高原の町(後)

 トラデルの町の天幕型の酒場に入ったユウはこの町特有の料理に手を付けようとしていた。給仕の説明に従って注文したもののうち、最初に手に取ったのは木製のジョッキだ。中には乳白色の液体が入っており、一見すると乳のようにしか見えない。


「これが馬乳酒か。臭いはちょっと臭いけど、塩が効いてこれなんだ。味は」


 鼻を近づけてその臭いに眉をひそめたユウだったが、真剣な目つきでそれを見つめてから口を付けた。すると、とろりとした食感と共に濃い乳の味と砂糖の甘さが口の中に広がっていく。これだけなら悪くなかった。


 しかし、最後に塩と砂糖によって隠されていた癖の強さが酸味と共に顔を覗かせる。緊張をほぐしたユウの顔が再び強ばった。木製のジョッキから口を離してしばらくそれを見つめる。


「これは、悪くないんだけど微妙だな。どう評価したものか」


 不味いわけではなかったが、ユウにとっては癖の強さがどうしても引っかかった。なので評価としては微妙である。


 気を取り直したユウは次にパンを手に取った。これにウルムというクリーム状の食べ物を塗る。パンの先にたっぷりと塗ると口で噛みきった。すると、しっとりとした食感とあっさりとした味に目を見開く。


「これはおいしい! 同じ乳からでもこんなに違う物ができるんだ!」


 口の中の物を飲み込んだユウはウルムだけをすくって食べてみた。パンと一緒に食べたときとは違ってふわふわとしている。まるで雲を水で溶いたものを食べているようだ。パン1つをウルムでたちまち食べてしまう。


 次いで目を向けたのはアーロルだった。見た目は細長い白い棒みたいで触ると弾力がある。皿に盛られたものを1つ摘まんだユウはそれを口に入れた。食感はねっとりとしているが、別の物を食べると少し乾燥している。結構ばらつきがあった。味はチーズとヨーグルトの中間くらいだ。


「これはなかなか。食後に馬乳酒と一緒に食べようかな」


 食べたユウとしては、食事の一品というよりもおやつに近かった。これは後に残すと決める。


 最後に肉入りスープの入った木の皿を手に取った。他の町の物とは違って乳で煮込んであるのが大きな特徴である。木の匙で肉の塊をすくって口に入れた。すると、柔らかくなった肉が口の中で簡単にほぐれていく。それに伴い乳の優しい味が広がった。


 口を動かしながら温かい乳を口に何度か入れる。いつも食べているスープとは違う味にユウは笑顔を浮かべた。パンを1つ取ってちぎってひたす。


「これはこれでいいな。お肉の塊が大きいのも嬉しい」


 店によっては肉の残骸しかないスープを出すこともあるので、この一点だけでも評価は高くなった。


 一通り口にしたユウは総じて遊牧民の料理も良いものだと感じた。馬乳酒のように引っかかるものもあるが、それでも飲めるものではある。


 自分の注文した料理がどのようなものかを理解したユウは改めて色々と手を付け始めた。




 天幕を出たユウは満足そうな表情を浮かべていた。しかし、冷たい風に当たると途端に震える。


「うう、早く宿に泊まらなきゃ」


 自分の両肩を抱えながらユウは暗い夜道を頼りない足取りで進んだ。たまに顔を覗かせる月の光で周りを確認しながら進むので歩みは遅い。


 こんな状態になるともう宿を選んでいる余裕などなかった。寝台の絵が描かれた木の板を見つけるとすぐにその天幕へ入る。


「あの、一晩泊まりたいんですけど空いてますか?」


「空いてるよ。トラデル鉄貨で50枚払ってくれたらね」


「これでおつりをお願いします」


「あいよ。好きなところで寝てくれたらいい。ただし、空いてるところに素直に入ってくれ。たまに端がいいってだだをこねる奴がいるが、そんなことをすると追い出すからな。それと、毛布はこれを使ってくれ。それで使い終わったらここまで持ってきてくれよ」


「あ、はい」


 指差された先には折りたたまれた毛布が幾重にも重ねて置かれていた。その一番上の毛布を取って受付係の脇を通り過ぎる。


 天幕という意味では先程の酒場と同じ形をしていた。床も木の板を敷いたものである。寝台についても今までと変わらないが、渡された毛布は普段安宿屋で使うような薄くてぼろいものではない。厚く温かそうなものだ。


 とりあえず3人用の寝台で1人だけ寝ている所を見つけると、ユウはその反対側で鎧を体から外して寝台の下に置く。それから端で横になった。厚手の毛布を被るとこれがなかなか暖かい。


 今晩はよく眠れそうだとユウは内心で喜びながら目を閉じた。




 翌朝、ユウは頭の寒さで目を覚ました。真冬だとたまにあることだ。


 何かいい方法はないかと思いつつもユウは起きる。背伸びをした後に寝台の脇へと手を伸ばして空を切ったことに目を見開いた。顔を向けると何もない。


「そうだ、荷物は荷馬車に置きっぱなしだったんだ」


 重い背嚢はいのうを背負うのも面倒だったのでそのまま置いてきたのだ。一瞬盗まれたのかと勘違いしてひやりとする。しかしそうなると、水袋は空のままで朝食の干し肉もない。更に三の刻前では店も開いていなかった。


 仕方がないのでユウは荷馬車に戻ることにする。用を済ませると鎧を身につけて宿を出た。今日は青空が半分ほど見える。


 白い息を吐きながらユウはドゥッチョの隊商まで戻った。自分の乗っている荷馬車を見つけると背嚢を引っ張り出し、干し肉と満杯の水袋を取り出す。


 一面銀色の地面を見ながらユウがぼんやりと朝食を食べていると声をかけられた。振り向くとガイオが近づいてくる。


「荷物番の時間までまだ間があるぞ」


「朝ご飯を取りに来たんです。荷物をこっちに置きっぱなしにしちゃってたんで」


「なるほど、さすがにこんな早くから店は開いてないしな。ということは、朝飯が済んだらまた出ていくのか」


「はい、冒険者ギルドに行ってみようかと思っています。どこにあるか知っています?」


「用がないから知らんな。道すがら聞けばわかるんじゃないのか?」


 当てが外れたユウは少し肩を落とした。ある程度ガイオと雑談をしてから再び町へと向かう。


 意外にも知っている人がいなくて苦労しつつも、ユウはどうにか冒険者ギルドを探し当てた。町の中心に近い場所にその天幕はあり、木の板には剣と鳥らしき絵が描かれている。


 三の刻の角笛が鳴るとユウは天幕の中に入った。昨晩訪れた酒場や今朝まで寝ていた宿屋と見た目は大差ない。奥にある組み立て式の机が受付カウンターで、これが唯一のようだ。


 数人の職員らしき日焼けした人々の視線を受けて気圧されるユウだったが、緊張しつつも受付カウンターまで足を運ぶ。


「あの、僕は冒険者のユウです。ここが冒険者ギルドだって聞いたんですけど合っていますか?」


「そうだ。見ない顔だな。よそ者か?」


「はい、別の町から昨日やってきました。それで両替について質問があるんです。コンフォレス銅貨とリーアランド銅貨って両替できるんですか?」


「たまによそ者からその手の質問をされるんだが、できない。コンフォレス銅貨はコンフォレス王国内かここで、リーアランド銅貨はリーアランド王国で使い切ってくれ」


「やっぱりそうなんですね。昨日酒場でスクレスト鉄貨はここで使えないのにバイファー鉄貨は使えるって聞いてどうなっているんだろうと思ったんですよ」


「今のトラデルはコンフォレス王国に臣従している。だからコンフォレス通貨が使えるんだが、バイファーの町は我々が臣従したときにはまだ王都だったんだ。その関係で、バイファー鉄貨だけは今も使えるんだよ」


「スクレスト市に遷都したときに鉄貨も切り替えなかったんですか?」


「バイファーの町とは交易が盛んだから鉄貨も使えた方が便利だが、スクレスト市とはそこまで直接的な繋がりはない。だからだよ」


 酒場で大まかに聞いていたことをはっきりと知ることができてユウは大きくうなずいた。今のところ、手元にはコンフォレス銅貨とトラデル鉄貨がわずかに残っている。交換できないのならば酒場で使ってしまうのが良い。


 昼食の方針を内心で決めたユウに受付係が更に付け加える。


「ついでだから言っておいてやるが、銀貨の交換比率に気を付けておけよ」


「どういうことですか?」


「やっぱり知らないか。コンフォレス銀貨に対して、リーアランド銀貨は半分の価値しかないからな。だから、金貨、銀貨、銅貨の交換比率もコンフォレスとリーアランドでは違う。たまに騙される奴がいるから気を付けろ」


「うわぁ」


 聞かなければ何も知らないまま両替をしたり使用したりするところだったので、ユウは慄然とした。今までは大差なかったのであまり気にしていなかったが、今後はそうもいかない。


 非常に重要な話を聞けたユウは礼を述べて冒険者ギルドを後にした。

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