高原の町(前)
バイファーの町から銀竜の街道を南下して最初の大きな変化は、銀竜の高原に差しかかってからだ。白銀の山脈と竜鱗の山脈の間に存在するこの高原は、伝説では白銀の鱗を持つ竜の縄張りとされている。雪に覆われた山脈と多数の竜種が生息する山脈に挟まれた地域にふさわしいおとぎ話といえた。
そんな銀竜の高原の北の端にトラデルの町はある。人口2千人程度で、町は木材と石材を合わせた建物を中心にいくつもの天幕が周囲を囲んでいた。コンフォレス王国に服従する遊牧民が自治する町だ。
3月ともなると平地ではそろそろ春の訪れを期待できるが、高原ともなるとまだ冬真っ盛りである。町も含めて一面銀世界だ。平地から訪れるとまた真冬に逆戻りしたかのように寒い。
どこを見ても白一色という、今までとはまったく異なる景色の町を見てユウは衝撃を受ける。
「あれ? 城壁はどこにもないの?」
「トラデルにはないんだ。往来する隊商と取り引きするための場所として開かれたのが始まりなんだけど、このトラデル自治領を支配している遊牧民は定住しないからね」
目を見開いているユウに対して一緒に荷馬車を降りたラウロが横から説明をした。
その話に首をかしげたユウが更に尋ねる。
「え、それじゃどこに住んでいるんですか?」
「あの白っぽい天幕があるだろ? あれが遊牧民にとっての家なのさ。放牧している家畜と一緒にあちこちを移動して、その都度あの天幕を組み立てて生活しているらしいんだ」
荷馬車を降りたユウはまったくの別世界のような場所をひたすら眺めた。あまりにも今までと違いすぎていくら見ても飽きない。
そんなユウもガイオからの集合がかかって慌てて駆け寄る。
「よし、全員揃ったな。明日は1日休みとなる。荷馬車の見張り番以外は好きにしていいぞ。出発は明後日の朝だ。それと、ユウはここに残れ、以上だ」
自分以外が散って行くのをちらりと見てからユウはガイオに向き直った。何の話か見当もつかない。
「聞き忘れていたことがあったので今確認しておく。報酬の件だ。まず、通貨はコンフォレスかリーアランドのどちらがいい?」
「そういえば決めていなかったですね。リーアランドでお願いします」
「わかった。次に、報酬は目的地に着いて一括で支払った方がいいか? それとも町に着く度に支払った方がいいか?」
「あれ? 選べるんですか?」
「バイファーからリーアまで約1ヵ月の旅になる。その間に金が尽きる連中もたまにいるんでな。町単位での支払いも受け付けている」
「でしたら、町単位でください。みんなが身に付けている帽子と外套を買いたいんです」
「確かに南方へ行くのなら必要だな。わかった。これを受け取れ」
差し出された革袋を受け取ったユウが目を丸くした。随分と用意がいいことに驚く。中身を確認すると確かにリーアランド通貨だった。再びガイオの顔を見る。
「以上だ。ユウは明日の夜は荷物番だ。遅れるなよ」
「はい。わかりました」
革袋を懐にしまったユウはうなずいた。これでしばらく自由の身だ。
踵を返して去って行くガイオの背中を見ながらユウは顔をほころばせた。
隊商の報酬支払いの方針のおかげでユウはリーアランド通貨を手に入れることができた。トラデルの町で割高の南方系の帽子と外套を買わなくてもよくなったのだ。衣類は例え古着であっても高いので、安く手に入るところで買えるならそれに越したことはない。
この町で最もやらなければならないことがなくなったのでユウの気は完全に抜けた。白い息を盛大に吐きながら、ユウは徐々に暗くなっていく中を進む。
「明日のことは明日考えようかな。とりあえずご飯が食べたい」
食欲に敗北したユウは食べる場所を求めて歩いた。ところが、どこも同じような天幕ばかりで何の建物かさっぱりわからない。
途中で気付いたユウは、往来する中から1人の中年男性を選んで声をかける。
「あの、この町でご飯を食べるお店ってどこにあるか教えてもらえますか?」
「旅の人かい。この辺は宿ばかりだからな、もっと南に行くといい」
「ありがとうございます。ところで、さっきこの町に着いたばかりなんですけど、どれも同じ天幕に見えて見分けがつかないんです」
「外から来たらそりゃわからんだろうな! 天幕の入り口の上を見るといい。木の板があるだろう? あそこに匙と皿の絵があったら飲食店、ジョッキの絵があったら酒場、寝台の絵があったら宿屋だよ」
「なるほど、ありがとうございます!」
天幕の見分け方がわかったユウは笑顔で礼を述べると再び歩き始めた。
雪がうっすらと積もる中、ユウは天幕の入り口に掲げられている木の板を見る。しばらく寝台の絵が多かったが、あるときから匙と皿の絵やジョッキの絵に取って代わった。その中の1つ、匙と皿とジョッキが描かれた木の板の入り口の幕をめくって入る。
天幕の中はユウの予想よりも広く温かかった。床はむき出しの地面ではなく木の板が敷いてあり、それでいて側面の壁と上面の天井は天幕そのものだ。どれも初めて見る。
その天幕店の中央には太い柱が立っており、周囲に丸テーブルがいくつかある。ただし、店の奥3分の1は手前に仕切りがあって入れない。
珍しそうに店内を見ながらユウが空いているテーブルを1つ占めた。すると、すぐに給仕の男がやって来る。
「何にしますか?」
「ご飯を食べに来たんだけど、この町特有の食べ物は何かあるかな? いつもはエール、パン、肉入りスープ、それと肉なんかを食べているんだけど」
「でしたら、馬乳酒、黒パン、ウルム、アーロル、肉入りスープですかね」
「聞かない名前が多いね」
「おらたちがいつも食べてるやつですからね! まず、馬乳酒ですが、これは馬の乳から作った酒です。ただ、酒と言ってもほとんど酔わないですよ。おらたちも小さい子供のときから飲んでますからね」
「もしかして、薄いエールみたいな感じ?」
「酒としてはそんな感じです! ただ、見た目はどろっとしてますので人によってはシチューみたいだって言ったお客さんもいますね。おらたちはこれをそのまま飲みますが、よそから来た人には癖が強すぎるみたいなんで、塩や砂糖を入れるのがお勧めです」
「だったら僕は入れた方がいいかな」
「馬乳酒は1杯トラデル鉄貨10枚、塩と砂糖入りだと片方で5枚ずつです。ちなみに、塩は臭みを取ってくれて、砂糖は甘くしてくれます」
「だったら僕のは両方入れてください」
「わかりました! 次はウルムですけど、これは皆さんの言葉ですとクリームとバターの中間くらいって言えばわかりやすいですね。パンに塗って食べてもいいですし、ウルムに砂糖を混ぜて食べてもいいです」
「ごめん、クリームもバターも食べたことないんだ」
「えぇ」
給仕には予想外の返答だったらしく困惑していた。
若干いたたまれなくなったユウは先を促す。
「アーロルっていうのは何かな?」
「えっと、羊の乳から作った食べ物です。乾燥チーズって言ったらわかりやすいです。味はチーズとヨーグルトの中間くらいかな」
「最後、肉入りスープも言ってたよね。他の町と違うの?」
「トラデルでは羊の乳で肉を煮込んでいるんですよ」
「乳関係が多いね」
「水は貴重なんですよ、ここではほとんどないんで。ですから、エールやワインなんかも高いです。みんな他から運んでこないと手に入らない物ばかりですから」
給仕の話を聞いてユウはわずかに目を見開いた。町の周囲に畑が1つもないことを思い出したのだ。そのため、乳製品以外はすべて外部から持ち込んでこないと手に入らないのである。
「それじゃ、今説明してくれたやつを持ってきてくれるかな。パンも。それと、馬乳酒には塩と砂糖を入れてほしい」
「わかりました。すぐに持ってきます!」
笑顔を浮かべた給仕は仕切りの奥へと姿を消した。パン以外は未知の食べ物ばかりなので不安は大きいが、好奇心はそれを上回っている。
やがて料理が運ばれてきた。いつもと違って全体的に白い。
「全部でコンフォレス銅貨1枚です。バイファー鉄貨も使えますよ」
「え、あの鉄貨使えるんですか?」
「あの町はおらたちにとっては特別ですから。でも、スクレスト鉄貨は使えないです」
「コンフォレス王国内ならあの鉄貨はどこでも使えると聞いたんだけどなぁ」
「ここは自治領だから王国内の他の場所とは違うんですよ。お客さんはどっちの通貨を持ってます?」
「バイファーの方を少しだけ。スクレストは使い切ったからないよ」
「それは運がいい」
にっこりと笑う給仕が去った。
その後ろ姿を見ながらユウはため息をつく。通貨事情は政治と歴史が大きく絡むので予測しにくい。
ともかく、今晩の夕食にありつけたユウは雑念を振り払って食事を始めた。
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