南方辺境の玄関口

 白銀の山脈と竜鱗の山脈に挟まれた銀竜の高原を南に抜けると一気に気温が高くなる。同じ3月の後半でも、高原の北側はまだ春直前なのに対して、ここ南側ではもう春真っ盛りだ。日差しから受ける恩恵もより強くなって寒さで震えることもなくなる。


 気候が大きく変わったことを感じた黒目黒髪の少年ユウは、フロントラの町の郊外で停まった荷馬車から降りて周囲を見た。建物は石材の比率が高くなり、壁は白塗りされていることが多くなる。また、往来する人々の姿も、男はつばあり帽子に全身を覆える外套という姿ばかりになる。女が頭巾にチュニックワンピースのままだけにその変化が大きく感じられた。


 浅黒く彫りの深い顔のガイオが配下の護衛に集合をかける。明日1日は荷物番以外は休みと連絡するとすぐに解散宣言した。しかし、ユウと同僚のラウロだけは残る。


「お前ら2人には報酬を渡す。受け取れ」


「今回はラウロも受け取るの?」


「オレにも色々と都合があるのさ。それじゃお先。日差しで火傷する前に、ちゃんと帽子と外套を買うんだぞ」


 革袋の中身を確認したラウロはそれを懐にしまうと上機嫌な様子で街へと足を向けた。


 去って行く同僚を尻目にユウは自分の革袋を受け取る。


「確認しました。僕も行きますね」


「ああ。ラウロの言う通り、リーアランドで活動するなら帽子と外套は買って置いた方がいい。夏場は冗談抜きで日差しがきついからな」


「わかりました。明日買いに行きます。古着屋に売ってますよね?」


「その通りだ。街の南側にある市場に行くといい」


 場所を教えてもらったユウはガイオに礼を述べると背嚢はいのうを背負って踵を返した。最初に向かうのは夕食を提供してくれる店だ。夕闇が迫る中、安酒場街を探す。


 故郷の街と似たような混み具合に懐かしさを感じるユウだったが、同時に異なる臭気に異国情緒も見出していた。人が変われば臭いも変わることは承知しているものの、その原因はさすがにわからない。


 銀竜の街道沿いには宿屋が並んでいたので、ユウは脇の小道へと入ってみる。少し進むと小道の両脇に酒場が並び始めた。初見の場所なので選ぶ基準もないため、目についた店に入る。


 そこは、汚れた白い壁の石造の店舗だった。店内はそれほど広くなく、丸テーブルが4つと奥にカウンター席がいくつかあるだけだ。客はまだ誰もおらず、浅黒い肌の給仕の中年女は暇そうに立っている。


 背嚢を肩から下ろしたユウは奥のカウンター席に座った。カウンターの奥には料理人らしき浅黒い肌の中年がおり、ユウを見た後に給仕の中年女へと目を向ける。


 最初はぼんやりとしていた給仕の中年女はユウが席に座ると近づいて来た。少し珍しそうにユウの姿を見てから口を開く。


「北の人かい? 珍しいじゃないか」


「そうなんですか? ここって銀竜の高原の出入り口みたいな町でしょう。バイファーの町からたくさん人が来ているんじゃないんですか?」


「意外とそうでもないよ。あの高原は気軽に越えられる所じゃないしね。往来する人間は大体リーアランド王国こっちがわの商売人なのさ」


「なるほど。飛翼竜ワイバーンは怖いですもんね」


「そういうことさ。で、注文は?」


 雑談が終わると給仕女は片手でカウンターに手を突いてユウに尋ねた。


 わずかの間目を閉じたユウはすぐに開いて返答する。


「こっちの料理はバイファーの町でピザを食べたくらいなんですよ。なにかお勧めってありますか?」


「そうだね。ピザなら豚、牛、羊って肉を選べるよ。全部入れた肉盛りピザってのもあるけど、こっちは値段が倍になるわね。他には、チーズもあるよ。こっちじゃ何百種類ってあるんだけど、北から来た人じゃわかんないだろうから皿に盛り合わせたやつがあるわね。ワインと一緒だといいわよ」


「ワイン、ワインですか。エールはないんですか?」


「あるよ。ただし、ワインの倍近くするけどね」


「うーん、そっかぁ。それじゃ、ピザとチーズとワイン、かな。ピザは羊の肉で」


「いいわよ。あんた、聞いてたね! ピザを焼いとくれ! チーズとワインはすぐに持ってきてあげるよ」


 カウンターの裏側へと回る給仕女の背を見ながらユウは唸った。前にワインを飲んだときの記憶が蘇る。酸っぱいという印象しかなかった。安さに惹かれ、給仕女の言葉を信用したのだが、結果は口にするまでわからない。


 木の皿と木製のジョッキを両手に持った給仕女が戻って来た。代金と交換でユウの目の前に置かれる。白っぽいもの、固そうなもの、白に藍色の筋や斑点が混じったものなど、実に色々と盛られていた。そのどれもが一口サイズだ。


 ユウが最初に口へ入れたのは固そうなチーズだった。牛乳を成熟させた濃厚な味が口の中に広がる。溶けるほどに口の中がチーズ一色となり、飲み込んでも口の中には味が残った。


 ここで木製のジョッキのことをユウは思い出す。赤黒い液体をみてわずかに緊張するが、ゆっくりと口に含んだ。すると、口の中が洗われるだけでなく、酸味が甘みを駆逐していく。


「あれ? 悪くない?」


 以前はこの酸味が苦手だったユウは目をぱちくりとさせた。まだ酸っぱさにいくらか抵抗はあるものの、今回は苦手意識がほとんど湧いてこない。


 次いでユウは白に藍色の筋や斑点が混じったチーズを口にする。すぐに口の中で溶け、乳の甘みが広がった。同時に癖の強さが気になるがまだ我慢できる範囲だ。食べ終わるとジョッキを傾ける。


「これはちょっと苦手かな。でも、ワインと一緒ならなんとか」


 口に含んだワインを飲み込んだユウは独りごちた。好感の持てるものとそうでないものを実際に試して選り分けていく。


 木の皿にあるチーズはまだいくつもあった。ユウはそれを1つずつ試してはワインで口の中を洗っていく。繰り返していくうちにワインも平気になってきた。


 1つずつゆっくりと楽しんでいたユウは気付けば皿の中がもう空だということに気付く。木製のジョッキの中も半分以下に減っていた。


 しばらく考えたユウは給仕女を呼ぶ。


「ピザはまだ時間がかかりますか?」


「そうだね。今焼いているから、もうしばらく待ってもらうしかないね」


「だったら、チーズの盛り合わせをもう1皿ください」


「おや、気に入ったかい。すぐに持ってくるよ」


 嬉しそうに笑った給仕女がカウンターの奥へと入って行った。それと同時に別の客が入ってくる。チーズの盛り合わせをユウの前に置くと給仕女はすぐにそちらへと向かった。


 再びチーズを手に取ったユウは先程と同じようにチーズとワインを交互に楽しむ。また木の皿が空になるまで幸せなひとときは続いた。


 木製のジョッキが空になった頃、給仕女がピザを持ってやって来る。


「はい、ピザだよ。熱いから気を付けておくれ。食べ方は知ってるかい?」


「大丈夫です。ナイフなら持ってますから。それと、ワインをもう1杯ください」


「承知したよ。ちょいと待ってておくれ」


 給仕女が離れて行くのを尻目にユウは湯気を立たせているピザに目を向けた。以前の豚肉とは違って羊肉からは別の香りが漂っている。


 ナイフを取り出したユウは早速ピザを切り取ってパン生地を持ち上げた。すると、チーズがとろりと垂れ下がる。熱いことはわかっているので少しだけ囓ってみた。パン生地の抵抗と同時に熱いチーズが口内に広がる。羊肉の臭みはほとんどなく、チーズと油の味がひたすら自己主張してきた。


 顔をほころばせたユウが口を忙しそうに動かしてから飲み込む。


「やっぱりおいしいや」


 次に齧り付く前にユウはつぶやいた。それからチーズが尚も垂れる切り取ったピザに噛みつく。給仕女が木製のジョッキを置いていくのを目にした。


 こうして、ユウは前から気に入っていたピザを本場でも楽しんだ。最初は熱くてなかなか進まなかったが、時が経つにつれて手を動かす速度が速くなっていく。そして、気付けば食べ終わっていた。


 満足したユウは残ったワインをちびちびと飲んで食休みをし、腹が落ち着くと立ち上がる。


「おや、もう出ていくのかい?」


「はい。やっぱりピザはおいしいですね。あと、チーズも色々と楽しめました」


「そりゃ良かったよ。気に入ったやつがあったら言っとくれ。それだけ出すから」


「わかりました。ところで、街道沿いのような高い宿じゃなくて、安くて安全な安宿ってこの町にありますか?」


「そんなのどこの町にもないよ。安宿なら町の北門と南門から離れたところにあるけど、あんまりお勧めしないね」


「そうですか。ありがとうございます」


 残念そうな表情を浮かべたユウは背嚢を持って店を出た。すぐ脇の扉の近くに立ち止まると背負う。明日のことを考えると、できるだけ安いところに泊まりたい。


 今晩の宿について真剣に考えながらユウは宵闇の小道を歩いて行った。

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