それぞれへの玄関口

 魂魄の湖に流れ込む雪の川の河口にバイファーの町はあった。元は霧の森を切り開く開拓団の拠点として始まったこの町は、その性質を交易の拠点に変えて現在も続いている。


 渡し船で雪の川の東岸に着いたとき、ジェズは疲れ果てていた。街道を移動していたときに事故に遭い、右後輪が異常をきたしてしまったのだ。以来、ジェズは夜もろくに眠れないほど心配して今や放浪した末の難民のような顔をしている。


 どんよりとした空が暗くなる中、川の東岸から町の西門までの短い白銀の街道から外れて原っぱに荷馬車が停まった。その後ろを歩いていたユウは立ち止まって背嚢はいのうを背負い直す。そして、ノーマンに続いて荷馬車の御者台に近づいた。


 荷馬車に背を預けてため息をついているジェズにノーマンが声をかける。


「旦那、最後まで馬車が保ってくれて良かったですね」


「まったくだ。あー心臓に悪かった。けど、後で修理しないといけないんだよなぁ。ああ、また費用がかさむ」


「その分稼いだらいいでしょ」


「わかってるよ! ただ、そっちもこの3日の遅れがどう影響するか。急がないと。おっとそうだ、ユウ!」


 呼ばれたユウがノーマンの前に出た。今までのジェズの様子を見ていて困惑した笑みを浮かべている。


 そんなユウの態度に気付かないまま、ジェズは懐から小さな革袋を取り出して放り投げた。それをユウが受け取ると口を開く。


「今回の報酬だ。中身を確認しといてくれ」


「確かにありますね。あの、何て言うか、これからも頑張ってください」


「ありがとよ。本当ならもっと感傷にひたる場面なんだろうが、今はそれどころじゃないんだ。ああ、俺の荷馬車が」


「ええ、わかっています」


 当たり障りのない言葉を選んだユウが、ため息をつくジェズからノーマンに顔を向けた。こちらは面白そうに苦笑いしている。


「これでとうとうお前との旅も終わりだな。最後に面白いことがあったが」


「何が面白いことだ! 笑えねぇだろ!」


「落ち着いてくださいって、旦那。ともかく、お前と一緒に仕事ができて良かったよ」


「ありがとうございます。ノーマンはここでジェズの仕事が終わったら、またウェスポーの町に戻るんですよね?」


「旦那次第だな」


 自分の荷馬車に思いを馳せてうなだれているジェズにノーマンが目を向けた。しかし、すぐにユウへと戻す。


「それで、お前はこれからどうするんだ? このまま東に向かって中央に行くのか? それとも南の辺境に行くのか?」


「わからないです。そのとき次第ですね」


「気ままだなぁ。羨ましいよ」


「とりあえず冒険者ギルドは明日でいいかな。あ! そういえばこの町の冒険者ギルドってどこにあるんですか?」


「ここから南に行けばあるよ。町の南西、川沿いに大きな建物がある」


「ありがとうございます! それじゃ、僕はこれで!」


 受け取った報酬を懐にしまったユウは踵を返した。


 バイファーの町の北側は魂魄の湖に面しているため貧民街が広がる余地はない。そうなると他の3面に広がるわけだが、雪の川沿いと南側辺りが広い。これは、東隣のアンチルフ王国との小競り合いが頻繁に発生していることも影響している。


 南に向かって歩くユウは白銀の街道を横断して安宿街に入った。そのまま更に南へと進むと安酒場街に移る。臭いが盛り場特有のものに変化した。


 初めて来た酒場通りを見回しながらユウは迷う。人通りの流れを邪魔しないように歩いているため、思ったよりも店を吟味する時間はない。


「もういいや。ここにしよう」


 考えることを諦めたユウは最後に目についた店に入った。造りの荒い木造の店舗ながら今まで入ったことのある店よりも中は広い。丸テーブルがほぼ満席になるくらいは繁盛している。


 いつものように出入り口で背嚢を背中から下ろして手に持つと、ユウはカウンター席に向かった。一息つくと給仕を呼ぶ。


「いらっしゃい。何にします?」


「エールとパンとスープ、うーん、スープはどんな種類のがあります?」


「野菜だけのスープに、肉入りと魚入りがあるよ」


「魚入りもあるんだ」


「北に大きな湖と雪の川があるからね。そうそう、焼き魚もあるよ」


「へぇ、他に珍しい食べ物ってあります?」


「となると、肉団子とピザかな」


「なんですか、それ?」


「肉団子の方はいろんな肉をこねて団子状にしたものを煮込んだものさ。香辛料をかけて食べると旨いんだ。ピザは南方の食べ物で、平たいパンの上に刻んだ豚肉と豚脂、それにチーズを乗せて焼いたものだよ。熱い間に食べるとたまらないね」


 給仕の話を聞いたユウは生唾を飲み込んだ。聞いていると食べたくなってくる。


「それじゃ、エールと肉団子とピザにします」


「だろうね。ここじゃ初めて来たお客は大抵同じ注文をするんだ。少し待ってな」


 にやりと笑った給仕は調理場へと声をかけた。


 すぐに渡された木製のジョッキをちびちびとユウは傾けて待つ。初めて食べる料理を待つときはいつも期待に胸が膨らむものだ。


 先にやって来たのは肉団子の方だった。木の皿に山となす団子からはかすかな肉の香りがする。ユウが思っていたよりも見た目は白っぽく、そして大きい。


 熱い肉団子を木の匙に片手で寄せようとするのにユウは苦労するが、ようやく1つ成功すると囓ってみる。食感は肉とは違うものの弾力があり、あまり汁は口の中に広がらない。味はさっぱりとしている。旨いが物足りないというのが正直な感想だ。


 そこまで思ってはたと気付く。


「そうだ、香辛料をかけるんだっけ? あ、ちょっと!」


「なんだい?」


「これって香辛料をかけたらおいしくなるんですよね。それっていくらですか?」


「1盛りで鉄貨80枚だよ。このくらいさ」


「うわ、この量でそんなにするんだ」


「あんまり手に入らないからね。それがダメだってんなら胡椒がある。こっちは40枚だ」


「ちなみに塩はいくらです?」


「20枚だよ。よそから運び込まれてくる物ばかりだからどれも値が張るんだ。ちなみに、その肉団子に振りかけるんじゃなくて、食べる面にちょいと付けてやればいい。あんまり付けすぎると肉団子の風味が消えちまうからな」


「だからこの量でも足りるんだ」


「そういうこと。さぁ、どうする?」


「だったら香辛料をください」


「そうこなくちゃね」


 にやりと笑った給仕がすぐに香辛料を盛った小皿をユウの目の前に置いた。そうして、言われたとおりに肉団子の表面に付けると口に入れる。


 一瞬、先程と何も変わらない感じだったが、すぐに香辛料の刺激が口の中に広がった。しかし、噛むほどに肉団子の食感と薄い味が香辛料と混ざり合う。肉や魚とは違う感覚が口内を支配した。口と手が止まらなくなる。


 たまに木製のジョッキで口内を洗い流しながらもユウは一気に肉団子を食べ終えた。空になった皿を見つめる。


「こんなにおいしい物があったんだ」


「お待たせ、ピザだよ。熱いうちに食ってくれ」


 入れ替わるように差し出されたピザを目の前にユウは目を見張った。木の皿の上に同じく円状のパンが乗せられており、更にその焼き上げられた平たいパンの上には刻んだ豚肉がとろけたチーズに埋まっている。その湯気が生唾を誘った。


 豚脂により輝くピザの表面をユウが見ていると、横から給仕が教えてくれる。


「ナイフで好きなように切り取って食べるんだ。見ての通り、チーズがやけに熱いから火傷に注意してくれよ」


「はい、わかりました」


 言われるままにユウは腰にぶら下げていた肉厚の戦闘用ナイフを抜くとピザの一角を切り取った。持ち上げると、とろけるチーズが切断面から溢れてこぼれていく。


 いかにも熱そうなピザの一切れをユウは囓った。口の中に広がる熱さに驚いて目を白黒させる。次いで、チーズの濃厚な味に気付いて幸せになり、噛んで豚肉とパンの弾力を楽しんだ。今まで食べてきた物とはどれも違う、それでいて圧倒的な旨さに声が出ない。


 たまにエールで口の中を冷やしつつも、ユウは再びひたすら口と手を動かした。初めての感覚と味にどちらも止められない。


「こんなおいしい物が世の中にはあったんだ!」


 忙しく上半身を動かしつつもユウは感動していた。今まで良く言えば素朴な料理ばかりを食べてきただけに、比較的に複雑な味に出会って衝撃を受けているのだ。


 幸せそうな笑顔を浮かべながらピザを食べ続けるユウは、やはりこちらもそれほど長くかからずに完食した。いつもなら締めに飲むエールにも手を付けずに息を吐き出す。


「すごいな。世の中って広いんだ」


 空になった皿を見つめながらユウはぽつりと漏らした。故郷にいたときには絶対に味わえなかった料理の余韻にひたっている。しばらくは何も考えられそうにない。


 この町に滞在している間は食べ続けようと固く決心するユウであった。

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