平原で襲いかかってくるものたち(前)
銀竜の街道を南下して町の圏外に出ると見渡す限り広大な平原となった。街道以外は何もなく、見渡す限り真っ平らで、地平線の彼方で雲に覆われた空と接している。
最初はその雄大な光景に瞠目していたユウだったが、半日もするとさすがに飽きてきた。いくら移動してもまったく代わり映えしない風景に眠気に襲われる。
「寝ててもいいけど、周りの気配は探っとくんだぞ」
「さすがにそんな器用な真似はできませんよ。ラウロは眠くならないんですか?」
「ばれないようにこっそりと寝るのさ」
「堂々と寝たらどうなるんですか?」
「さすがに起こさなきゃいけなくなるね。ちなみに、そのときの手段は問わないんだ」
「それじゃ、僕もラウロが寝ているのを見つけたら、何してもいいんですか?」
「見つけられたらね」
会話が途切れて馬車の振動音だけが荷台の後方を支配した。ラウロは面白そうに肩をすくめる。
自信たっぷりの表情で返答されたユウはため息をついた。そうして、話題を変える。
「そういえば、ラウロの武器はなんですか? ナイフしか持っていないように見えますが」
「弓だよ。矢を放つんだ。見ての通り、周りは眠くなるほどだだっ広いだろ? 銀竜の街道の周りはずっと大体こんな感じだから、飛び道具があると便利なのさ」
「なるほど、届かない場所から一方的に攻撃するわけですね。それは怖いなぁ」
「どの荷馬車にも1人は射手がいる。この荷馬車にはオレってわけさ。当たらなくても打ち続けていたら近寄れないしね」
「でも、矢の数にも限りがあるでしょう?」
「ところがそうでもないんだ。矢は隊商で用意してくれるし、いくら使っても
手招きしてユウを呼び寄せると、ラウロは自分の背後に立てかけてある弓といくつもの矢筒を見せた。そのどれもが馬車の振動に合わせて揺れている。
「こんなにたくさん。でも、使い放題なんてしたら隊商が損するんじゃないですか?」
「普通ならね。でも、ガイオ隊長配下のオレたちは腕はいいし、むやみやたらに矢を射たりしないんだ。忘れてるみたいだが、オレたちは専属護衛なんだぜ。そこいらの傭兵とは違うのさ」
「なるほど」
「それに、矢を惜しんで敵に近づかれたら大変なことになるよ。乗り込まれて荷馬車の上で戦いが始まったら商品は確実に傷むしね。結局、このやり方の方が安上がりなんだ」
自慢げにラウロから説明されたユウはうなずいた。納得したからというよりも、そんなものかという軽い同意だ。実際のところどうなのかはまだわかっていない。
銀竜の街道の旅は初日から野営だった。耕せば畑になりそうな平原が町から1日もしないところまで広がっているのは戦争のせいである。コンフォレス王国とアンチルフ王国が争っているので南部にまで手が回らないのだ。
それはともかく、夕暮れどきになると隊商の荷馬車は街道の脇で円を描くように停められた。その円の外周で、荷馬車と荷馬車の間に位置する場所には小さい
各荷馬車に積み込まれている篝火の機材を取り出し、ラウロの指示を受けながら設置していく。
「荷馬車を丸く停めるなんて初めて見ましたよ」
「そうか? だだっ広い平野のど真ん中で泊まるとなると、夜にどこから獣や魔物に襲われるかわからないからね。進入路を限定するのさ」
「篝火は何のためですか? 逆に目立つように思えるんですけど」
「獣は火を見ると警戒して近寄って来ないし、魔物も似たようなもんだ。そりゃたまに襲われることはあるけどね。けど、そんなときは篝火の明かりで何かが近づいて来たことがすぐにわかるし、中には篝火を倒して派手に音を立てるヤツもいる」
「鳴子代わりですね」
「そーゆーこと。さ、早くやっちまってメシにありつこう」
急かされたユウは篝火の機材を組み立て、中に木を入れて火を点けた。こういうときに火口箱を持っていると便利である。
野営の準備が終わって荷馬車の輪の中で食事を始めると、ガイオから夜の歩哨、見張り番についての説明が始まった。木の匙と木の皿を持ちながらユウも話を聞く。
「歩哨はいつも通り行う。前回は前から5番目と6番目の荷馬車の護衛が担当して終わったので、今回は7番目と8番目の護衛から始める。ユウは初めてなので言っておくが、俺たちは夜の歩哨を荷馬車の護衛単位でする。1回につき鐘1回分の3分の2だ。何かあったら大声で知らせろ。細かいことはラウロに聞け」
「はい」
「よし、何もないヤツはメシを喰ったらさっさと寝ろ」
説明が終わると、周囲にいた者たちは再び自分たちの食事に戻った。
名指しされたユウも塩味がきつめのスープをちびちびと食べる。隣に座っているラウロも旨そうに食べていた。そんな先輩格の相棒にユウは話しかける。
「この辺りの夜って何が危険なんですか?」
「獣や魔物かな。野犬、狼、
「昼間は全然見かけませんでしたよ?」
「そうなんだよなぁ。あいつら、夜になったら寄って来やがるんだ。一体どうやって嗅ぎつけてくるのやら」
「よく襲ってくるんですか?」
「その時々だな。来るときは1日に2回3回と襲ってくるし、来ないときは何日も来ない。獣同士や魔物同士で食い合ってくれたら嬉しいんだけど」
必要なことを聞き出しながら食事を済ませると、ユウはラウロと一緒に見張り番として荷馬車の円の内側に立った。その直前、少し真剣な表情のラウロからユウは教えられる。
「いいかい、ユウ。僕たちの歩哨で最も大切なのは2つ。1つは、近づいてくる外敵を見逃さないこと。もう1つは、篝火の炎を絶やさないことなんだ」
「その火で獣や魔物を遠ざけているからですか?」
「そうだ。だから、外敵だけじゃなくて篝火の火の勢いにも気を配るんだよ」
「わかりました」
「ただし、獣や魔物の気配を感じても、こっちに近づいて来なければ無視していい。隙を見せなきゃ日の出前には諦めてどこかへ行くから」
「それって見極められるんですか?」
「襲ってくるヤツは篝火の届く範囲まで入ってくる。姿を見せなけりゃ大丈夫だと思っていい」
不安に思いつつもユウは円の一角に立った。夕食が終わって周りが急速に静かになり、わずかな物音くらいしか聞こえなくなる。ちらりと他の見張り番を見ると、ラウロも他の荷馬車の護衛たちもじっと前を見ていた。全員真面目にやっているのを知る。
昼間荷馬車に乗って移動しているときのように眠たくなるかと思っていたユウだったが、意外にもそんなことはなかった。早速獣らしきものの気配を察知したからだ。しかも複数である。
「えぇ、こんなに寄ってくるの?」
今までの護衛の旅ではなかった事態にユウは顔を引きつらせた。篝火の明かりの範囲外なので姿は見えないが、たまに向けてくる不気味に輝く瞳の数が予想以上だったのだ。
再び他の見張り番にちらりと目を向けるが先程と何も変わらない。ユウの担当範囲に数匹の獣か魔物がいるのなら、他の所にもいておかしくないはずだ。しかし、誰も何も言わないということは大丈夫なのだろう。
「こんなことってあるんだ」
信じられないような気持ちでユウは前に向き直った。獣の森でも夜明けの森でもすぐに襲撃されていただけに目の前の事態がなかなか受け入れられない。どちらが一般的なのかわからなかった。
結局、1度篝火に木をくべる以外は何もしないで終わる。時間になると次の護衛と交代して眠った。
翌朝、ユウは篝火を片付けて朝食を食べているときに、昨日の出来事についてラウロに話す。
「ラウロ、本当に獣は襲ってこなかったね! 僕、絶対どこかで襲ってくると思ってたのに! あいつら最後まで篝火の外をうろうろしているだけだった!」
「なんかユウは獣や魔物が襲ってくるって決めつけてるみたいだね。きみの故郷だとすぐに襲われるのかい?」
「そうだよ。殺すか怪我をさせるまで絶対に諦めないんだ」
「むちゃくちゃ凶暴だな。オレ、そんなところには行きたくないや。ていうか、ベリザリオのヤツ、そんなところに行ったのか」
「まぁ、森に入らなければ大丈夫だと思いますよ」
「あいつはそれを知っているのかい?」
指摘されたユウは説明していないことを思い出した。あのときのベリザリオは戦争に参加したがっていたのでそのことしか話していない。ただ、戦争はトレジャー辺境伯爵領の東部が中心なので、西部にある森に入る可能性は低いはずだった。
きっと、たぶん、大丈夫と自分に言い聞かせながらユウはラウロから目を逸らす。そんなユウの姿を見たラウロは肩をすくめるのだった。
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