壁の向こうを夢見る少年

 スクレスト市に着いた翌日、ユウは宿屋の主人に冒険者ギルド城外支所のある場所を教えてもらった。まさか市の東西に1つずつあるとは驚いたユウだったが、同時にさすが都会だと感心もする。


 バイファーの町までの仕事は既にあるので今は行く必要はないものの、どんな雰囲気なのか知っておきたかったユウは三の刻の鐘が鳴る前に安宿を出た。スクレスト市の西側で宿泊していたユウは町の北西の角にあるという冒険者ギルド城外支所を目指す。


 白銀の街道を横切ってユウが入った小道は酒場の連なる道だった。朝なのでどこも閉まっていたが、たまに人が倒れていることもある。酔っ払いだ。


 漂う臭いにユウは顔をしかめる。


「こういう所ってどこも似たようなものなんだなぁ」


 酒と反吐と何かしらの臭いが混じった酒場街の臭気がユウの全身を包んだ。都会でも田舎でもやることが同じならこんなものかと納得する。


 往来する人の数もそれほどいないので順調に進んでいると、前方から怒鳴り声が聞こえてきた。遠目には誰かが喧嘩をしているように見える。


 更に近づくと様子が少し予想とは違った。中年の酔っ払いがユウよりも更に若い少年に絡んでいたのだ。中年は酔った勢いで怒鳴っており、少年はすっかり萎縮している。


 往来する人々は我関せずだった。巻き込まれたくないのか興味がないのか、誰もが避けている。


「てめぇ、オレのことバカにしてただろう!」


「し、してません」


「どいつもこいつもオレのことを見下しやがって、この上こんなガキにまでバカにされてたまるか!」


「離してください」


「てめぇみたいなガキはきっちりと躾けてやる!」


 近づくにつれて会話の内容がはっきりとしてきた。中年の酔っ払いが馬鹿にされたと思い込んで少年に絡んでいるようである。


 中年の酔っ払いは見たところ、身なりがみすぼらしいことから貧民のようだ。都会の貧民だからだろうか、ユウが住んでいた貧民街の住民よりもましに見える。ともかく、傭兵や冒険者ではないのだった。


 絡んでいる相手についてある程度推測したユウは揉めている2人に近づく。最初に少年が、次いで酔っ払いがユウに気付いた。


 こちらに顔を向けた中年の酔っ払いにユウが声をかける。


「あの、もうその辺にした方がいいんじゃ」


「なんだてめぇ! お前もオレのことをバカにすんのかよ!」


 酒臭い息を吐き出しながら中年の男がユウに怒鳴った。顔は赤く、目はややとろんとしており、体は少しふらついている。本当にまだ酒が抜けていないようだ。


 これは会話にならないとユウは思った。相手は正常な判断を下せる状態ではない。


「くそ、傭兵かよ。人殺ししか脳がないくせに威張り散らしやがって!」


「そんな子供に八つ当たりしてる人よりましですよ」


「なにおぅ! がはっ!?」


 掴みかかろうとしてきた中年の男の腹にユウは右拳を一発入れた。本気ではない。ただ、鍛えていない酔っ払いの腹を殴ったことで相手は膝を折って地面に崩れ、盛大に吐く。


「うぉおぇぇぇ」


「うわ、汚い! さ、今のうちに!」


 腹の物を吐き出している中年の男を尻目に、ユウは少年の手を取って走り出した。まともに取り合っても時間の無駄なので逃げるが勝ちである。


 酒場街の端まで走ったユウはそこで止まった。振り返って見ると中年の男は追いかけて来ていない。


 呼吸を整えたユウはまだ息の荒い少年に声をかける。


「大丈夫? 怪我なんかしてない?」


「はぁはぁ、え? はぁ、あ、はい。大丈夫です」


「それは良かった。あんな酔っ払いに絡まれる前に走って逃げたらいいんだよ」


「そうしたいんですけど、僕あんまり体が強くなくて」


 まだ荒い息を吐いている少年をユウは見た。顔も服も薄汚れているので貧民だということはすぐにわかる。また、体は小さく華奢に見えるので体が弱そうなのは本当のことに思えた。そのためか、気が弱そうにも見える。


「僕はユウ、冒険者なんだ。昨日ここに来たばかりで、今から冒険者ギルドに行くところだったんだけど」


「そうですか。あ、僕はジュードです。この王都の北西にある貧民街で暮らしてるんです。今朝はご飯を食べに出かけてたんですけど、さっきあの酔っ払いに捕まっちゃって困ったことになってました。助けてくれてありがとう」


「大したことじゃないからいいよ。それより、ここから1人で帰れるかな?」


「大丈夫です。そんなに遠くないんで。それより、ユウは冒険者なんですよね。どうしてこの街に来たんです?」


「旅をしていてたまたま寄っただけなんだ。1週間後には東のバイファーの町へ行くよ」


「へぇ、そうなんですか。すごいですね。僕なんてまだ父さんと母さんに養ってもらってるから、まだ手伝いくらいしかできないんです」


「両親がいるんだ。いいじゃないか」


「ユウには父さんと母さんはいないの?」


「家族はみんな死んじゃったんだ」


 返答を聞いたジュードが気の毒そうな表情を浮かべた。言葉に詰まって黙ってしまう。


 それを見たユウは首を横に振った。苦笑いしながら話しかける。


「気にしていないよ。今はやりたいことができているから」


「やりたいこと? 冒険者になりたかったの?」


「冒険者の方じゃなくて旅の方かな。世の中のいろんなところを見て回りたかったんだ」


「どうしてそんな大変なことをする気になったんです?」


「小さい頃におばあちゃんに色々と教えてもらったことがあるんだけど、それが本当かどうか確かめるためかな。まだ始めたばかりで大変だけど、なかなか面白いよ」


「そうなんですか」


 どことなく感心したかのような態度のジュードが声を返した。若干羨ましそうな目を向けてくる。


「ジュードは将来何かやりたいことはあるのかな?」


「ぼくですか? うーんと、そうですね。笑わないでくださいよ。あのですね、将来は城壁の向こう側で生活したいんです」


「町民になりたいってこと?」


「違います、市民ですよ! スクレスト市民! 王国の王都の住民になるんですよ!」


「あーごめん、間違えたね。何か伝手でもあるのかな? お父さんかお母さんに市民の知り合いがいるとか」


「いるわけないですよ。だって、僕の父さんは人足だし、母さんだって酒場の皿洗いと宿屋の掃除をしてるだけなんですよ。城壁の内側に入ったことだって1度もない」


 一生懸命説明してくるジュードをユウは眩しいものを見るかのように眺めた。しかし同時に、それがいかに難しいことであるかも実感しているだけに、痛ましいものを見るかのようにも見つめる。


「それじゃ、どうやって城壁の内側に入るつもりなのかな?」


「うーん、それなんですよね。どこかに丁稚奉公ができれば一番なんですけど、僕は文字も書けないからなれそうにないし、かといって体が弱いから父さんのように人足にも向いてなさそうなんです」


「そうなんだ。それは大変だね」


 丁稚奉公という言葉を聞いたとき、ユウはわずかに顔を引きつらせた。かつての経験が脳裏に蘇る。確かにあれなら町民や市民でなくても中に入れるが、解雇されたときが大変だ。下手をするとかつてのように城壁の外へと追い出される。


 ただし、それはあくまでも自分の場合だった。他の使用人の大半はうまくやっているようだったので、普通はそこまで気にしなくてもいいのかもしれない。


 今に戻ってジュードの場合を考えると、それ以前の問題だった。文字の読み書きができないのならばそもそも使用人になれないし、丁稚奉公もできない。


 そしてこれが一番つらい現実だが、城壁の中の住民は貧民のことを嫌っている。ユウの場合は臭いで避けられたが、あれはわかりやすい嫌い方だったとユウは思っていた。思い返せば、ギルドホールで避けられていたときの周囲の目には侮蔑だけでなく敵意さえも込められていたからだ。


 では、今そのことをジュードに伝えるべきかと問われると、ユウはそれも違うように思った。子供の夢を取り上げるような真似をするべきではないという道徳的な話ではない。取り上げた後に何をするべきなのか教えることができないからだ。現実を見ろと言いながら人の夢を潰して代案を示さないのは、一方的に略奪して去って行くのと同じである。


 2人が話をしていると、城壁の内側から三の刻の鐘の音が鳴り響いた。それを聞いたジュードが驚きの表情を浮かべる。


「あ、母さんの手伝いに行かなきゃいけない! ユウ、それじゃぁね。助けてくれてありがとう!」


「うん、今度は絡まれる前に逃げるんだよ」


「そうだね、頑張ってみる!」


 小道を少し進んで脇道に入ったジュードの姿が消えた。ユウは再び1人となる。


 結局、何も教えないまま別れてしまった。もう2度と会うことはないだろう。


 何となくもやもやとしたものを抱えながらも、ユウはまた歩き始めた。

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