見たオレステという行商人は笑顔を浮かべたままである。


 故郷での値段ならユウも知っているが、リーアランド王国での鉄製鍋の値段は知らない。ただ、街でかうより高いくらいは想像がつく。


「マウロさん、ちなみに同じお鍋を街で買ったらいくらになるんですか?」


「場所にもよるけど、中古品で銅貨10枚くらいかな」


「銅貨10枚、それってリーアランド銀貨1枚ってことですよね?」


「そうだね。こういう街道上で買うときはいくらするのかまでは知らないけど」


 言いながらマウロは悩ましげに黙った。


 その様子を見ていたユウは心配そうにマウロを見る。ユウなら即断で断る話だ。しかし、自分の考えを押しつけても良いものか迷う。


 そのとき、自分の背嚢の中にある鉄製鍋のことをユウは思い出した。念のため、提案する前にマウロへと確認する。


「マウロさん、野営で料理するときに自分のお鍋でないと許せないなんて性格たちですか?」


「いや、別にそんなことはないけど」


「だったら、次の町までは僕の持ってるお鍋で料理してはどうですか?」


「いいのかい?」


「どうせ一緒に食べるんですし構わないです」


「うーん、そうだね。それじゃそうさせてもらおうかな」


「今からお鍋を取り出しますから、もうちょっとそのままで待っててください」


 話がまとまったところでユウは自分の背嚢から鉄製鍋を取り出した。そして、マウロに鍋の中身を移させる。一連の作業が終わると簡易のかまどの上に置いた。


 それからユウはふと振り返る。引きつった顔のオレステが鉄製鍋を持ったまま立っているのを見かけた。一言声をかける。


「オレステさん、問題は解決しましたからもういいですよ」


「お前、よくも邪魔してくれたな」


「何言っているんですか。より得をする方を選ぶのは商売人や行商人の基本でしょう?」


「ぐっ」


 何も言い返せなかったオレステは恨めしそうにユウを睨みながら立ち去った。


 それを見送ったユウはすぐにしゃがんで薪に火を点ける。湿った薪は避けて乾いたものに点火したので、いつも通り火がゆっくりと湧き上がった。


 パンを取り出したマウロがユウに顔を向ける。


「俺はパンを出すから、ユウは干し肉をちぎって入れてくれ。湯が沸いてからだぞ」


「わかりました。後で出します」


 火を大きくしながらユウはマウロに答えた。まずは焚き火の勢いを強くしてからである。風がほとんどない今日は調整がやりやすい。


 楽しそうなユウは作業に没頭した。

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