初めて見る都市

 コンフォレス王国とは、北の大鎌の山脈と南の白銀の山脈の間に位置する開拓者の王国である。今のバイファーの町のある場所に拠点を築き、探索と開拓を繰り返して雪の川東岸から銀光の川の西岸まで人類の居住圏を広げた。当時はこの辺り一帯が霧の森だったので随分と苦労したという逸話が伝えられている。


 スクレスト市はそんな王国の中心地だ。開拓にある程度の目処がついて王都に定められてから数百年、王国で最も栄えている都市であり続けている。


 王国の基盤は今も続く開拓による拡大が続く農業だが、白銀の街道を通じての交易でも大きな利益を上げていた。そのため、王都には西から西方辺境奥地の珍品が、東から中央の高級品が集まる。


 そんなスクレスト市は西方辺境にあって珍しく1万人以上の市民が住んでいた。トレジャー辺境伯爵領の領都トレジャーの町も8千人程度と近い規模だが、やはり町と市の分かれ目となる1万人を上回っているというのはある種の地位があると見做される。


 そして、ユウの目の前に広がる貧民街の広さと城壁の長さはその偉容を体現していた。アドヴェントの町に比べて何もかもがあまりにも違いすぎる。


 護衛していた荷馬車から離れたユウは白銀の街道に沿ってスクレスト市へと近づいて行った。市の西門に通じる街道沿いには宿屋や酒場が軒を連ね、市に近づくにつれて密度が高くなっていく。往来する人の数も比例して増え、いつの間にか雑踏の中を歩いていた。


 お上りさん丸出しの態度で周りを見るユウが声を漏らす。


「すごいな。こんなに人がたくさんいるなんて」


 往来する他人と肩をぶつけそうになりながらもユウは周りを見続けた。徐々に暗くなっていく夕方だったが、各店が松明たいまつ蝋燭ろうそくを壁に掲げるので街道はまだ明るい。


 街の様子に圧倒されていたユウはゆっくりと歩いていたが、目を見開いて突然立ち止まった。片手で顔を覆ってつぶやく。


「冒険者ギルドはどこにあるんだろう?」


 先程まで聞く機会はいくらでもあったのに思い付きもしなかったことをユウは悔いた。初めて来た街なので聞く相手は当然いない。


 しばらく考え込んでいたユウはため息をついて再び歩く。


「とりあえずご飯にしよう。ギルド探しは後回しだ」


 空腹には逆らえなかったユウはつぶやきなら周りの店を見た。はっきり言って良し悪しがまったくわからない。仕方がないので、呼び込みのいない店にふらりと入った。


 古い木造の店舗内はあまり広くない。あまり数のない丸テーブルの奥にはカウンター席がいくつか並んでいた。客入りは3分の2程度と悪くない。


 店の入り口で背嚢はいのうを下ろしたユウはそれを手にカウンター席を目指した。隅の席の脇に荷物を置くと自分も座る。


「おばさーん、こっち!」


「はいはい! いらっしゃい、何にする?」


「お酒とパンとスープなんだけど、魚入りスープってありますか?」


「魚入り? ここにはないねぇ。肉入りならあるんだけどさ」


「あ、それじゃそれで」


「はいよ。で、酒はエールとワインのどっちにするんだい?」


「ワイン?」


「おや、ワインを知らないだなんて。さては田舎から出てきたばっかりの坊やだね」


「いや別にワインくらいは知ってますよ。ここで飲めるとは思ってなかっただけで」


「そうかい。だったら酒はワインでいいんだね?」


「お、お願いします」


 一瞬迷ったユウは言葉に詰まった。それをにやにやしながら見ていた中年の給仕女はすぐに踵を返して離れて行く。


 馬鹿にされたと感じたユウがもんもんと注文の品を待っていると、先程の給仕女がワインとパンと肉入りスープを持ってきた。代わりに要求された代金に眉をひそめる。


「スクレストの鉄貨で110枚だよ」


「これだけでですか?」


「ワインがエールよりも高いのさ。ここいらじゃ葡萄はあんまり採れないからね。それに、田舎に比べたら都会の値段は何でも高いよ。ここに限った話じゃなくて、どこでもね」


「この分だと宿代も高そうですね」


「そりゃそうさ。人が集まればお金と物のやりとりが活発になるんだから、その分どこも景気が良くなるってもんさ。あんたも稼いだ分、しっかり使うんだね」


 息子を諭すように話した給仕女は別の丸テーブルの客に呼ばれて立ち去った。


 残されたユウはしばらく目の前の注文の品を眺めていたが、やがて木製のジョッキの中を覗く。エールは茶色い色なのに対して、赤黒い液体が中を満たしていた。


 両手で木製のジョッキを抱えたユウはその縁に口を付けると傾ける。口の中にワインが入り込んで舌の上に乗ったとき、そこで腕を止めた。そしてゆっくりと口を離す。


「すっぱい?」


 今までエールしか飲んだことのないユウは未知の味に戸惑った。エールと違って甘みがまったくないとは想像していなかったのだ。


 両手に持った木製のジョッキの中をユウはもう1度覗き込んだ。先程と変わらない赤黒い液体が入っている。更に口に含んで見た。やはり眉をひそめる。


「なんでこれがエールよりも高いの?」


 そのままの表情でユウは首をかしげた。注文の品を持ってきた給仕女の言葉を思い返す。葡萄があまり採れないから高いと言っていた。そうなると、値段の高さは旨さではなく珍しさを指していることになる。


 木製のジョッキの中を覗きながら失敗したとユウは感じた。これを旨いと思う人がいるのかもしれないが自分には合わないと強く思う。


 しかし、今手に持つ目の前の木製のジョッキに入っているこれは既に口を付けてしまった。安くない代金を支払った以上は捨てるわけにもいかない。それに、ワインだけ残すと田舎者と言ってきた給仕女に子供扱いされそうなのが何より悔しかった。


 意を決したユウはちびちびと木製のジョッキを傾ける。一気に飲めてしまえばその後は楽になるが、エールでさえ木製のジョッキで一気に飲み干せないユウに苦手なワインが相手では更に無理だった。食事で今まで外れがなかったので思わぬ難敵に戸惑う。


 今やユウにとって、夕食はどうやって木製のジョッキの中身を片付けるのかということが焦点になっていた。残すという選択肢がない以上、どうにかしてすべてを腹に収めなければならない。


 視線をずらすと肉入りスープがあったので、ユウはパンをちぎってスープにひたして口に入れた。食べ慣れた味が口の中に広がる。眉間の皺もほぐれた。


 口の中の物を飲み込んでユウはため息をつく。


「交互に食べるしかないか。長い戦いになりそうだな」


 まるで戦場へ赴く戦士のような真剣さでユウは注文した品々を見た。戦いは始まったばかりである。


 生唾を飲み込んだユウは木製のジョッキを大きく傾けて、危うくむせかけた。




 すべての食事を終えたとき、ユウは疲れ果てていた。食べることで疲れるなど初めての経験だったので何が何だかわかっていない。


 それでもユウはやり遂げた。木製のジョッキの中は空なのだ。肉入りスープとパンを支えにすべて飲みきったのである。気分は強敵を倒した戦闘直後とあまり変わらない。疲れ切っていた。


 いつまでもじっとしているわけにはいかなかったので、ユウは動きの鈍い体をむち打って立ち上げる。今日はもうすぐに宿に泊まって眠ろうと強く心に誓った。手にする背嚢が食べる前よりも重く感じる。


 背嚢を引きずるようにしてもちながら店内を歩くユウは例の給仕女とすれ違った。すると、相手から声をかけられる。


「おや、お帰りかい。ワインはどうだった?」


「エールとは違う味がしましたね」


「そりゃそうさ。あの味がわかるようになったら、いい男になれるって話だよ」


「だったら僕はいい男になれそうにないですね」


「あらま。飲み続けたら慣れるから、また飲んでおくれ」


「機会があれば」


 肩をすくめた給仕女がそのまま立ち去った。ユウも店を出て背嚢を背負う。すっかり日が暮れていた街道を歩き始めた。そして、すぐにはたと気付く。


「しまった、冒険者ギルドの場所を教えてもらえばよかった」


 あれだけ話をしておいて肝心なことを1つも聞けていないことにユウは愕然とした。さすがに今のユウは木製のジョッキ1杯で前後不覚になったりはしない。単純に抜けていただけだ。


 立ち止まったユウはどうしようか迷う。別に今から店に戻って尋ねても悪くない。というより、今ならそうした方が良いのは間違いなかった。しかし、あの給仕女にそんな間抜けなところを見せるのはどうにも面白くない。


 つまらない意地を張っているとユウは思った。しかし、ワインについて話を聞いたときの田舎者と小馬鹿にされたことがどうしても引っかかるのだ。


 散々悩んだ末、ユウは街道を再び歩き始めた。さっきまで夕食を食べていた店が遠ざかっていく。わずかに照らされる街道を進み、今晩泊まる宿を探すことにした。

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