高原上の湖

 トラデルの町に朝日が昇ると同時にドゥッチョの隊商の荷馬車は動き始めた。先頭の荷馬車から1台ずつ銀竜の街道に入り、南下しつつ車体を傾けて銀竜の高原を登っていく。


 荷馬車の後方に座っているユウは体を震わせていた。外套で体を包んで顔を沈めている。


「うう、寒い」


「荷物番で荷馬車を見張ってたからね。仕方ないさ」


「僕と一緒に荷物番をしていたはずなのに、どうしてラウロは平気なんですか?」


「慣れってのもあるんだろうけど、一番の理由はこれだよ」


 そう言ってラウロは水袋を右手で持ち上げて軽く振ってみせた。


 にやりと笑う相棒の意図を察したユウは首をかしげる。


「確かにお酒を飲んだら体は温まりますけど、手足の隅々まで平気ものなんですか?」


「足先に布を巻いてブーツに足を突っ込むといくらか楽になるぞ。手は手袋をしたら断然違う。ほらこれ」


「こんなのがあるんなら先に教えてくれても良かったじゃないですか」


「てっきり持ってるって思ってたんだよ」


「つばあり帽子と全身を覆える外套も持っていないのに、そんなの持っていないですよ。これから行く高原って今より寒い場所なんですよね。知ってたらトラデルの町で無理してでも買ってたのに」


「それは正直悪かったと思ってる。でもまぁもう過ぎたことだし、しょうがないだろ」


 しょげかえるユウに対してラウロは肩をすくめながら慰めた。


 2人が雑談をしている間にも荷馬車は高原の坂の曲がりくねった道を登っていく。外を見ても連なるドゥッチョの荷馬車しか見えない。他は距離感が狂うくらいに白かった。


 しばらく震えながら拗ねていたユウだったが、ふとした疑問が湧いたのでラウルに尋ねる。


「ラウロ、雪が降るときって雨と似たようなものなのかな?」


「むちゃくちゃ寒いから、そのまま外套をまとって小さくなっておくんだぞ」


「そっちの外套は温かそうでいいなぁ」


「寒さをある程度防げるのは確かだね。だからここでも役に立つんだ」


「ああ、やっぱりトラデルの町で買っておけばよかった」


 また話がそこに戻ってしまったユウはがっくりとうなだれた。


 その日はひたすら高原の坂を登り続けて終わる。野営は登りきった場所で準備を始めた。


 急速に暗くなっていく中、円陣となった荷馬車の外に篝火かがりびを設置し終えたユウがラウロに話しかける。


「この高原で危険な獣や魔物って何になるんですか?」


「地上なら狼だな。あいつら雪のある間は白い毛を生やしているから見分けがつきにくいんだ。けど、こいつらは今まで通り野営をしていたらそんなに怖くない」


「それじゃ、他に何がいるんです?」


飛翼竜ワイバーンさ。竜の一種だよ」


 返答を聞いたユウは目を剥いた。爬虫類のような姿をしていながら、人間よりも圧倒的に強い種族だ。よくおとぎ話で敵役になるので悪い印象が強い。


「あの、鋭い爪で鉄をも切り裂き、吐き出す熱い炎で岩さえ溶かし、人間より高度な魔法を操る、あの竜なんですか?」


「なんかえらく仰々しいな。まぁでもそうかと問われたら、はいって答えるしかないが。ただ、竜種とはいっても最下層の連中だよ。炎は吐かないし、魔法も使わない。オレたちの上をくるくる飛んで、たまに降りてくるだけさ」


「簡単そうに言ってますけど、本当にそうなんですか?」


「大体はね。でなきゃこの高原をオレたちが往来できるわけないだろ」


「確かに」


 指摘されてユウは冷静になれた。言われてみればその通りで、どうにもならないくらいの危険な魔物が住みついていたらこの辺り一帯を街道として利用などできない。


 安心するユウにラウロは更に話す。


「ただし、厄介なのは確かだぞ。何しろずっと空を飛んでるから弓でないと攻撃できない。それと、爪が鋭いのはその通りで、でかい飛翼竜ワイバーンの爪なんかは本当に鉄の盾を貫通することもあるらしい」


「そんなのどうやって撃退するんですか?」


「急降下してくるヤツに対して矢を射るしかない。あいつらだって痛いのはイヤだから、攻撃されたら避けようとするしな」


「そうなると、僕は弓を持っていないんで何もできないですね」


「そうだな。だから、連れ去られないように隠れておくんだぞ。1度捕まったら助けてやれないからな」


 いくらか真面目な表情になったラウロの言葉にユウも真剣にうなずいた。


 翌朝、ユウは野営場所からはるか南に青い海か湖が見えることに気付く。緩やかな下り坂の果てにあるそれは水平線の彼方まで続いていた。


 朝食を食べているラウロにユウが尋ねると教えてくれる。


「銀鱗の湖だな。とんでもなくでかいんだが、昔はもっと大きかったらしい。何しろこの街道近くまで水位があったそうだからな。風によってさざ波が起きると日差しが反射して白銀のように見えるらしいが、近くまで寄ったことはないからオレは知らない」


「1度見てみたいですね」


「やめとけ。飛翼竜ワイバーンに狙われるだけだ。伝説では水浴びした銀竜の鱗が多数湖の底にあるらしいが、それを目当てに湖へ行った冒険者連中が散々な目に遭ったって話をよく聞くしな。やっぱり同じ冒険者だから行きたくなるのかい?」


「いや、単に湖を近くで見たかっただけです。銀光の川できらきら光るところを見損ねたんで」


「ははは! なんだそれ! 代わりに見ておきたかったってか」


 笑われたユウはしょげ返った。のんきに見物もできないとは残念に思う。


 そんなユウの思いとは関係なく、隊商は銀竜の街道を南下した。いつ飛翼竜ワイバーンに狙われるかわからないので急ぐことに越したことはないのだ。


 しかし、やはり狙われるときは狙われてしまう。ユウが周囲を警戒していると、隊商の前の方からかすかに騒ぐ声が聞こえてきた。そして、ついに御者台から叫び声が聞こえる。


飛翼竜ワイバーン来襲!」


 連絡を聞いたユウはすぐに後続の荷馬車へ手旗信号で伝えた。それを見た御者の顔が一気に緊張する。


「ユウ、絶対に顔を出すなよ! 狙われたら面倒だからな!」


「わかった!」


 ラウロは弓矢を持って急いで御者台へと移っていった。1人になったユウは後続の荷馬車の御者台を見る。そちらにも荷台から射手が現れた。


 荷馬車は幌がかかっているのでユウは真上を見ることができない。そのため、空を見える範囲は荷馬車の後方、幌のかかっていない範囲だけだ。澄んだ薄い色の空に大きめの雲が浮かんでいるが、見える範囲では他には見当たらない。


 状況がほとんど何もわからないまま事態は進む。後方の馬車の御者台で弓を持っていた射手が構えた。目一杯引き絞り、矢を放つ。


飛翼竜ワイバーンが来たんだ」


 射手が矢を射たということはそういうことだとユウは気付いた。しかし、何も見えないのでその後の状況がわからない。


 次いで射手が矢をつがえた弓を構えた。再び近づいているということになる。矢が放たれた。御者の悲鳴が聞こえる。


 そのとき、見えていた空を何かが遮ったことをユウは知る。蛇のような尻尾、蝙蝠のような翼、そして爬虫類のような鱗の灰色っぽい何かが上昇しながら遠ざかっていく。


「あれが、飛翼竜ワイバーン


 やがて幌のかかっている部分と重なって見えなくなった空飛ぶ魔物の後を、ユウはそれでも追い続けた。魔物自体はそれこそ無数に見てきたが、空を飛ぶ魔物は初めてだ。


 それからもしばらく隊商の迎撃活動は続いたが、やがて終了の合図が伝わってくる。結局、ユウが飛翼竜ワイバーンを見たのは1度だけだった。


 戦いが終わってしばらくするとラウロが御者台から戻って来る。


「相変わらずあれを相手にするときは緊張するよ」


「矢は当てられたんですか?」


「まさか! そんな簡単には当たらないよ。それに、当たっても胴体の部分だとはじき返されるだろうね。翼の部分は薄皮1枚らしいから刺さると思うけど」


「全員無事なんですよね」


「たぶんね。犠牲者が出てたら荷馬車も無事ではないだろうし、もっと混乱してたと思う」


「もう襲ってきてほしくないですよねぇ」


「まったくだ」


 疲れ切った様子のラウロがユウの感想に深くうなずいた。弓矢を荷台に立てかけるとぐったりとした様子で座り込む。


 ユウの願いが通じたのか、その後、銀竜の高原を移動している間にドゥッチョの隊商が飛翼竜ワイバーンに襲われることはなかった。毎晩のように野営地を狼に囲まれながらも進んで行く。


 銀竜の高原での最後の野営を終えた朝、ユウが南へと目を向けるとはるか地平線の彼方に豆粒のような物が見えた。銀竜の街道が続き先のそれはフロントラの町だ。ついに高原を抜けたのである。


「ようこそ、我らがリーアランド王国へ」


「ここが、南方」


 街道の傾斜がなくなったところで同乗するラウロがユウに声をかけた。


 山脈によって大陸の中央と切り離された地域、一般的には南方辺境と呼ばれる場所にユウは踏み込む。


 荷馬車は相変わらず同じように揺れていた。

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